小説『ハーフ 【完結】』
作者:高岡みなみ(うつろぐ)

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 玲子が帰ってしまうと、部屋はがらんとしてぽっかりと穴があいたようなさみしさに満たされた。缶ビールを開けてFMをつけると、DJの甘い声が響いた。
 玲子のこういう事は早いに越した事はないというが、聡美には自分の方向がよく分かっていなかった。何かを着ているうちにそのイメージは徐々に固まっていく物なのだろうか。少なくとも今の状態がよくない事は誰の目にも明らかなのだろう。聡美はこれまでは(どこか違う)と漠然と感じてきたが、それがどこなのかはどうもはっきりしなかった。たとえどんな方向であれ、一つの方向に行ってみる事は悪い事ではないかも知れない。ここは、信頼できる玲子に任せてみるしかないのだろう。聡美はベッドに腰掛けたままビールの最後の一口を、喉に流し込んだ。

 翌朝は、抜けるような青空が広がっていた。聡美は午前中の授業だけは出て、午後からは待ち合わせ場所の渋谷のモアイの前に向かった。今日は珍しく玲子が先に着て待っていた。
「聡美、十分遅刻だよ」
と、玲子は唇をとんがらせて言った。もちろん怒っている訳ではなくおどけていた。
「ごめん、銀行が込んでててさ」
「じゃ、行こうか」
と、玲子は、すたすたとハチ公の方へ歩き始めた。ハチ公前はいつも大勢の若者に埋め尽くされていた。こんな場所で待ち合わせする人の気が知れない。だいたいこんなに人であふれていては、待ち合わせの用を足すのだろうか。
 玲子は人込みを縫うように交差点前まで進んだ。慣れている感じだった。
「渋谷って誰かに会いそうで、絶対に誰にも会わない所だね」
 玲子は独り言のように言った。
 西武の前を通り丸井を過ぎると人の数は極端に減ってくる。公園通りやセンター街の人口密度は異常だが、少しそれると人の流れを意識しないで歩く事ができる。渋谷の消防署の近くまでくると、古着の店が何軒かある。歩道にまでラックがはみ出している。人通りも少なくなってきているので特に文句を言う人もいないのだろう。玲子は慣れているように店の中にどんどんと入っていき、ラックにかかっているジャケットやスカートを次々と合わせていた。玲子は「なんと言っても、手持ちのパターンを増やさなきゃ」と誰に言うでもなく口にした。店の雰囲気は、これまで聡美は経験した事のない物だった。好き勝手に、好き勝手な物を見て、それについて店員は何のコメントもしない。それに、付いている値札が妥当な物なのかどうか全く分からない。聡美もいくつか手にとって見てみたが高い物なのか安い物なのかさっぱり分からなかった。
 玲子はめぼしい物を見つけると
「ねえねえ、これなんてどう」
と、聡美にあてがい、聡美に同意を求めたが、聡美は
「うん。いいね」
と、返事するしかなかった。もう、完全に玲子にお任せである。
 玲子は一つの店でかなり大量に購入し、そのたびに値段の交渉をした。聡美には、値引き交渉など全くできた物ではなかったので玲子のたくましさにただただ圧倒されるばかりだった。店員と玲子のやりとりを聞いていると、どうも一着二三千円程度らしい事はかろうじて分かった。単純計算すると、四十着くらいは買えそうであるが、聡美はいったいどうやって持って帰ればよいのか心配になりつつあった。
 原宿表参道まで歩いて行きSALEのワゴンを見ながら何軒かの店を回ると聡美も玲子も両手にいっぱいの紙袋を抱えていた。
 聡美はたまりかねて
「ねえ、玲子。疲れない」
と、言った。玲子も、さすがに疲れたのか
「うん。ちょっとね」
と、弱音を吐いた。
「あと何を買うんだっけ」
「うん。私としては小物とか靴とかかなって思ってるんっだけど」
「続きは明日にしない」
 時計を見ると五時を回っている。かれこれ五時間も歩き通しだった。しかも大きな荷物を抱えて。
「いったん帰ろうか」
と、聡美は提案した。
「うううう」
と、玲子はしばらく唸っていたが
「そうだね」
と、同意した。
 二人は、手近のところでタクシーを拾うと、そのまま聡美の部屋に向かった。こんなにたくさんの荷物を持って夕方の駅の中など歩きたくはなかった。

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