小説『レポートブック』
作者:鏡アキラ()

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【宮根折鶴蘭に関するレポート 名前】


「片付いたでしょ」

二か月ぶりに訪ねた折鶴蘭の部屋は幾分こざっぱりしていた。
先週模様替えをしたばかりだという。
私の記憶がたしかなら、ヘアワックスとCDと漫画が
いくつか消えていた。

折鶴蘭は私にレモンティーでいいよねと言い、湯を沸かし始める。
うんとだけ答え、私は遠慮なくベッドに腰掛けてクッションを抱いた。
何とはなしに枕元にあるプレーヤーをつけて、曲のリストを見てみると、
相変わらず“SWALLOWTAIL”の歌ばかりだった。新曲が増えたくらいだ。

スワロウテイルは人気バンドで、
ジャンルで言えば、ええと、ロックのうちに入るだろうか。
私もまあまあ好きで数曲持っているしカラオケでも歌ったりするけど、
ライブがあるとなれば他地方まで足をのばしたり
同じライブを何回も観に行ったりする折鶴蘭の中毒ぶりは……
特定の歌手に執着を持たない私にはあまりよくわからない。
とりあえず新曲を選んで三角形のボタンを押した。

「砂糖は?」
「いる。あ、そうだ、こないだ借りてたCD返すわ」
「そのへんに置いといて」
「はあい。ねえ、『キャッスル』は?」
「返したけど」
「うそー、途中までしか読んでなかったのに!」
「残念でした」
「ねえあれさ、ユタカさんが失踪したとこで3巻終わってたけど、
 あのあとどうなるの?」
「言っていいの?」
「…………やだー。うー、立ち読みしてこよ」

買えばいいのにとつぶやきながら折鶴蘭はカップを私に差し出す。
そこまでじゃないんだよねえと返して私はそれを受け取る。
ああ、いい香り。
このカップまでスワロウテイルのロゴ入りグッズという“燕尾中毒”には
昔は呆れていたが、もう慣れた。

「折鶴蘭ってさあ、欲しいモノはとりあえず買う人だよね」
「何それ、人を浪費家みたいに」
「私みたいに借りたり立ち読みで済ます人ではないよね」
「ああ、まあねえ。だってもう一回見たいときどうすんの」
「って言うけど一回しか使ってないもの結構あるでしょ」
「そういうこともあるけど」
「非効率ぅ」
「うるさいな。私のこと未だにフルネームで呼ぶスウェに
 効率について言われたくありません」
「いいじゃん、かっこいい名前なんだもん」
「どこがよ。
 いまどき漢字の名前の人自体見ないのよ。
 書くとき面倒くさいったら」
「ええっ、いいじゃない漢字。
 私子供できたら絶対漢字の名前つけるよ」


宮根折鶴蘭のことを、ほとんどの人は苗字もしくは「ラン」と呼ぶ。
彼女自身も略式でいいときは自ら「宮根ラン」と名乗る。
自分の名前も植物の方のオリヅルランも好きではないらしい。
蘭というわりにはかわいらしい花を眺めるような植物ではないし、
どこででも結構見かけるからだそうだ。
私に言わせれば、こんなに美しい名前なのにもったいない。
植物がどうのというよりも響きがそれだけで美しいじゃない。
彼女自身にもよく似合っている。
書くのも面倒というけれど、
折鶴蘭のすうっとした字で書かれた「宮根折鶴蘭」は
それだけで彼女を表わしたデザインのようだ。

折鶴蘭にその名をつけた彼女の母は花水木さんという名で、雑誌記者。
その花水木さんの父であり折鶴蘭からは祖父にあたる侘助先生は、
私の通っていた中学校の教頭だった。専門は国語。
(ちなみに侘助というのもやっぱり花の名前で、椿の一種と聞いた。)
とにかく、ずっと漢字の名前を付け続けている筋金入りの文系一族ってわけだ。
私は侘助先生も国語も好きだったから、
そのへんの話を聞いたときは感動したものだ。
高校で折鶴蘭に出会ったときについ
「本物だぁ!すごい!会えて嬉しいです!」と叫んで
周囲をぎょっとさせた痛々しい思い出まである。


漢字の名前はかつて
侘助先生と同年代か少し前くらいのころに一気に流行って、
その後一気に減ったのだという。
理由はいろいろあるかもしれないし、ないかもしれない。
実際「宮根折鶴蘭」と書くのは
「井町スウェ」と書くよりずっと面倒で時間もかかる。
けれど、私たちの名前には意味がない。
スウェという言葉を聞いて何かを連想する人はほとんどいない。
折鶴蘭という言葉にはしっかりとした意味と情景がある。

「いいと思うけどなあ」
「やめなってぇ。
 漢字の名前って書けるようになるまでずいぶんかかるんだよ。
 私自分の名前書けるようになったの小三くらいだよ」
「……小三でこんな難しい字書けるのも本当はすごいんだけどね」
「そりゃ自分の名前だから。
 あ、そうだ、そんなことよりさあ、聴いた?あの事件の話」
「事件って、カップル心中?」

新曲が終わってカップリング曲が始まる。
折鶴蘭は手をのばしてその2曲目を飛ばし
3曲目を流しながら話を振った。

先月近くで大学生男女が死んでいたのが見つかったのだが、
それが私たちと同じ大学だったというので
三週間たった今もまだあちこちで噂話の花が咲いている。

彼女の始めた話によると、
彼氏による無理心中とみられていたそれが
部屋の血痕のつき方や死体の刺され方から他殺らしいと言われ
他殺の線でも捜査されだした、
しかし凶器には彼氏の指紋しかついていないことが疑問とされている、
ということだった。

「つまりさ、
 彼氏と全く同じ指紋を持つ人が彼氏を刺し殺して
 しかも出て行った痕跡なく消えた、みたいなことらしいのよ。
 怖くない?」

そういえば折鶴蘭はホラー映画好きだったなあ。
血痕の付き方なんてどう飛ぶかわかるものじゃないだろうに
ただの勘違いじゃないのかと思うけど
そんなこと言ったらまた夢がないとか文句言われるんだろうな。
ホラーに夢って何よ、まったく。

「まあ……そうだとすると、真犯人まだ捕まってないよね。
 やだなあ、危ないよね」
「そういう『怖い』じゃないんだけどな。でも確かにそれも怖いね。
 スウェんちの近く人気ないじゃん、気をつけなよ。
 兄ちゃんに送ってもらうとか」
「やだよこの年になって。
 折鶴蘭こそ気を付けなよいつも不用心なんだから。
 あ、この前の飲みの帰りどうしたの?」
「ああ、あのときはサファカくんが送ってくれた」
「ならよかったけど」

グループリピートに設定されているのか、
3曲目が終わるとプレーヤーはまた1曲目を歌いはじめる。

Bless you いいことありますように
Bless you 空につぶやいてみる
Bless you 君のために僕のために
Bless you ……

新曲のキャンペーンなのかファンが勝手にはじめたのか知らないが
燕尾ファンの間ではいまネット上やメールで
挨拶代わりに「Bless you」をつけるのが流行っているみたいだ。
折鶴蘭もそうだし、同じ科のケイ先輩もメールのしめにつけてくる。
すこしうざったがっている子もいたっけ。私は、まあ、いいと思うけど。

「そういえばさあ、サファカくんって燕尾ファンだったんだね。
 その帰りに話して知ったんだけど」
「へえ、そうだったんだ。意外なような、そうでもないような」
「うん……あ、でもダキ姐の弟だから不思議じゃないか。
 帰り際なんか『お茶ありがと、じゃあねBless you』って言ってくれたよ」
「お茶?なに、家に上げたの?」
「ああ寒かったから途中で自販機おごっただけ。送ってもらったお礼みたいな」
「なるほどね。確かに寒かったもんなあ。
 次の日なんか眠いわ寒いわで学校行ったんだ」
「私なんか次の日まるまる起きられなかったもんね。
 でも休講だったみたいでラッキーだったな」
「そんなこと言ってたねそういえば。
 あ、ラッキーってBless you効果じゃない?」
「あはは、そうかも。いいことあったわー」


スワロウテイルの新曲『Bless you』は、
習ったばかりの英語で“君”がクシャミをしたところをからかってみた、
けれど言葉の裏では君を想っています、みたいな内容の歌。

言葉の裏。そんなところに隠したって
伝わらなければ何の意味もないじゃない、と私は思う。
表に出さなきゃ何も伝わるわけがないのよ。
だから私は、その名前への憧れを声に出す。

「また、いいことあるといいね。折鶴蘭」


                  _■fin

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