小説『レポートブック』
作者:鏡アキラ()

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【フィアに関するレポート ライター】


最近はこの街にも
あんな子供が出入りするようになったのだな、と思った。
二十歳になるかならないかくらいの少年を含んだ
若いグループが歩いていた。
ここらはややコアなバー街であるから
あまり若い人の来るところではないと思っていたものだが
近頃はそうでもないのだろうか。
そんなことを思いながら、
行きつけの店に向かう足を速めた時だった。


「あっ、あのう」

数人で歩いていた少年達のうち一人が
ふいに私に駆けよって来、緊張した面持ちで声をかけてきた。

見れば少年はなかなか眉目秀麗であった。
現代らしい不思議な分け方をした赤茶のふわふわ髪、子犬のような瞳。

どぎまぎして心臓が割れそうと書いてあるような表情をしていた。


「……たっ、煙草、吸いますか。
 火……ありますよ」

私は強く驚いた。
その言葉は、一夜の火遊びへの勧誘を意味する。

「……『ウリ』?」
「えっ!違います、そんなつもりじゃ」

いよいよ驚いた。いわゆるナンパである。


私こと大川テツシは、今年で四十二になる男なのだが。


確かに今私たちが歩いていた路地は
同性間の恋愛や性的交遊が
なんらおかしくないものとされる街の一角である。
私もゲイだ。

だが、しかし。
私は特別体格がいいほうでもなければ
端麗な顔立ちをしているわけでもない、
中背中肉の普通の中年、しがない公務員である。

男色の気持ちなど理解しようもないだろうから
そうでない諸君にわかりやすく説明すると、
四十路の独身男がハタチの美少女にナンパされるようなものだ。
それくらい珍妙なことだ。


「……あ、いや、あの、すいません。急に変なこと言って。
 失礼でしたよね……」 

いまにも泣きそうにうつむきだした少年を見て、

(ああ、そういえば、随分なご無沙汰だな。
 いつぶりか思いだせないほど)

そう思った私も、案外げすな人間なのだろう。

「火か。……さて、喫煙所はどこだったかな」


まず最初にしたのはお互いの通称をいうことだった。
少年が「何て呼べばいいですか」とだけ訊ねたので
適当に「サトシ」と名乗った。彼のほうはフィアと名乗った。

近くのビルのトイレ……いや、あまり詳しく話さないほうがいいな。
不快に思われたら申し訳ない。
とにかくビルを出て休憩のできる部屋を取り、二人の時間を過ごした。
若くかわいらしい相手を得た旨味、
そして自分にもこんな熱情がまだあった驚きを感じた。

シャワーを浴びた私がローブを着て出てくると、
彼はTシャツ姿でベッドに転がって缶カクテルの残りを飲んでいる所だった。

「大学生か?」
「専門学生です。美容師目指してて」
「ああ、なるほど」
「お酒だってちゃんと誕生日来てから飲みましたよ!
 意外と真面目でしょ?
 あ、ちなみにそれが初二丁目。先々月です」
「デビューの手始めに声をかける相手が俺か?
 こんな何の特徴もない……。
 君ならもっと選びようがあると思うけどな」

そっすかねえ、と上の空でつぶやき、彼はすこしのあいだ視線をそらした。


「……似てたんです」


ぽそっと、
まるでいたずらに摘んでみた野花を投げ捨てるように、
言葉が投げてよこされた。

「先生に」

うち捨てられた野花は、ありふれた、
しかし確実に一生懸命咲いたのであろう小さな雑草だった。

先生、か。
なるほど、スーツを着て眼鏡をかけた
どこにでもいる社会人男性の風貌である私が選ばれたわけである。

ゲイには幼いころからそうである者と
ずいぶん後になってから覚醒する者がいるが
前者なら先生が初恋というのもありそうな話だ。

「そんなに似てるのか」
「や、そんなに、そっくりっていうんじゃないんです。背格好だけ。
 それに別にそこまで重ねてるつもりもないんですよ」

優しく微笑んで寝がえりを打つ。
もそもそと布団の中の体を動かしたのち、フィアは、
またすこしのあいだ視線をそらした。

そして、ゆっくりとこちらを振り返る。


「……あのう、サトシさん。
 『昔好きだった人にちょっと似てた』って、イヤですか?
 そういうのは、一目ぼれって言わないんですかね?」

私は強く驚いた。

そのかすかに震えそうな言葉のかぼそさが、
久方ぶりに私に火を灯しそうなことに。

                 _■fin

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