小説『レポートブック』
作者:鏡アキラ()

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【桂木アラタに関するレポート 二重螺旋】


「じゃあこれ、アラタ君の分の今日のプリントね。よろしく。
 いつも頼んじゃってごめんなさいね」

山里先生はすまなそうな顔をしてわたしにプリントを渡す。
アラタは先生を嫌うけど、私は山里先生は好きだ。
おっとりしたいい人だ。優しすぎるくらいだ。
アラタのこともちゃんと心配してくれてる。
偽善だなんて感じるほうがひねくれてるに決まっている。

「ぜんぜんそんなことないです。家もべつにそんな遠くないし」
「アラタ君はまだ調子は悪いのかしら。
 私が行っても会ってくれないし……。
 元気になったらまた保健室でいいから
 少しでも顔を見せてくれるとうれしいなって伝えてくれる?」
「はい。じゃあ、先生さようなら!」
「はいさようなら。ありがとうねミチルちゃん」

悲しそうな笑顔を見せる先生が気の毒で見てられなくて、
わたしはいつも以上の元気なあいさつで職員室を出た。
先生はあと五年で定年のベテランで、不登校の子もそりゃ見てきたけど、
こんなに拒絶されたのは初めてらしい。
こんな優しいおばちゃんにアラタの態度は特にひどいのだ。
用はありません帰ってくださいと静かに言い放つのは、
帰れよババアとか怒鳴るよりたちが悪い。
私はいろんな人にもうしわけなく思う。

アラタはわたしの同い年のいとこで、となりのクラス。
頭はいいのに学校にはちっとも行っていない。
家も近くてほとんどきょうだいみたいに育ったけど、
性格は真逆といってもいいほど反対だ。
わたしの好きなものはほとんどきらい。
わたしには理解できないものが好き。
わたしのきらいな国語と難しい本が好きで、
わたしの好きな音楽とイチゴタルトと動物がきらい。
優しそうな山里先生がきらいで、
ちゃらんぽらんそうな高屋敷先生とは少し仲がいいらしい。
暗くていじいじして、なんだかいやな気分になることばかり言ってる。
頭がいいから口答えするんで、大人の手にも負えないみたいだ。

「ほら、プリント。
 今日は一次関数の応用で新しいとこに入ったから、
 わかんなかったら電話してって村上先生が言ってたよ」

ドアをあけると
パジャマ姿のままベッドに座って本を読んでいたアラタが
ちらっと振り向いた。

「今日はなに読んでんの」
「太宰治」
「はしれメロスだ」
「ううん、斜陽」
「シャヨー?ふうん。おもしろい?」
「まあまあ」

うけとる気配がないので机にプリントを置いた。
だらしない生活をしてるわりに
アラタの部屋はきれいに片付いている。
おかげでわたしはよく
男の子より部屋がきたないじゃないとお母さんに怒られるわけだ。

村上先生はああ言ったしそのとおり伝えたけど、
電話なんかくるわけないのは先生もよくわかってるはずだ。
そもそもアラタはだいたいのことは教科書読めば解けるし、
わかんないときはわたしに連絡をとる。
わたしはそんなに頭よくないから
教えられるほどわかってないこともあるけど、
そういうときはノートを見せればそれでいいらしい。
それで理解したアラタに教わることも多い。
そんなに頭いいならさっさと学校いって
テストでさくっと高得点あげればみんなに褒められるのに。

「生まれる前はさ」
「ん?」
「生まれる前はみんな天国にいたって言う人いるじゃん」
「え?ああ……まあ」
「ってことはさ、生まれてこないのが一番幸せなんだよね」

 始まった。

「そんなことないよ。みんながそうじゃないでしょ」
「そうかな」
「だいたい生まれる前のことなんて覚えてないし」
「幸せすぎた記憶から消しとくんだろ。
 これからつらいことしかない世界に生まれていくと
 思いたくないから」
「だーかーら、つらいことしかないとかって、
 そんなの全員がそうじゃないでしょ」
「人間だれしも孤独でみじめだよ」
「そんなこと言ってるからどんどん孤独になるんでしょ。
 わたしは学校楽しいもん。死にたいなんてぜんぜん思わないもん」
「ミチルは幸せだな」
「ちょっと、ばかにしてんの?」

あまりに後ろ向きなことばかり言うからいらっとして怒鳴ったら、
アラタは本当に悲しそうな顔をしていた。
アラタは黙っていたけど、
なにを思っているかわたしにはすぐわかった。
わかったら切なくてしかたなくなったから、
とりあえずアラタの左側に座って手を握った。
自分の右手につけられた傷の残るかわいそうな左手を。


幼稚園のころ、わたしは
園に行きたくないとごねて泣いてばかりいた。
絵本が好きでおゆうぎはきらいだった。
ささいなことでかんしゃくを起こして他の子を叩いたり、
逆に機嫌がいいときははしゃぎすぎてものを壊したり、
どっちにしても手に負えないような子だった。
アラタくんはいい子なのにどうしてミチルはと
何度言われたかわからない。
わたしたちは逆だけど逆じゃない。本当はあまりにそっくりなのだ。

「アラタ、あのさ、大丈夫だよ」
「……ん」
「だってさ、わたしたち真逆じゃん。
 アラタがいなくなったら、
 わたし何の逆やったらいいかわかんないじゃん」
「……、うん」

大丈夫ってなにが?って聞かれたら答えられない。
でも、ピンク色も声が大きい人も
キャピキャピする女の子も頭悪い奴もきらいなはずのアラタが
わたしをきらいと言わない以上、
そして黒い色もぼそぼそしゃべる男の子も
暗い奴も頭よすぎる人も苦手なわたしが
アラタをきらいになれない以上、
わたしたちはとにかく大丈夫なのだ。


                _■fin

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