小説『レポートブック』
作者:鏡アキラ()

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【柴田ダニエルに関するレポート 灼熱】



「遅くなりました、すいません。これ今月の分です」
「はい。ありがとう」
「こないだ牧野ジェシカちゃんが、
 また柴田サンにやってほしいって言ってましたよ」
「ジェシカちゃんか……。お店としてはうれしいんだけどさ。
 あんまり個人的に親しくなるのもなあ。
 あの子もうけっこう有名じゃないか」
「大丈夫ですよ。
 『Mercury×Mercury』のオーナーがお相手なんて
 撮られてもむしろプラスですよぉ」
「撮られてもって何だよ。
 だいたいそんな気ないよ、一回りも離れた子に」
「一回りって、三十代と二十代とかフツーですよゼンゼン」

武田くんがけらけら笑う。
腕はたしかだし経営もしっかりやってくれてるが、
彼としゃべっていると
女の子がらみの話への食いつきがちょっと面倒なことがある。
友人としてはもうちょっと落ち着いてくれるといいんだけどな。
まあ、店舗マネージャーとしては不満はないが。

収支報告書を並べて眺める。
先月ちょっと厳しかった緑山通り店が、今月は上がってきた。
代官原本店は高めを維持してる。よさそうだ。

「真面目な話、柴田サン、なに系が好みなんですか?
 かわいい系にも綺麗系にも特別な反応しないし」
「真面目な話じゃないだろそれ。
 別に、綺麗でかわいけりゃ充分だよ。
 ただ今は仕事で手いっぱいなだけ。
 武田くんほどエネルギーあればいいんだけどな」
「えー、どういう意味ですかァ」

笑ってみせ、そろそろ解散しようと言った。
時刻は九時半すぎ。
書類をかばんに詰め込み、手を振って車に乗り込む。
三店舗回ってクタクタだ。早く帰りたい。


静かなマンションのドアを開けて靴を脱ぐ。
明かりをつけてかばんを放……
おっと、パソコンが入ってるんだった。
そっとデスクの横に置く。

腹は少し減っていたが、面倒だった。
それより先に速く会いたい。
ジャケットだけハンガーにかけ、広い寝室のドアを開けた。


「ただいま。『アルル』」


真っ先に目に入った美しいアルルは
何も言わずに視線を伏せたままだが、僕はうれしかった。
ベッドに腰掛け、部屋を見渡す。
何枚ものアルルの絵が僕を囲んでいる。
ベッドの右隣には一番最近購入した、
なんとか頼んでやっと描いてもらった顔のあるアルルの絵。
タイトルは『閃光』だそうだ。
なるほどこちらを見つめるうるうるした瞳は
閃くように僕の心を何度でも射抜く。

口内に湧く熱い液体を飲み下した。
じんわりと火照りだす体、吐息すら湯気のように熱い気がした。

「アルル……」


僕はこの半年というものずっと片恋をしている。
焦がれて悶えて、熔けてしまえたらいいのにと思うほど。
こんな想いを抱いたのは何年振りだろう。
いや、もしかしたら初めてかもしれない。



高校時代の旧友が合同展覧会に出品するというので行ってみたのが
たしか去年の暮れだったと思う。都内の小さな現代美術館だった。
友人は日本画家として屏風なんかを展示していて
僕は素直に感動した。
そして次に彫刻家の展示を見て、
その次の洋画の展示に足を踏み入れたのが、はじまりだ。


『アルル#01〜#04』、
そして『陽光』『風光』『月光』と題された絵――


正直、うそだろう、と思った。

美容室という職業がら美とつくものは見慣れていたのに、
そんな連中とは存在の種類からして違っているようだった。

無邪気でありながら妖艶でもある、
少年とも少女ともつかない不思議な麗人。
年のころは17・8だろうか。
それとも幼く見えるだけで20代だろうか。
顔がすべて描かれている絵は一枚もなかったが、
醜いから隠しているわけではないのは誰だってわかる。

とくに『月光』の、匂い立つような色香と言ったら!
なだらかなラインに絹色の肌、
小ぶりだがたゆんとしてやわらかそうな尻。
腕や指先はほっそりとして骨っぽい。
ぼうっと窓の外の月を眺めている様子は
いつか月に帰る輝夜姫を連想させた。

アルルというのは本名ではなく便宜上の名で、
月神アルテミスにちなんでつけたとパンフレットにあった。
アルテミス・アルル。
そうか、では、アルルは月から来たのかもしれない。
そんなことを半分本気で考えた。

展覧会場を出てすぐ控室を訪ね、
イセキ・サーガラというその画家に
絵を買いたいとつないでくれと友人に詰め寄った。
友人ははじめ眉をしかめたが、
僕のあまりの剣幕に押されて承諾してくれた。
次の休みに紹介された画商で絵を二枚買い
その日のうちに家の模様替えをした。


シャツを脱ぎすて、僕は、昂ぶった欲望に手をかけた。
アルルだけを見つめながら手のひらに力を込めると
震えるほどの快感が脊髄を駆ける。

美しいアルル。高潔なのに、淫靡。
犯しても辱めてもけして穢れない。
ほとんど毎日のように僕は妄想の中でアルルを抱く。
気まぐれなアルルは
少年の姿で現れることも少女の姿で現れることもあるけれど、
どちらのときも僕はかまわずむしゃぶりつく。
仮にも男の子に欲情できるなんて自分でも驚いたが
そんなのはどうでもいいことだった。
どうせアルル以外の男にそんな気を起こす日は来ない。

心臓の底から絶え間なく湧きいでる、温かいハチミツにも似た、
熱くて甘いとろりとしたなにかが四六時中僕をかき立てる。
早くまたアルルに会いたくて胸の内がうずうずするのを
必死に耐えながら仕事に臨んだ日もあった。
モデルだのアイドルのたまごだの
そんな安っぽい女達にかまっているより早く帰りたかった。

本当のアルルの肌の感触はどんなだろう。
シルク?サテン?それともむきたてのたまごみたいだろうか?
その白い肌はひんやりしているのかな、それとも温かいかな。
髪は細くてしんなりしているかな、
それとも案外しっかりした太めの髪かな。
さらさらしたクセのない髪なのは間違いないだろう。
どんな声で啼くのかな。
甘い声をかすれさせながら名を呼んでくれたら、
僕はどんなに狂喜するだろう。
アルルは僕をなんて呼ぶのかな。
柴田さん、ダニエルさん、ダニエル、ダニー、ダン。
僕に甘えるかな、それともつんと意地を張るタイプかな。
きっとペットのように行儀よくかつわがままに僕に飼われながら、
実際は僕のほうが虜で、
アルルだけに忠実な良き飼い主になるよう躾けられるのだ。
なんて素敵だろう!
アルルはセックスのとき僕の背中に爪を立てるだろうか。
声を殺すため多少噛みつくだろうか。
もしそうだとしたらかわいいな。
小さな歯型や爪痕がついたら
勲章のように絆創膏を貼って知人たちに見てもらおう。
どうしたんですかと聞かれたら、
いやぁうちのペットがね、なんて自慢げに言ってやるのだ。



ああ、アルル。
いとしいアルル。
しんぴてきなアルル。
てんしみたいなアルル。
いつもうつくしいアルル。
まるではなのようなアルル。
すきだよ








――大きく、息を吸って、荒く吐いた。
汚れを拭ってゴミ箱に放る。


シャワーを浴びなければ。
でもだるい。明日早めに起きて浴びよう。
ぴくりとも動きたくない気分だったがしょうがない。
時計に手を伸ばして
目覚ましアラームを20分ばかり早く設定した。


布団をかぶって丸くなる僕を
アルルはやっぱり静かに見つめているから、
僕は幸せな気分で眠りにおちてゆける。
実ることのない片恋に
胸をかきむしりたくなるほどせつなくなることもあるが、
僕はおおむね幸せだ。


欲を言えば、眠りにおちる最後はいつもこう思う。
いっそ僕もとろりとした熱いなにかへと
ぜんぶ熔けてしまえたらいいのに。
そうしたらキャンバスにじっとりと染み込んで、
僕も絵になれるのにと。

                 _■fin

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