小説『レポートブック』
作者:鏡アキラ()

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【斉藤イエルに関するレポート 黄色】



彼とスカナの間に何があったのか、俺は知らない。
そんなの俺には何の関係もない他人事だ。




『…そう、このあいだお店に来たお客さんでね、変わった人がいたよ。
 男二人組なんだけどね。
 17…18、19くらいかな、の、女の子みたいなきれいな男の子と、
 30くらいのおしゃれな大人の男の人のペアなの。
 どういう知り合いなんだろ』
「ふうん」

受話器の向こうから吐息の音がぼっと響く。
マニキュアを塗りながらヘッドホンで電話しているらしい。
ヘッドホンだとマイクが近いから呼吸まで拾ってしまうわけだが、
表情がわかるからそれもいいと俺は思う。今日のスカナは楽しそうだ。

それにしてもよく電話しながら作業なんかできるもんだ。
マニキュアってかなり細かい作業じゃないのか。
女の子って器用だ。よく同時にいくつものことをやってのける。
しゃべりながらお菓子を食べつつメール打つくらいは余裕で、
さらにそれをテレビ見ながらしてたりする。
それで会話とメールとテレビの内容を別々にちゃんと把握できてるなんて
いったいどんな脳構造してるんだ。
俺なんかゲームしながら電話したとき十分で挫折したぞ。

『しかもね、男の子のほうは男の人をセンセイって呼ぶの。
 でもタメ口なの』
「先生ったって学校とは限らないじゃん。
 塾とか家庭教師とか、習い事かもしれないし」
『あ、そういえば展覧会がどうこうって言ってた』
「展覧会?なんだろ。展覧会って……書道とか、生け花とかか?」
『あんまりそんな感じじゃなかったけどな。
 まあ何の先生にしてもさー、
 カッコイイ男の先生と二人で食事ってなんかエロいよね』
「サーイテー。スカナちゃんへんたーい」
『あははは!イエルに言われたくないねー』



ふわふわした真っ黒髪がかわいい女の子、スカナ。
付き合ってそろそろ半年になる。
顔立ちとさっぱりしたしゃべり口に似合わず
意志が弱くて少々ルーズなところもあるが、
まあ俺も人のこと言えないからな。
スカナは実家住まいで俺は一人暮らしだから、
最近は泊まりに来ることもよくあるし、こうして電話する日もある。
ほかの家事は一通りできるようだが料理だけは苦手らしい。
驚いたことに炊飯器の使い方さえあやしかった。
実家住まいってそんなもんだろうか。
俺実家にいたときから料理したけどなあ。
でも、俺が料理をする間にしゃきしゃきとゴミをまとめたり
洗濯物を片づけたりしてくれる姿は充分頼もしいし
手料理を喜んで食べてくれるのは俺も嬉しいから、全然不満はない。

『……うん。じゃ、日曜日。まっすぐ行ったら七時ごろつくと思うけど』
「俺より先についたら入ってて」
『わかった。じゃ日曜日ねー』
「うん、お休み。またね」


そう、俺は、不満は全然ないのに。
スカナがいれば何でも楽しいのに。

“オレ”はスカナのいったいなにが不満だったんだろう。


約束の日曜日、俺はバイトを終えて、家に着いたのは八時近くだった。
鍵はもちろん開いていて、明かりもついている。玄関にはスカナと俺の靴。
ただいまー。
それに続くおかえりの声がまだない。
それと、なんだろう、かいだことのない匂い。生ゴミかな。
出かける前はこんなじゃなかったけど。

玄関、トイレと風呂と台所を通る三歩ぶんだけの廊下、そしてドア。
を、開ける。


一気にむうっとする、なまぐさい匂い。
中には男が一人座り込んでいて、その向こうにスカナがいた。

血まみれで倒れていた。

よく、視界が真っ白になるっていうけどあれは嘘だ。
俺の視界は真っ黄色に染まる。ちか、ちか。
スカナの目は開いていたが、何も見てはいないようだった。
どうやらもう二度と動きそうにないってことはなんとなく分かった。
真っ赤な首にぱっくり穴があいているのが分かった瞬間、
黄色が濃くなって一気に吐き気がこみ上げた。
うっ、といううめき声はかろうじて出た。

そいつが振り向くまで考えないようにしていたが、
実を言うと、座り込んでいる男の後姿にはなんとなく見覚えがあった。
服も体格も。
真っ赤な包丁、真っ赤な手。
カーペットやベッドやテーブル、あちこちに指や手の形に血がついてる。
真っ赤な黄色い部屋。
男はゆっくりつぶやいた。

「……帰ってきちゃったか」

吐き気は増す。気持ち悪さがのどを押し上げる。膝が笑ってる。
おい、冗談だろう。悪夢にしたって悪趣味すぎる。やめろよ。

振り向いた。

わかってたけど。
そこにいたのは斉藤イエルだった。つまり、オレだ。

「う…ぶっ!」

あ、だめだ。溢れる。
口を押さえた手から吐瀉物がこぼれだす。
ぼたぼた。
急いでごみ箱に覆いかぶさった。だいぶあちこちにぶちまけたけど。
手がぬるぬるする。涙が出てきて鼻がつまる。

イエルが立ち上がり、バスタオルを投げてよこした。
迷ったがとりあえずおとなしく口と手を拭いた。
彼が触った部分にはもちろん血が付いた。
咳は次第におさまった。震えはまだとまらない。

「ごめん、な」

血まみれのほうのイエルも震えていて、少し泣いてるようだった。

「オレさ、一年後のおまえなんだ」

かすれきっていてよく聴こえなかったがたぶんそう言ったと思う。
声が出ない俺の疑問を察して、イエルはぽつりとつぶやく。

なあ、そんなことあるわけないよ。
俺に罪をなすりつけるために精巧に変装した殺人犯だ、そうだろ?
頭を言い訳が走る。
でも、だめだ。わかる。理屈じゃない。あれは、間違いなく、オレ。

「とんでもない大ゲンカだよ。ケンカなんて言葉にできないくらい。
 スカナ……オレのこと、好きだって言ったのに。
 初恋じゃないけど今までのなかでいちばん好きだって、
 言ったのに、さあ」

ため息のようにイエルは言葉を吐き出す。
スカナのその言葉ならたしかに俺も一・二週間前に聴いた覚えがある。
ゆわん、ゆわん。サイレンのように黄色が響く。

「オレもさ、バカだった。最低だったよ。
 けっきょくお互い最低最悪の、どろどろぐっずぐずになってさ。
 もう死にたいくらい殺したいくらい」

口の中全体から舌の付け根にかけてまでが刺すように苦いのと、
胃液の酸っぱさでのどがひりひりするのが、
そして胃が縮こまって震えるのが、全部不快だった。
ぜえぜえするたびみぞおちが痛かった。
ずいぶんリアルな夢だ、と思いたい。
そしてイエルが、説明を結ぶ。

「そのへんのことの全部のはじまりの、さいしょの発端が、明日なんだ」

彼はたぶん弱々しく笑おうとして、でもできなくて、
少し頬を持ち上げただけに終わった。
自分で言うのもおかしいけど、俺はオレのそんな顔を見たことはない。
俺はそんな顔をしたことがないと言えばいいのかな。

俺は、人や物にあまり執着するタチじゃない。
たとえば友達が一人減ったら、そりゃもちろん悲しいが、
残ってる友達をもっと大事にするとか、
新しい友達を一人以上増やすとかできればそれでいいと思う。
嫌いなやつに対してだって
どっか遠くに引っ越していなくなってほしいとか
一発殴りたいとか思ったことはあるが、殺したいと思ったことはない。
死にたいなんて思うこともほとんどないほうだ。
もめごとは嫌い。
ケンカも避けたいし、してもおおごとにはしたくない。面倒だから。
そういう部分があると自分でも思うし他人にも言われる。

その斉藤イエルが、包丁を握ったのか。
死にたいくらい殺したいと言って、
どうやったのか時間まで超えて、愛した女を殺しにきたのか。
泣きながら、血でびしょびしょになりながら。


彼とスカナの間に何があったのか、俺は知らない。
こいつの言うことが仮に全部本当だとしたって、
そんなの今の俺には何の関係もない他人事だ。

「……なあ。オレ……オレもこのあと、
 消えようっつーか死のうと思ってるんだけどさ。
 おまえ、このあとどうしたい?」

それでも俺にはこう答える以外、よさそうな選択肢はないみたいだ。

「じゃあ、まず俺から消せよ」

黄色いオレが弱々しい表情をもう一度した。
今度は、さっきよりはうまく笑えてる。

                       _■fin

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