小説『レポートブック』
作者:鏡アキラ()

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【布施カイオンに関するレポート 絶望の味】


目がさめたら、どうやら女になっていたらしかった。

トイレしようとしたとき、無いのに気づいて慌てたのだ。

「おかーさん!おれ!!」
「なあに。うるさいな。朝から大声出すんじゃないの」
「おんなになった!!」
「え?」

さすがにびっくりしたらしいお母さんがぱたぱたと走ってくる。

「大丈夫?汚れた?パンツは?」
「よ…汚れてないけど」
「あれ?生理が来たんじゃないの?」
「せーりっ!?」

おれはもっとびっくりして叫ぶ。
生理って、生理って……なんか、あの、女子がなるやつだろ。
保健体育で習ったけど。

なんだ違うのかみたいな感じで興味をなくしたらしいお母さんは
はやく着替えなさいよとか言ってご飯のしたくに戻る。

いや……おかーさん、ちがうだろ!リアクション!

「ちょっ、ねえ!」
「カーイー?もう七時五分だよ!十分までには着替えてる約束でしょ」
「だってお母さん!」
「カイッ!」

ついびくっとする。
すげえ顔でにらんでるお母さん、めちゃくちゃこええ。
向こうから姉ちゃんが、あーあ、みたいな目でこっちを見てる。
くそ。
いや、だめだ。ここで負けちゃだめだ。
とにかく真剣な顔をしてお母さんに近づき、小声で言った。

「おねがいだから聞いて!」
「なに」
「おれ、おんなになっちゃったみたい……ちんこなくなってる……」

泣きそうなおれに向かってお母さんはハアと大きなため息をついて
いいかげんにしてよみたいな顔をした。

「なくなってるってあんたねえ、
 あたしはちんこ生えてる子供産んだことなんかないわよ」

は?

ほんとに、マンガみたいに、おれの頭の上にそう字が出た気がした。

あんまりぼうぜんとしているおれに
お母さんがなにか言おうとしたけど、
その前に姉ちゃんに腕を引っぱられた。

「ほらっ、制服とランドセル持ってきてあげたから。
 中身大丈夫?今日の準備してある?
 とにかく早く着替えなよ。朝からお母さんキレさせないで」

小声で早口にそう言ってささっと洗面台に行ってしまった姉ちゃんが
あごをしゃくったほうにあるのは、半ズボンじゃなくてスカートの制服。

ぐらっとする。泣きそうだ。なんで?おれ、おれは……
これ、夢かな。それともパラレルワールド?
雷とかにはうたれてないし、勢いよく女子とぶつかった覚えもない。

お母さんがゆっくりとなりに来て、目を合わせるようにしゃがんだ。

「……ねえカイオン、どうしたの?今日なんか変だよね。
 具合悪いんなら学校休むか少しゆっくり行く?
 お母さん電話しようか?」

こたえる元気もなかった。
お母さんは即席コーンスープを入れてきておれに渡し、
それ飲んだらもうひと眠りしてきなさいと言って電話をかけ始めた。

おれはそのまま次の日も、その次の日も休んだ。
三日たってもぜんぜん悪夢がとけなかったからだ。
「だれにも会いたくない」なんて、とても言うような子供じゃなかったおれが
そんなこと言いだしたからだ。
さすがに三日めの夜くらいにお母さんに
「そろそろ学校いきなさいよ」とやんわり言われた。
おれだってこれ以上学校休みたくないけど、どうしよう。
スカートなんかはけないぞ。

四日めの朝、おれはポロシャツとブレザーの制服に、
体操着のズボンをはいてランドセルをしょった。いい考えだ。

「なにそれ。あんた制服は?それとも今日なにかあるの?」
「えーっと、うんまあ」
「ふうん……」

なんか納得してない顔のお母さんをおいてごはんを食べ、家をでた。

ひさしぶりの学校。
同じクラスのショーンもギムもダイオもアラタも、
ナアナちゃんもリエルちゃんも、
後藤先生も古田先生も前とおんなじだ。ほっとした。

友達みんながおんなじ質問をしてきたけど、
「学校休んでたけどどうしたの?」
「具合だいじょうぶ?」「制服は?」
休んでたのはカゼで、制服はやぶれちゃったことにした。

朝の自習と朝の会が終わって一時間めの算数と二時間めの理科、
そしてぎょうかんやすみにドッジボール。
国語と生活科をやって給食、五時間めの道徳の途中まで、
ぜんぶのことが大丈夫だった。
なあんだ全然へーきじゃんと思ったのに。

五時間めが終わって、トイレに行きたくなった。
男子トイレに入ろうとしたら。

「うわっカイなにしてんだよ!ヘンタイ!!」
「カイオンが男子トイレ入ったー!」
「えろおんな!」
「なっ……なんでだよ!おれ男だろ」
「なに言ってんのお前女だろ!出てけよ!」

おおさわぎされて、追い出されてしまった。

おれはトイレしたかったのもすっかり忘れて、
男子トイレの前でがくぜんとした。ショックすぎて涙が出てきた。

「なんで?だっておれ、なんで……」
「ちょっ、なんだよカイ、泣くなよっ」
「あー!男子がカイ泣かしたー!」
「ちがっ、おれたちのせいじゃねーよ!」

やがて先生が来て、なんとかその場をおさめようと
みんなから話を聞き始めた。

ちらっと誰かが「これだから女子は」みたいなことを言ったのが聞こえた。
がつん!とバットでなぐられたような気分になった。
おれはもっと泣いてしまった。

「よしよし。……で、カイオン?その、どうして男子トイレに……」
「せんせえっ!おれ!」
「おぉ!?なんだ、どうした」
「おれ男だよね!先生わかるよね!
 火曜日の朝起きたら女になってて、びっくりして休んだんだよ!
 でも月曜日までは男だったじゃん!そうだよね?!」

先生が困ったようなおどろいたような顔でおれを見た。
カイ……、ってだけ言ったけど、
わけのわからないことを言ってる子を見る顔だった。

「……、うん、えーと、廊下で大声出すとみんなに迷惑だから、
 とりあえずおちつくまで保健室に行こうか」

おれはそのとき思った。
もしかしたらこの世界ではおれは、
頼れる人がひとりもいないひとりぼっちなのかもしれないと。


――あれから、もう三年経つ。
魔法が解けないままおれは中学生になった。

おい、どうすんだよ魔法使い。勘弁してくれよ。どうやったら魔法は解けるんだ。

みんなに言われてどうしようもなくなって、小学校の卒業式あたりから
そういう絶対しょうがない式典とかのときはスカートもときどきはいた。

なあ、胸が出てきたよ。生理もはじまったよ。
友達の男たちは声変わりがはじまった。早くしてくれないと手遅れになっちゃう。

結局おれが男だったころのことを覚えてるやつは誰ひとりとしていなかった。
ショーンもギムもダイオも、ナアナちゃんもリエルちゃんも、塾の先生たちも、誰も。

この前なんかさ、笑っちゃうよ、レンジに告白されたんだ。
ばかだろお前。幼稚園のころなんかいっしょに立ちションしただろ。
おれが男だったことは覚えてなかったけど、
でも男同士みたいに友達続けてくれたじゃん。
なんでだよ。やっぱりおれのこと女だと思ってたのかよ……。

中学校には
スクールカウンセラーというお悩み相談室みたいな先生がいて、
すべてのことをあらかた話してみたことがある。
カウンセラーの答えはこうだった。

「そう。なら、大きな心療内科を紹介してあげる。
 そこで、自分の気持ちをぜんぶ話せば
 きっと性同一性障害として正式に診断が下るわ。
 そしたら校長先生に私からも話をして、
 あなたを男子生徒として扱うよう頼んでみることはできる」


ひさしぶりのバットが脳みそに来た。一瞬、星さえ飛んだ気がした。

『セイドウイツセイショウガイ』?
なんだよ、それ。障害者かおれは。
ちがうんだよ先生、おれは、
おれは「男になりたい女」なんかじゃないんだ。
あの日あの朝目覚める前までは確かに男だったんだよ、ねえ!

誰も、誰も覚えてないのか、誰も信じてくれないのか。

ちがうんだよ、ちがう、そうじゃない、ちがうんだ、
おれ、おれは――。


ああ、
おれはいまやっと、
いまわしいあの朝からおれの足元に寄りそう
この底知れない穴のような感情の名前を知る、
国語の教科書に出てきた単語の意味を肌で知る、
その二つがイコールの存在であったことを知る。


絶望と。


最初からこうすればよかったのかもしれないな、と思いながらおれは、
にぶく光るカッターの刃を眺めた。

そしてカッターを握った右手をゆっくり持ち上げた、その手を、


食われた。

ばくばくっとそのままふた口み口、あっと言う間にひじまで食われた。


……は?

マンガみたいに、おれの顔の横あたりにそう字が出た気がした。

きょとんとしてる間に、こんどは部屋が食われ始めた。
バリバリボリ、ザクザク。シャリシャリ、ごっくん。
ひと息ついてガツガツガツガツ。

なくなった壁のむこうには、なんか、動物。
といっても見たことのない生き物で、
なんか、象と牛をまぜて一回り小さくしたくらいの、よく分からない動物だ。

「いいねェ。
 コリコリした歯ごたえに、不安に見えてしっかりとした孤独感。
 しかもこの、甘やかなのにツンとする辛さも加わった
 深みのある味わい。
 さいッこう!やっぱ最高だわ、絶望ってやつァ」

もしゃもしゃ口を動かしながらうれしそうに象牛がひとりごちている。

おれは、なんかもう、目が点っていうか
思考回路まで点になって、言葉もなにも出ない。

えーと……、え?

「ありがとうよ、ちょっと変わっててなかなか美味しい悪夢だったわ。
 あたしゃあバク。名はユクモという。
 夢を食って生きるモノさ」

ごっくんとしてからぺろりと舌舐めずりをして、象牛はそう言った。


「こないだヒトに呼ばれたときはお役に立てなかったからねぇ。
 汚名返上さね」
なにやらまだもごもごひとり言をつぶやきながら
ひとりでうなずいている象牛は、
どうやらおれを見てにっこり笑ったみたいだった。

おれは象牛になにか言おうとしたけど、結局言葉にならなかった。
言葉にする前にのこりのおれも部屋も全部食われたからだ。

そうか、悪夢か。夢だ。よかった、やっとおれ……。



          *


「…カーイオンー?いつまで寝てんの!こら!」
「ん……」
「もう七時五分だよ!十分までには着替えてる約束でしょ!
 ったく二年生になっても全然直らないんだから。
 早く着替えなさい!ほら制服!」
「……んー」
「ん?やだ、スカートしわくちゃじゃない!もう!
 お姉ちゃんは制服こんなしわにしたことないのに、
 あんたって娘はほんと雑ねぇ!」
「んー。わかったから……アタシやっからほっといてよぉ……」

                         _■Fin

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