小説『レポートブック』
作者:鏡アキラ()

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【結城ヒカルに関するレポート2 くすくす】



「とりあえず、そのへんに座って」

俺は定番となる台詞をかけながら部屋の中央に置かれているイスに座った。
モデルであるその美しい若者はもちろん言うとおりにするから、
芯を長く削りだした濃い目の鉛筆を握りながら俺はすぐ作業にとりかかる。

「えっと、もうちょい右。少し下向いて。で、きもち猫背に。そう」

なだらかなラインを描く背中に、突き出た脊椎が三つ四つ。
肩幅はさほどあるほうじゃないが顔が小さいからあるように見えるな。
生まれ持ったものか若さのせいか肌のきめこまかさとなめらかさは伊達じゃない。
華奢でところどころ骨格が見える、ちょっとだけ骨っぽい体つき。
日光の下では健康的な肌の色なのに
月光の下では病的な白さに見えることがある。なぜだろう。
深紅のスプレーをひと吹きしたような痕が右肩にあるが、まあいい。
今日はいくつかスケッチするだけだからたいした不都合はない。
ただ、俺を少し、煽るだけで。


「俺さあ絵描きなんだけどね。君、描いてみたい」

初めて声をかけたときは夏だった。
それもカンカン照りじゃなくてむうっとする日だったはずだ。
紺色のTシャツの上に羽織った白いワイシャツをばたばたさせていた
女の子みたいなきれいな少年が、怪訝そうに振り向いた。
高校生くらいだろうか、美しい夏の子。
ざっくりとしたショートヘアはさらさら光って時折揺れる。
長い黒髪の女の子と並べたらきっと絵になるだろう。
青春映画のワンシーンみたいな、健康的でさわやかな画だ。

ただ、俺は。
その日の蒸すような暑さがそうさせたんだろうか。
耳の後ろから流れて首筋を伝う汗に、けだるい半開きの唇に。
白いワイシャツからのびる男の子にしては細い腕に。
俺は病的なまでの色香を見た。


「ねえ」
「ん?」
「右肩、彼氏?」
「え?あ、うそ。うわー。ごめん。つけないでって言ったのに」

自分の背中を振り向いてため息をつくヒカル。

「まあ、いいけどな。今日は」
「たぶんあれなんだよね。服で隠れるとこならいいと思ってんだよね」
「え、言ってないんだっけ」
「モデル、としか」
「脱いでるとは思ってないと」
「と思う」

またもとのポーズに戻りながら、どうでもよさそうな声で答える。

着衣の絵を三枚仕上げて二枚売れ、
うさんくさいナンパおっさんではなく
それなりの実績を持つ絵描きイセキ・サーガラとして俺を信用しだしたころ、
俺はヌードの話を持ちかけた。
裸像を含む過去の作品を見たヒカルは、
ヌード自体はいいけど、と言ってこう続けた。

「まずね、その前に、センセ。
 男じゃなくて女なんだけど、わかってて言ってる?」

性別って、わかんねえもんなんだなあ。
男も女もそれなりに見てきたつもりだったんだけど、
先入観ってこんなに力あるのかな。
いざ脱いでみたら洗濯板でもなかったんだぜ。
まあ、俺が過去好んで描いたモデルは
男らしい男か女らしい女ばかりで、
こういうユニセックスなタイプに会ったのは確かに初めてだったんだけどさ。

負け惜しみじゃないが、
描き始めてみると俺の第一印象は充分当たっていた。
ヒカルの裸体はやっぱり美しく、それも人をかきたてる何かを持っていた。
肌はなめらかな月色。男じゃないのは確かだが女ともまた違った、
ふくよかでもないが骨っぽすぎもしない体躯は
もしかしたら未熟と表現するのがいいのかもしれない。
けれど形のいい唇をほんのすこし開き、
大きな瞳を伏せがちに流し、すらりとした手足を指示通りに組んだヒカルは
その唇で俺を「先生」と呼んで、くすくす笑った。
泣かせてみたいと、思った俺を責めるなら、まずヒカルのそれを見てからにしろよ。


「せん……っ、せ」

第二印象。こういうのに惚れた奴は大変だろう。
いや、大変どころかご愁傷様だ。
ヒカルは、誰も愛さない。


あまりよろしくないのかもしれないが、
俺はモデルと関係を持つことがたまにある。
もともとイイなと思うから裸を描きたいと思って頼むわけだしな。
ましてヒカルはその「イイな」の強さがケタ違いだったんだから、
もしかしたら最初から時間の問題だったのかもしれない。

半月の明るい夜だった。
外で友達と遊んで、家まで帰るのが面倒になってここに来たヒカルも、
晩酌しながら映画を見ていた俺も、酒が入っていたのは事実だ。
カーテンから漏れる月の中でヒカルは、
お酒って怖いねえ先生、と言ってくすくす笑った。
なあ、そんなの、ずるいだろう。

クッションに爪を立て背をしならせて震えるヒカル。
美しい体は予想通りの、いや予想以上の甘さで俺を潤した。
少女にしては硬質なラインを、少年にしては柔らかい肌が覆っていて。
青暗い闇に差し込む月光をヒトガタに固めたような「それ」は
男でも女でもない、ただ神々しく美しいものだった。
そう、二元論の呪縛から開放された超越者。無性なのに性的、なんて矛盾。
十以上も離れた若い体を貪る背徳にゾクゾクした。
あ、やばいかも、という思いが一瞬頭をかすめて消えていく。

最初からそのつもりだったのかと訊かれたら、
下心ってなんだろうなと返したいね。
ヌードを描くという活動に限っては
純粋な創作意欲と欲望の境界線って難しいと思うよ。
これが劣情なら一目見たときからそうだったし、
創作意欲ならこの行為すらも延長された創作活動にすぎない。
そのあと描いた絵「月光」に寄せられる絶賛がそれを証明しているはずだ。


「ま、いっか、な。
 じゃ次はあっちむいて、体育座りみたいにして。
 んで片手だけ後ろについて」
「こう?」
「おっけ」
シャッシャッという鉛筆の音がクロッキーをなぞる。
このメーカーの鉛筆の書き味が俺は好きだ。シャッシャッ。


ヒカルに恋人がいることは知っていたから、
最低なのは俺かもしれないけど、
彼のことはちゃんと好きだと言いつつ
微塵も悪びれていないのには少しだけ驚いた。

「おまえ、好きでもない相手と寝れるタイプ?」
「さあ。すきじゃない人としたことないからわかんない」

センセもすきだよ、あいつとは種類ちがうけど。
とヒカルは笑顔で言う。

ヒカルはとても無邪気に笑う。くすくす。
ヒカルのいう「すき」はいつもひらがなで俺の頭に浮かぶ。
彼氏や過去の恋人の話のときも、俺にいうときも。
五歳児が言うみたいな響きで「すき」。
チョコレートやシルバーアクセと同じ「すき」。

世の中には
本気の恋を一個しかできない人間と、本気を複数同時にできる人間がいて、
本気のほかに火遊びをする人間とあまりしない人間がいるわけだが。
もしかしたらヒカルはそもそも
恋愛なんか一切しないんじゃないかと俺は思うことがある。
本気がいくつ遊びがいくつじゃなくて、一切だ。
「すき」は一緒にいれば幸せで喧嘩したら悲しくて
他人やただの友人よりは特別な感情なのかもしれないが、
「恋しい」とか「焦がれる」とか「胸が張り裂けそう」とか
そういう感情を備えているように見えない。

くすくす。

ヒカルというのは
光るような美貌で誰しもを虜にする優男の名だったな。
数多の女を狂わせいくつもの恋を重ねながら、
本人はというと案外亡き母の面影を追っていただけだったりする。
そういうものなのかもしれない。

短い襟髪から覗くこつこつした脊椎は男。
小ぶりだが柔らかそうな乳房は少女。
喉仏から鎖骨にかけては少年。
指の長いきれいな手は女。
その肌をなぞるような気分で鉛筆をすべらせる。

もちろんヒカルがどんな恋愛をしていようが
俺にはまったくなんにも関係ない。
ヒカルが美しくそこに居て、それを描くのを許されれば、なんでもいい。
狂信者の自覚はあるよ。
俺はヒカルに殺されたってきっと許すだろう。
返り血をひと舐めして、くすくす笑ってくれたら、俺は。
その姿を絵に描けないのが残念だってくらいだな。


「せんせ」
「ん」
「腹減った?」
「んー、いや別に」
「すごいね。いまぐーって鳴ったの気づいてないんだ」
「え、俺?」
「うん」
「……言われたら減った気がしてきた」
「ふふ。もう六時だからね」
「じゃもうちょっと待てよ。これ仕上げたら飯いこう」
「はあい」

くすくす。
そうだ、その顔だ。


                  _■fin

-7-
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