小説『レポートブック』
作者:鏡アキラ()

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【桐崎恣意に関するレポート 呪文】

 

音のない夢というのを、見たことがある人はいるだろうか。
私はときどき見ることがある。
場面はいろいろ。学校だったりお店だったり塾だったりする。
登場人物もばらばらだ。
ただ、決まって私以外の他人の声がいっさい聞こえない。
みんな口パクで会話している。

「ねえ……、聞こえないよ」

友達や先生が私に話しかける。口は動いているけど音はしない。
彼ら同士は楽しそうに会話してる。

私だけ、まったくなにも聞こえない。

じわっと背中を不安が伝う。
いつもどおりのみんなに囲まれながら
私はひとりぼっちになる。

耳の聞こえない人は、こんな厭な世界に生きているのかな。
それともそういうのとはまた違うのかな。
わからないけど、とにかくものすごく厭な気分になる夢。
びっしょり汗をかいて目が覚める。



「ナルホドねえ」

私の話が終わると、丸くしていた目を少し細めて先生はそう言った。

「たしかに厭なカンジだね」
「そうなんです」
「いつからなの、ソレ」
「いつから……いつからだろう。七・八才とか、相当前じゃないかなあ」
「ふゥん」

ペンを回しながらだけど、でもそれなりに真面目に
Cちゃん先生は聞いてくれている。


Cちゃん先生は、私の塾の講師だ。といってもアルバイトの大学生。
本名は桐崎恣意(キリサキ・シイ)というそうだが、
歳もたいして違わないし本人もあまり年上ぶらないので
みんなからしーちゃんなんて呼ばれている。
小動物系で、同年代のほかの先生たちより少し童顔。
三兄弟の長男だというけど、あんまりそうは見えない。
目がちっちゃくてつり目の明るい人だ。
ひょうひょうとしてて少し変わってはいるけど。

「じゃあサ、マキリちゃん、おまじないでも教えてあげるよ」
「おまじない?」
「悪い夢見ないためのおまじない。知らないかい」

そういってCちゃんはノートの端っこに「獏」という字を描いた。

「まく?」
「ばくって読むの」
「これなに?」
「この字を描いた紙を枕の下に入れて寝るの。
 獏は夢を食う生き物なんだよ、だから
 悪い夢を食ってくれるよっていう、古ーいおまじない。
 ばァちゃんとかじィちゃんに聞いてごらん。

 それでどうにかならなかったら、そうだなあ、
 夢の中で“さふぁかりあ”って唱えてみなよ。
 そっちはもっと力の強いカミサマを呼ぶ呪文だから
 だいたいなんとかなると思うよ」

獏の下に書き足される「Safacaria」の文字。
先生の目は面白がってるようにしか見えない。

「中学生にもなっておまじないって」
「いやぁ、バカにしてるんじゃないけどサ。
 だって他になんかオレにできることあるかい」
「まあねー」

くすくす笑いながら消しゴムでそれを消してから、
さてちょっとは課題やろうかと先生は言った。
今日の課題はドリルの三十七ページまでだ。


信じたわけでもなかったけど、まあ気持ちだけ受け取るつもりで、
私はその字を枕の下に入れて寝たのだった。


結論からいうとぜんぜん効き目はなかった。

塾帰りにドーナツ屋に寄って生クリームドーナツをかじっていると、
偶然会えた友達が声をかけてくる。
その声がいっさい聞こえない。
マキリじゃん偶然だねおつかれー、くらいまでは
状況と口のうごきでわかる。その先はあんまりわからない。
ゲーセンの話か、学校の話か、恋バナか。わかんない。
その口のうごきは「ミチルがさぁ」かな、
それとも「リイユがさぁ」かな。
ねえナアナ、しゃべるのはやいよ。口のうごきを追えない。
オレンジジュースの中でとけた氷が崩れたのに
カランという音がしない。
新しいお客さんが入ってきたのに
ドアのチャイム音もいらっしゃいませの声も聞こえない。
苦いなにかが胃ぶくろの底から染みて広がっていく。
ねえミシャ、聞こえるようにしゃべってよ。
からかってるの?仲間はずれなんていやだよ。
ちゃんとしゃべって。ちゃんとしゃべってよ!聞こえないのよ!
笑顔を作ることすらできなくなった私を気にも留めないで
二人はおしばいを続ける。
店員さんも他のお客もそうだ。こんなの、おしばいだ。
みんなうそ、ねえ誰か―――


さ、ふぁ、か、りあ(Safacaria)。


そうだ、Cちゃんの呪文。

なんとか思い出した瞬間、
けえええええん!という動物みたいな声とともに
光が店のカウンターから飛び出してきた。

大きな犬のような姿をした光は
私を捕まえたままドアをすり抜けて外へ連れ出す。

私をのせて走りながら空をやぶって飛び出した光の犬は
夕焼けの湖に浮かぶ赤い鳥居のある小島でやっと止まった。
白に近い金色の毛並みをした、ライオンくらいの大きさの、
犬に似たけもの。
顔は正面から見ると猫のようにも見える。
耳の先と眼尻が、絵の具で描いたような赤。
しっぽがわさわさで体より大きい。
ううん、ちがうな、しっぽがいっぱいあるんだ。

「災難だね。お嬢さん」

犬が私に話しかけた。
ああ、声だ。聞こえる。ちゃんと聞こえる。
私の態度をちゃんと見て対応してくれる!

「よかったあ……。あの、ありがとう」
「君、あの小イタチのお友達かえ」
「Cちゃんのこと?
 あー、言われてみればイタチに似てるかも」
「お嬢さん、ねェ、獏を恨まないでやってほしいんだよね。
 君の場合はちょっと複雑で、彼の管轄外みたいだ」
「複雑?」
「見てる夢が悪いんじゃなくて、君の耳が悪くなってるみたいなのさ。
 お嬢さん、知り合いにアイソトープ同士の奴がいるだろう。
 いや、ええと……ヒトには何と言ったらいいのかな。
 双子のようにそっくり同じな奴らだよ。
 顔や性格じゃないよ、波長が同じなんだ、波長がね。わかる?」

アイソトープって何?せっけん?言ってることがよくわからない。
でも、心当たりはある。ミチルと桂木くんだ。
ミチルたちとは小中とずっといっしょだけど、
性格はちがうけど何かが同じっていう二人組は
あの子たち以外に思いつかない。
見まちがえるほど外見が似てるわけじゃないのに時々まちがうのは
そうだ、波長がおんなじだからだ。
なるほどそういえば私がこの夢を見るようになったのも
小学校入ったころからだったか。


「周波数がまったく同じ存在どうしが
 あんな近くに同時に生まれてしまうなんて
 滅多にないことなんだけれどね。わたしも初めて見た。
 とにかくあの子ら二人が一緒にいると共鳴して特殊な振動波になる。
 そんで、これも結構まれなんだが
 君みたいに耳がよすぎる子はそれを拾ってしまうようだ。
 ずっと一緒にいると耳が悪くなることがある」

耳がよすぎる?
ううん、私は耳は別によくない。悪くもない。夢の中以外では。

「君のふだん生きる世界のほうにも影響が出ることが
 あるかもしれない。ないかもしれない。
 わたしもこんなケースは初めてだからサ。
 でも、夢の中だって聞こえないのは厭でなんとかしたいんだよね?」
「そう。なんとかできるならしたい!どうしたらいいの?」
「夢を今後いっさい見ないようにするというのでもいいが……
 いや、根本的なことをしたほうがいいね。
 波を拾わないように、鼓膜に逃がし穴を作ろう。おいで」

犬はやさしく言って、白い砂利浜にむけてあごをしゃくった。

「鼓膜に穴……あけるの?」
「怖いかい。肉体に物理的にあけるわけじゃないよ。
 痛くないさ。心配しないで。大丈夫」

そっと私に近寄り、そのやわらかいふわふわのしっぽで
抱きしめるように私を包む。
視界は真っ白にまぶしい。あたたかくてふかふか。
とぷん、という音を遠くで聞きながら
私たちは限りなく透明で美しい湖に沈んでいった。

光さす水面のむこうから
くちば色のイタチがくりくりした目で私をのぞきこんでいるのが、
目を閉じていても見えた。
耳の奥が一瞬だけチクっとしたけど、大丈夫、ぜんぜん痛くなかったよ。
ありがと、先生……。




「ちょっと、マキリぃ!起きてるかー」
「起きてるよ。聞いてたよちゃんと」
「そう?なんか眠そうだねえ。またアレ?悪い夢?」
「いや昨日寝たのが遅くて……。
 あー、そういえば、音のしない夢さいきん見ないな。どうしたんだろ」
「マジ?よかったじゃん。
 あ、ところでルリイエがこないだ言ってたんだけど、
 リュノ先生の授業のときさぁ」
「こーら。そこー。私語はもうちょいコソコソやんなさい」
「あっCちゃんせんせ!ちがいますう。
 問3わかんなかったから相談してたんです」
「問3?ホントかよ。どれ?」

Cちゃん先生がミシャのプリントをのぞき込む。
瞬間、ちょっと私に微笑んだ気がするけど、
その理由がいまもよくわからない。

                     _■fin     

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