小説『レポートブック』
作者:鏡アキラ()

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【立花フィアに関するレポート 焼き直し】



コネでもぐりこんだバイト先の人気美容室は今日も忙しくて有意義だった。
なんたって天下の「Mercury×Mercury」渋野駅前店だ。
お客もスタッフもみんなオシャレで、
専門学校だけじゃ得にくい生のモード情報がガンガン流れ込んでくる。
僕の仕事は受付と雑用だけど、学ぶことはすっごく多い。
しかもお金までもらえるんだからうまい話だ。クタクタだけど。

バイトを上がってすぐ店を出、地下鉄に乗り込んだ。
友人たちが待ってる。目指すは新宿三丁目。



彼を遠目に見た瞬間、バクン、と音がしそうなくらい、
酒の入った心臓が上半身全部を圧迫した。

……あの人に似てる。別人だ。でも少し似てた。

立ち尽くす僕に、連れの友人たちはピンと来た顔をして、
ニヤリと笑いながら肘でこづいてきた。

「おぉ、フィアの好みっぽいカンジー」
「あれ知り合い?」
「知らない……人」
「へえ。でも声かけてみれば?」
「えっ」
「いま惚れました。って顔してますけど?」
「ほらフィア、早く!行っちゃうわよ」
「あ、う」

友人たちに背を押されて、僕は走り出していた。


石黒先生は、中学のとき弟のクラスの担任だった。
といっても僕とトゥオは双子だから同学年で隣の組だ。
髪をきっちりとオールバックになでつけ
銀ぶちメガネにぴしっとスーツ、
宿題をどっさり出す厳しい社会科の先生だった。

二卵性だからなのか僕とトゥオはぜんぜん似てない。
トゥオはいつも、良く言えば堂々と、悪く言えばケロッとしている。
『あのおっかない石黒』を相手に
「宿題忘れた理由なんて、ないです。忘れたから忘れたんです」
としれっと言い放ったことは学年じゅうの伝説になった。
僕はどっちかというと
オドオドとかナヨナヨとか言われることが多くて
いつでも誰にでも「立花兄弟は本当に似てないな」と言われた。

先生のために社会の勉強だけはよくやってたから
「フィアとトゥオはやっぱり似てないな。なんだあのでかい態度。
 お前のまじめさを少し分けてやってくれよ」
と時々笑いかけてもらえた。
嬉しいやら、顔赤くなってないか不安やら、毎回ぐるぐるしたものだ。

そんなわけだから中学3年間のことは
ほぼ社会科と石黒先生のことしか覚えてないと言ってもいい。
とは言うものの典型的なあこがれ初恋だった。恋に恋するってやつ。

高校から今までの間に、女の子ひとり、男の人ふたりと付き合った。
女の子はお試しのちクーリングオフって感じで申し訳なかったけど
そのあとの恋愛はなんだかんだで普通にちゃんと恋愛したと思う。
別れたけど、今でもいい思い出だしいい彼氏サンだった。今も友達だ。


「あっ、あの!……たっ、煙草、吸いますか。
 火……ありますよ」
 
ナンパなんてもちろん初めてだ。
その男の人はさすがに驚いたように目を丸くした。
当時の先生くらいの歳だろうオジサマ。

「うん?」

降ってくるのは、低くて渋くてほんのすこし甘い声。先生とは違う声。
ヤバイ。近寄って見たらこのヒト予想以上にカッコイイ。
身長は5〜7センチ僕より高い。
当時の先生と僕もそれくらいの身長差だったけど、
えーっと、このヒトはつまり180近くあるってことだ。

メガネの奥の目が細くなって僕を見る。
震えそう。むしろ今たぶんちょっと震えてる。
うたぐるっていうか怪しむっていうか、とにかく眉をひそめた表情。
あ、俺もしかしてすごいバカなことしたかも。
ドン引きされてるのかも。
実は通りがかっただけでゲイとかじゃないのかも。
うそ。やべ、怖くなってきた。
オカマとかホモきもいとか言われるのもだいぶ耐性ついたけど、
ゲイでもナンパとかはナシだわーって人もいるのわかってるけど、
このヒトに引かれるのは立ち直れないかもしれない。


「……あ、いや、あの、すいません。急に変なこと言って。
 失礼でしたよね……」 

視線が外され、ふうっとため息が聞こえた。
あーもう。あー、もう。泣きそう。
酒なんかもう完全に飛んだ。体の芯なんか冷たい気がする。


「火か。……さて、喫煙所はどこだったかな」

えっ?

顔を上げると、小さな咳払い。
それからちらっと視線が僕の顔を伺う。
照れくさそうで気まずそうなへの字口。ちょっとかわいい。

マジ、いいんすか?

ほっとした瞬間、彼はふいに近づいて、
小さな声ですばやく「とりあえず行こう」とささやいた。

う、わ……!
耳がボッと熱くなる。
自分がこれから何をするのかを、
しかも自分から誘ったことを思い出して、
恥ずかしいやらドキドキするやらなんかもうクラクラした。
冷めたはずの酔いが一気に戻ってきた気がした。


彼はサトシさんと名乗った。
僕のきき方が悪かったし、
「じゃあ」とか言ってたから偽名かもしれない。別にいいけど。


それからは、もう。

何も考えなかった。
そんな余裕なかった。
久しぶりだったし、スゴかった。
なんでわかるの?ってくらいサトシさんは知っていた。
暑くて、熱くて、熔けてしまいそうだった。
ゾクゾクしすぎて神経がビリビリした。
自分でも聞いたことないような声が漏れて止まらなかった。
メガネでもスーツでもオールバックでもなくなったサトシさんの
熱っぽい目、髪からしたたる汗、切なそうな表情が、
他のすべてを塗りつぶして僕に焼きつく。
何もかもを。



甘ったるい時間を少し過ごしてから交代でシャワーを浴びた。
人とぎゅっと抱き合うってこと自体久しぶりだったから
離れるのが少し惜しかったのは内緒だ。


君みたいな綺麗な子ならいくらでも相手いるだろうに、
よくこんな何の特徴もないオッサンに声かけたな、と苦笑された。
ファッションには気をつかってるつもりだけど
僕は顔なんか普通だと思う。
でもサトシさんに褒められるのは嬉しい。
反対に、彼のほうは自分を何の魅力もないオッサンと言う。
充分カッコイイのにと言っても信じてくれない。
タイプなんですと言ったらやっと少し納得してくれた。



昔、初恋の人は先生だった。
その先生によく似た人をこんな場所で見かけて動揺した。
きっかけは間違いなく『先生に似てる』だった。

ねえ、でも、今、
先生の顔をうまく思い出せなくなってるんだけど。

これって初恋をやり直してることになるのかなあ?


                _■fin

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