[優雅な船旅と喧騒の予兆]
「で、博士は自分の元職場をどうしたいワケ?」
シスターは相変わらず腰に両手をあて、大海原に視線をやっていて何だか背中が大きい。
「間違いを正したいんです」
彼は実に分かりやすく断言した。
「何で?」
「……え?」
予想外の切り返しに博士が唖然とする。
「PFRSは国が管理する正当な研究機関なんです! それを一部の職員が私物化して違法な実験を行うなど以ての外です!」
博士は身振り手振りもまじえて熱く語る。
「要するに?白?という正義があって?黒?という正義とぶつかってる。お互いが正しいと言って譲らないワケだ」
「PFRSの非道に『正義』なんかありません!」
「使われない核兵器に悪意は無し。例え使ったとしても、爆発の瞬間や死体の山を撮った映像を確認しない限り、人は『悪』を定義しない」
「閉鎖的空間の中で行われた暴挙は公に認識されなければ『悪』ではないと!? それは違う! 悪意は確かにソコに存在しています!」
咲の物言いに対し蒼神博士はつい向きになって声を荒げた。
「まあまあ、落ち着いてくださいなァ。咲チャンちょっぴり酔っちゃってるんで」
「そのとーりじゃ! 褒美として除湿剤に溜まった聖水を頭からかけてやろうぞ!」
「やめてェェェェェ! 楽しいけどやめてェェェェェ!」
バタバタバタ……
(ボクは何に負けたんだろう?)
命を狙われた。政府機関を敵に回した。さあ、示そう。自分こそ真の『白』であると。
「博士────ッ!」
「えッ? あ、はい……」
いつの間にか金属バットを片手に構えたシスターが、元気良くクライアントを呼びつける。彼女の足元には神父が倒れてたりするし。頭部から流血してたりするし。
「あたしもう飽きたッ!」
そう言ってバットをブンブン振り回す。
「あ、あの〜〜、ここから更に重要な説明を……」
「主は申されましたッ! エロゲーにオチはいらんとッ!」
ドコの主だ。
「要約するとですね、わたし達ボディガードは右脳も左脳も使わないから別にイイじゃん……ってトコロですゥ」
血みどろの神父が笑顔で言及。コイツ等、やっぱダメだ。
「……それじゃ、メインデッキのプールで遊んでてください」
彼は週末のお父さんみたいな声をもらした。
「そいつは無理だ! 水着が無い! 以上ッ!」
──バタンッ!
そう言い残してシスター、退室。
「わたしは一応持ってますけど……でも、きゃは☆」
──バタンッ!
謎のリアクションで神父も退室。
「あの……ボディガードは?」
一人とり残される始末。博士は仕方ないんでギャラリー抜きの説明を続ける。
<午前・10時24分>――モニターに映るのは監視カメラの映像。巨大な水槽の中に佇む神の設計図(バイタルズ)。その前に立ち尽くす蒼神博士の姿。
(有機物の塊……しかし、動力源は? 脳の一部で何だかの電気信号を確認したが)
口元に手をあててモニターの前で考え込む博士。そして――
<ジカン・ヲ・ムダ・ニスルナ。ハヤク・ミツケ・ロ>
しゃべった。人体模型(バイタルズ)が口も動かさず言葉を発した。
(「見つけろ」? 何のことだ……?)
カコッ
キーを打ってファイルを閉じた。とにかく情報が足りない。いずれにせよ、本部への潜入なしには回答は得られない。彼は深く息を吸って目を閉じた。
―――――――― その日の夕方から夜にかけて ――――――――
廊下で金属バットを振り回し、子供達を追い回すシスターを見かけたり。神父がバスルームから卑猥な声を発してたり。メインデッキで牛丼を立ち食いしているシスターを見かけたり。神父がキッチンで焚き火をはじめて警報が鳴り出したり。船尾でゲロ吐いてるシスターを見かけたり。神父が酔った勢いで首吊り自殺をはかったり……蒼神博士の孤独なようでやかましい船旅の1日目が終わろうとしていた。
「あ、あの……茜さん」
「なんざましょ?」
「クライアントの立場から言わせてもらいますが、ソコはボクのベッドです」
夜も更け、乗客の皆様が就寝しだす頃となった。
「はいはいそーですとも。さあ、どーぞ★」
茜はベッドの上に寝そべって博士を誘う。
「いや、そうじゃなくて……どいてください」
「ひどいッ! 体脂肪率の高い女の子をベッドから引きずり出して、寒空に放り出すおつもりッ!?」
真夏です。
「ソファじゃ駄目ですか?」
「ダメ。わたしの様な乙女は高級マットレスを使ったベッドで寝ないと爆死します」
そんな乙女はいません。
「と、とにかく、色々とマズイですからどいてください!」
蒼神槐・23歳、赤面。
「い〜や〜だ〜よ〜〜★」
「……よーく分かりました。ボクがソファで寝ます」
クライアントが寝室から追い出された。スゴスゴと撤退する博士の後ろで快適さにのたうちまわる茜。
(ん?)
彼は妙な光景を目にした。リビングの片隅で壁を背にして膝を折り、背中を丸めて座り込んでいるシスターが。
「何をされてるんですか?」
「あたしも寝る」
「そんなトコでですか?」
茜とは違いまだコスプレもしたまんまだ。
「博士ェ、咲チャンのことは気にしないでェ」
マヌケな声がそう告げる。
「そうそう、気にしない。とっとと体を休めてちょーだい。あたしゃもう眠い……」
──カクッ
首がうな垂れ、すぐに微かな寝息が聞こえだした。寝つきが良いというより即死だ。
ピッ――
照明を落とす。部屋中に淡い闇が広がる。カーテンの隙間から月光が僅かにもれる。
(疲れた……本当に疲れた)
蒼神博士はソファの膨らみにその身を沈め、目を閉じた。客船に乗って予定外の心配事が増えてしまったためか、心労で意識が溶けるのに時間はいらなかった。豪華客船のあらゆる箇所から灯火が消えていく。とても静かに消えていく。船底にぶつかる細波から海中の生物達の寝息まで聞こえてきそうな夜。
潮風が止む。
「すぅぅぅ……すぅぅぅ……」
10分も経たない内に客室は三人の寝息ですっかり満たされていた。殆どの客室で成金共が心地良い夢の中にトリップしはじめた頃……
ヒュンヒュンヒュンヒュン――
夜の帳が震えだした。金属の羽が大気と薄雲を裂く。
ヒュンヒュンヒュンヒュン――
ヘリだ。民間用でも報道用でもない。かといって攻撃的な装備も見受けられない。
ヒュンヒュンヒュンヒュン――
とても静かに飛んでいる。チューンアップされた無音ヘリだ。ヘリはゆっくりと高度を下げはじめ、客船の真上に位置をとる。
ヒュンヒュンヒュンヒュン――
メインデッキのプールの水面に小さな波を作りながら、ヘリポートへ着陸した。そして、降り立つ者。数は四人。出迎える者などダレもいない。ダレもこの来訪者達に気付いていない。乗客然り、船員然りだ。四人は一言も発さず辺りを見回している。全くもって静かだ。人も海も月も、善意も悪意も、等しく堕ちて──。
蒼神博士はクッションをしっかり抱いて──。
茜は満足感あふれる笑みをこぼして──。
咲は――――――――――――――――――――――――――――────
「……さて」
――――――――――――――――――――――――――――――──動。