小説『考えろよ。[完結]』
作者:回収屋()

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 [狂った母性と犠牲になる父性]

「こ、コレは、何だ……!?」
 支配人(オーナー)・魅月氏が地下のP4で愕然としていた。彼の目の前には、神の設計図(バイタルズ)を管理していた巨大水槽が。しかし、そこに居たのはアンスリューム博士。神の設計図(バイタルズ)の姿は無かった。代わりに、ハッチが開いた水槽からドロドロとゲル状の物体が、さっきからとめどなく流れ出している。
「さあッ、御覧下さいッ!」
 彼女は恍惚とした表情で両手を大きく広げ、魅月氏を迎える。
「アンスリューム、神の設計図(バイタルズ)をどうした?」
 彼の鋭い眼光が相手を射抜く。ある程度の予想はつくが、それは最悪の予想。だから、あえて言葉にはしたくなかった。
「御存知でしたか? アレがかつてアナタに接触した際、一体何を要求したのか」
 ゲル状の物体は腐った沼のようにドス黒く、嗅いだ事のない異臭を放ち、水槽の周囲のコンソールを侵食していく。
「…………」
 支配人(オーナー)は押し黙る。アンスリューム博士の顔つきは、既に説得や交渉を受け付られる状態ではない……直感でそう思ったから。
「槐が最後まで協力してくれたなら、軍部が動くよりもっと早くに事を成就できていたのに。でも、なんとか間に合いました」
 彼女はとても分かりやすく喜んでいた。科学者としての純粋な満面の笑顔。元科学者だった魅月氏が昔よく目にした、成功を勝ち得た時の無邪気な笑顔だ。つまり、彼女はこのP4施設にて何かに成功した。そして、その成功は少なくとも称賛してよいモノとは思えない……そんな気がしてならなかった。
 ゴボゴボッ、ゴボッ……
 ゲル状の物体はやがて排水溝にまで流れ出し、海中へと廃棄されだした。
「アンスリューム、もう一度問う。神の設計図(バイタルズ)をドコにやった?」
 不吉な事象を嗅ぎ取る直感のおかげで、彼はPFRSを維持してきた。が、その直感は時として知るべきではない領域に足を踏み入れ、どうしようもなく絶望的な回答を往々にして用意してしまう。魅月氏の視線はアンスリューム博士の手をとらえ、その手に持つ?モノ?が全てを物語ってしまった。
 カンカンカンッ── 
 階段を下りる乾いた音がやたらと響く。そして――
「別の問い方をしよう……棕櫚をドコへやったッ!?」
 最早、ソレは問いかけではない。確信に近いものを、事実へと確定するための通過儀礼だ。アンスリューム博士……いや、母親が手に持っていたのは、子供用の服。魅月氏がやって来る前に何が起きてしまったかは、推して知るべしだった。
「槐の時と同様に、神の設計図(バイタルズ)は私に話しかけてきました。だから、私は教えてあげました。より効率的で確実な自壊の方法を。そして、差し出したのです。15万年かけて精製された最高の『遺伝情報』を」
 彼女は完全に酔っていた。初めて目にする表情だった。ここまで豹変するものか。ここまで科学者の探究心を高揚させるものか。己のまだ小さな息子を、人身御供にしてしまう程の価値があってたまるものか。
「フリージア」
 魅月氏がインカムで呼びかける。
<なーにぃ、パパ?>
 のん気な声が返ってくる。
「今、ドコにいる?」
<えっとねえ、エレベーターのドアがたくさんあるトコ>
 どうやら一階のエレベーターホールの事を言っているようだ。
「何かあったのか?」
<うんとね、パパを追いかけて下のお部屋に行こうとしたらね、変なカッコウした人達がやって来て、「そこをどけッ!」って言ってるの。どうしよう?>
 フリージアが少し困った声で応答する。
(なるほど。准将の派遣した回収班か。ならば……)
 現状で最も優先すべき事象を考慮する。
「いいか、フリージア。オマエの目の前にいる人達は悪い人じゃない。だから、下の部屋まで連れて来てくれ。できるかい?」
<うん、できる。じゃあ、そうするのだ>
 フリージアの無邪気な声が返ってきた。
「どういうおつもりですか?」
 フリージアの言う?変なカッコウの人達?とは、沈丁花の回収型。そんな連中をP4施設に招き入れるのは、神の設計図(バイタルズ)の奪取を許す事になるワケだが、その神の設計図(バイタルズ)は……
 ゴボボッ、ズズゥゥゥゥゥ……
 完全に海へと流れ出してしまった。最早、手遅れ。ダレの手からも離れてしまい、制御不能な状態となった。
「今のところ、『惑星自壊説』に最も協力的なのは君だ。すまないが、この施設もろとも海底で朽ちてもらう」
 魅月氏が冷たく言い放つ。
「なるほど。沈丁花の連中は道連れですか。しかし、自分の娘まで墓標に加えるおつもり?」
「あの子は人畜無害。一人では何も判断できぬ可哀想な娘だ。故に、このまま私の手を離れ、良くない人間の手先に成り果てるぐらいなら、共に死んでしまった方がいい」
 彼の言葉に迷いは無かった。
「そうですか。アナタには正直なところ失望しました。神の設計図(バイタルズ)と接触した最初の科学者なら、私の意図を理解できると思ったのですが」
 そう言ってアンスリューム博士はインカムを装着し、小さな声で何かを呟いた。

 ズガアアアアアアアアアアアアアア――――――――──────ッッッン!!

 ものすごい勢いで排水溝のパネルが真上に吹き飛び、天井にめり込んだ。
「なッ、なんということッ!?」
 ズルリ、ズズッ……
 その物体は這い出してきた。全身に海水を浴び、四肢を痙攣させ、不気味な息遣いで排水溝から出現した。
「棕櫚の遺伝情報を摂取して爆発的に変異しています」
「……醜いな」
 魅月氏が軽く毒づく。通常人類の平均サイズだったバイタルズが、身長5m近くまで成長し、その薄気味悪い威容が更に増していた。
 ガコォォォォォ……
 魅月氏の背後でタイミング良くエレベーターのドアが開き、やって来た連中の視界にその光景がダイレクトにとびこむ。
「何だコイツはッ!?」
 回収型一個小隊が想定外過ぎる状況に慄き、装備していたマシンピストルを一斉に向ける。
「うっわあ〜〜! パパ、コレってなんなの〜〜!?」
 この状況でそんなリアクションのフリージアこそなんなのだが、彼女は特に恐怖することもなく、魅月氏の元に駆け寄る。
(とりあえず、出来うる限りの事はやっておこう。後は頼むぞ、蒼神君)
 魅月氏はPDAを手に取り、P4施設のメインサーバーにアクセスする。PFRSは軍部の資本により設計された軍仕様。機密性が非常に高い施設故、特に外部への情報漏洩が致命傷になりかねない箇所には、絶対的な対処法が施される。つまり、『自爆機能』である。が……

<―――― システムエラー。このコマンドは無効です ――――>

「なッ!?」
 最終手段が容易く挫折し、思わずアンスリューム博士を睨みつける。
「……? どうかされまして?」
(違うのか?)
 おかしい。この状況から察するに、アンスリューム博士が当然怪しいワケだが。彼女の表情は明らかに、こちらのリアクションを訝しがっている。なら、何が起きている? 回線が独立しているため、ワームの侵食の影響はない。なら、外部からのハッキング? システム的に不可能ではないが、ダレにも気づかれず侵入したのなら、とんでもなく大がかりなハッキングだ。個人で出来る事ではない。
「フリージア」
「はぁ〜〜い、どうしたの?」
 施設を丸ごと投棄するのが無理なら、後の厄災になるであろう対象を潰すまで。
「あの大きな?人形?をバラバラにしてしまいなさい」
「えッ、いいの? 物は大切にしなくちゃいけないよ」
「いいんだよ。アレはとっても悪い人形なんだ。だから、動かないようにしなくちゃいけないんだ」
「うん、分かったのだッ☆」
 娘は父に盲従し、腰に固定した鞘から二本のブレードを抜く。
(なんて愚かな親子なの)
 アンスリューム博士が顔を強張らせる。
「魅月紫苑ッ、神の設計図(バイタルズ)を渡せッ!」
 回収型のメンバーがあまりのカオスっぷりに声を上げる。
「欲しいのならどうぞ。切り身にでもせんと持ち帰れんと思うがね」
 そう言ってバカにするように鼻で笑い、巨大化した神の設計図(バイタルズ)を指差した。
「おいおい……ハナシが違うじゃねえかよッ!」
 ダリア准将ですら想定外であろう現状に、彼等が上手く対応できるワケもなく、銃を腰だめに構えてオロオロするばかり。
「うっりゃああああああああああああッッッ!」
 そんな中、全く恐れを知らぬ女が一名――跳躍。
 ズンッ……
 両刀をカマキリのように構え、階段を勢い良く跳び出したフリージアが、巨大化した神の設計図(バイタルズ)の首根っこに刃を突き立てた。

 ブシュウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――――――──────ッッッ!

 首筋の太い血管が切断され、おびただしい量の血液が噴水のように噴き出す。神の設計図(バイタルズ)を構成する物質や基本成分は殆どが未知であったが、フリージアが駆る単分子ブレードで斬れない物は、事実上、存在しない。
「逃げなさいッ、棕櫚ッ!」
 神の設計図(バイタルズ)に向かってアンスリューム博士が息子の名を叫ぶ。
(哀れだな……)
 その様子を見た魅月氏は目を細め、視線を逸らした。科学者として、神の設計図(バイタルズ)と同様に接触した者として、あまり見ていて気持ちの良い光景ではない。ヘタをすれば、自分が彼女と同じ道を歩んでいたかもしれないから。捧げられたのは、娘のフリージアだったかもしれないから。

[いいいィィィィィだあああァァァァァいいいィィィィィ!]
 ――――――――――ッ!?

 神の設計図(バイタルズ)が呻いたのか? ドクロのような頭部と顎を痙攣させ、明らかに痛みを主張する表情を見せた。無機質な声が絞り出され、施設中に響き渡る。
「棕櫚ッ、叩き落とすのよッ!」
 ガッ……
 アンスリューム博士の指示に従ったのか、偶然の自発的行為かは分からないが、その大きな手でフリージアを無造作につかんだ。
 ブンッ────!
 素振りでもするかのように投げ捨てた。
「あぐッ!」
 壁に背中から叩きつけられ、枯れ葉みたいに床に舞い落ちた。彼女の肉体は同じ年代の女性よりずっと筋肉質で、神の設計図(バイタルズ)より抽出したタンパク質との適合により、耐性に優れた機能を有していたが、それでも大ダメージは免れられない一発。床に倒れ伏して、大きく咳き込み吐血した。
「フリージアッ! 大丈夫かッ!?」
 父の悲痛な叫びが木霊する。が、目の前の脅威は次なるターゲットをその眼で捕らえ、挟み込むようにしてその巨大な腕を伸ばした。
「支配人(オーナー)、それではごきげんよう」
 グシャ――!
 最期に聞こえたのはアンスリューム博士の冷たい声。剣呑な音。そして、P4施設全体の電源が落ちた。

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