小説『ハーフ 【完結】』
作者:高岡みなみ(うつろぐ)

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 聡美はもともと玲子に対しては、男女の普通の恋愛の相手として見ていた。しかし、今、恋愛という関係を取り払ってみると、玲子はそれまで以上に魅力的に見えた。自分で自分自身に事をきちんと決断し、目標に向かっていく姿は、とても素敵だった。聡美はそんな玲子に対して、何もしてあげられない自分自身がとても惨めにも思えた。
 玲子は聡美に対して見返りを求めるような事はしなかった。聡美がまだ『彼』だった頃はそんな玲子に甘えているだけだった。
 聡美は玲子がいかに大きな心で『彼』を包んでいたかを強く感じた。それに物の考え方、生活力、思慮深さ、どれを取っても玲子にはかなわない。『彼』だった頃に、玲子と議論をした事が何回かあった。そんな時、『彼』は玲子を論破した事もあったが、今になって思えば、玲子の手のひらの上で踊っていただけだったのよく分かる。
 思えば『彼』は望めば大抵の事はあまり苦労せずに手にする事ができた。逆に苦労しなければ得られないような物を望む事もしなかった。この大学に入るにしろ、自分の学力に見合った大学を選択しただけだった。『何かに向かって真剣に取り組む』という事はほとんどなかった。常に余力を残し、外に対しては『真剣に取り組んでいる』という演技をしていた。
 この事は、ある程度の成果はあげた。周囲の彼に対する評価は、『可もなく不可もない』普通の青年と言う物であったのだろう。彼自身もそういう評価を望んでいた。特に目立たず、自ら目標を高くする事なく、そこそこの自分に満足していた。大学に入り、『彼』は玲子とより親しくなるにつれ、玲子の中にある強さを感じて始めた。そして自分の中にある弱さや傲慢さと言った欠点を自覚せざるを得なくなっていた。
 それと同じ頃、玲子は自らをよく分かっていた。そして、彼女自身のレベルを少しでも上げようとしていた。しかも、彼女は誰に自慢するでもなく、自分の事として自分の中だけで処理していた。一方、聡美は自分自身である『彼』に対する苛立ちを募らせていた。『彼』は、卑怯にも自分の力の範囲の中でしか動こうとしなかったのだ。一生懸命がんばったのであれば、達成感もあるだろうが、自分の力の範囲でしか動いていない聡にとっては、あまり意味のない事だった。
 『彼』は自分を良くするのではなく、全く新しい自分を創造できないかと考えるようになったのには玲子の影響は大きいかもしれない。自分の理想像をイメージしそのイメージの通りに振る舞う事で、やり直せるのではないかと思った。これまでの自分を捨てて、自分が好きな自分を作りたかった。『彼』自身は自分が考える理想とする人間像とは貧弱な物でしかなかった。明るく、やさしく、しっかりしていて、努力家で、誰に対しても公平で、正直で……と、考えてみたが、結論は出ない。聖人君子のような自分が想像できないし、もし仮に想像できたとしても、実行する事は無理な話だ。そして、万一そうできたとしても、とても面白みに欠けるつまらない人ではでないだろうか。
 『彼』にはこれまで二十年生きてきたという事実があり、今、人生観を変えられる物なのかどうかは『彼』にも分からなかった。『彼』には残り後一年半の大学生活があり、その後は、おそらく社会に出るのであろう。『彼』にとってこの一年半は長くも、短くも感じた。
 『彼』には、自己を自分で否定する所から変革が始まった。今まで自分で自分を縛っていた物を開放していった。小さな自分だけの世界での自己満足から脱出し、大きな世界に飛び立ちたかった。
 『彼』は、男性という性別からの制約からも自分を解き放ち自己の再構築をしたかった。男性である事が時として、うとましく感じられた。無意味な嫉妬や忌まわしい劣情からも開放されたかった。
 『彼』は男性ではない性を持つ者として、ゼロから始めようと思った。それはとても静かに始まった。誰に話すでもなく、儀式めいた事をするわけでもなく、さりげなく始まった。そして『彼』は聡美と名乗る事にした。
 玲子はとても敏感に『彼』が聡美に変わった事を感じ取ったようだ。玲子の恋愛相手が男性である事を放棄したと感じた時、玲子は聡美という友人として接した。玲子には『彼』がなぜ自己の再構築をしようとしたか訊けなかった。玲子は自分の恋愛を一時中断しようと考えていたのかも知れない。聡美がいつか『彼』に戻る時が来ると期待して、聡美を受け入れたのかも知れない。
 聡美が洗濯に回すTシャツを洗濯機に放り込んで、ビールを開けたのは二時を過ぎていた。

 聡美は翌日の一時限目は自主休講にしてしまった。躰が疲れていたのだ。昨日のうちに選んでおいたブラウスにスカートをはき、電車に持ってみると、自分一人が浮いているような気がした。周囲の人は全く気にかけていない事は分かっているが自分の中ではちょっとした冒険だった。昨日玲子が手伝ってくれた事で、「しぐさや服装も女性に近くなった」と聡美は思う。やはり外見が変わる事は大きな事だと思った。
 第二学食に向かうと玲子はいつものようにソフトクリームをなめまわしていた。
「こんな感じだけど、どう」
と聡美が言うと
「うん、いいよ。何だか聡美に馴染んでるもの」
と、玲子は気さくに答えた。
「後は小物と靴だよね。自由が丘でも行こうか」
聡美にはいいも悪いも無い。完全に玲子にお任せ状態である。

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