「ねぇ、ちょっと一緒にこっち来てよ」
俺はもう有無を言わさず、さやの腕を引っ張って、デジタル・ピアノのところまで連れてきた。
「いた・・・・いっ。そんなに腕を引っ張らないでください。何するんですかっ・・・・?」
怒っているさやのことはさほど気にせず、俺はデジタル・ピアノのスイッチを入れ、鍵盤を眺めた。
・・・・うん、これだ・・・・・・。
そう確認してから、さやに向かって言った。
「さや、急に腕なんか引っ張って、ごめん。・・・・・・けど、今から俺がやること、ちゃんと見ててくれよな・・・・」
俺が真剣に言うと、さやも素直にうなずいて、ピアノの鍵盤を眺めている。
その様子を見てホッとしながら、俺は鍵盤の中央付近の一つの音をそっと押さえた。
静かな部屋の中に、その音が拡がる。
そして、音の余韻が消えてしまってから、さやに確認するように言った。
「今の音は、A(アー)・・・・。
A(アー)って、ラのことだったんだよな? A(エイ)って書いて、ドイツ語読みでA(アー)・・・・。
さっきおまえに教えてもらった」
さやがハッとして顔を上げ、俺を見た。
不思議そうな表情をしている。
そんなさやに、また言ってみた。
「俺、おまえがこの部屋で倒れてるのを見つけて、すごく心配したんだぜ・・・・。
――― そうだな・・・・、ここ一年分くらいの心配を、一気にしたってかんじだったぜ・・・・・・」
ちょっと、強調して言った。
「それって・・・・、わたしが・・・・・・。どうして・・・・? ホントに高橋くんなの・・・・・・?」
ようやく、さやも信じる方の気持ちが強くなってきたようだ。
「今の、確かに高橋くんしか知らないことだけど・・・・・・、それじゃ、どうしてあなたは姿が変わってるの・・・・?」
「それについては、俺より説明するのに適した人がいるんだ。その人に会ってもらいたいんだけど・・・・・・。
俺のこと、信じてついて来れるか・・・・?」
さやは、しばらく目を伏せたり、天井を見上げたりして、考えたあげく、
「わかった。あなたを信じてみるわ。この状態がはっきりしない方が怖いもの・・・・・・。
あなたがわたしに会わせたいって人に会ってみます」
きっぱりと答えてくれた。
良かった・・・・。
これでなんとか、さやをこの世界のさやに会わせることができる。
俺たち二人は、さっそくさやの住んでる場所に向かうことにして、研究室を後にした。