小説『ハーフ 【完結】』
作者:高岡みなみ(うつろぐ)

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 授業が終わって学食で一休みしてからバイトに行く日が増えた。土曜日曜は予備校にとってかき入れ時なので5週目以外はでることが多くなった。
 玲子は「そんなにがんばってだいじょうぶ?」と心配してくれたが、聡美には聡美なりの理由があった。これから先も出費はかさむに違いない。秋冬になればそれなりの洋服も必要になってくるし、いつまでも貯金を食いつぶすわけにもいかない。そして玲子にはもう一つまとまった金額が必要な理由ができつつあった。
 
 バイト初日は、自主休校と決めていた。ある程度仕事の説明を受けておかないと後々困ると思ったからだ。。部屋を出るまでには、まだ一時間ある。ベッドの中で「うーん」と伸びをしてからゆっくりとキッチンに向かった。コーヒーを入れ、目玉焼きを火にかけ、チーズを乗せたトーストを焼き、ヨーグルトと野菜ジュースをテーブルに準備した。
 熱いコーヒーを口に含むと、頭の中の靄も少しは晴れた。煙草に火を点け一息「ふー」と吹くと、カーテンの隙間に差し込む日の光に煙の筋がたった。ゆっくりと朝食をとって、歯を磨き、シャワーを浴びると、やっと目が覚めてきた。着替えを済ませ、薄く化粧し、鞄を持って、外へ出た。
 駅に着く頃には、背中が少し汗ばんでいた。大学に行く時とは少し違う時間帯のせいか、ホームは会社員ふうの人たちで込み合っていた。いつもの駅なのに聡美の知らない駅のホームのように見えた。いつもの聡美ならこれより三十分早いか、一時間遅い電車を利用していた。ほんの少しの時間の違いで通勤電車は、違う雰囲気を持っていた。今日は、疲れた顔をしたサラリーマンたちが無言で電車に乗り込んでいった。聡美も人の波にはじかれないように、何とか電車に乗り込んだ。これから五分程は躰を動かす事もままならない。渋谷からJRで代々木までの山の手線は思ったほどは込んでいなかった。代々木の駅から五分程歩くとめざす予備校が見えた。正直なところ(やっと、着いた)と、ほっとした。通用門から入り、冷房の効いた廊下を進み、教員室のドアを開けると、すでに多くの教員が忙しそうに授業の準備をしていた。
 天井から「教務資料課」という札が下がってる部屋の隅の方へ歩いていると
「聡美さん」
と、聡美を呼ぶ声がした。聡美は声の方にペコと、頭を下げながら声の方へ向った。
「聡美さん、こっちこっち」
と、その声は聡美を呼んだ。
 その人は面接の時に立ち会っていた高橋だった。聡美は
「おはようございます」
と、言うと、高橋は
「やあ、おはよう。今日は暑いね。ご苦労さん」
と、話しかけたが、聡美は、はいともいいえとも答えられず「はあ」と曖昧に返事してしまった。高橋は
「そんなに緊張しないでよ」
と、笑いながら言った。
「ちょっとそこの椅子で待っててね、すぐ戻るから」
と、言うと、山のようなプリントを抱えて、教員達の間に入っていった。
 聡美は(なんだか忙しそうだなあ、勤まるかしら)と思いながら、高橋を目で追っていた。かれこれ四十分ほどして授業開始のベルが鳴ると、やっと、聡美の所へ戻ってきた。
「いやあ。お待たせお待たせ、この時間帯は結構忙しくてね」
「よろしくお願いします。」
「こちらこそ、よろしく。高橋です。じゃ、取り合えず、この机を使って下さい。文房具はあの棚にあるから適当に出して使ってください。で、ここじゃなんだから、中の案内がてら、食堂に行きましょう」
と、言うと、すっと立ち上がって歩きはじめた。
 聡美は「あっ、はい」と答えながら高橋の後を追った。
 高橋は食堂へ向かう廊下の途中で教室や、自習室、資料室や、面談室などの場所を教えてくれた。食堂に入ると、もうすでに十一時近かった。
「じゃあ、具体的に仕事の話を説明するけど、分からない事があったら、その都度言って下さい」
と、高橋は聡美に言った。
 仕事の内容は面接の時に聞いた事とほぼ同じだった。主な作業は夏期講習用のプリントを作成する事だが、かなり忙しいようだ。プリント自体は教員が原案を作成し、教務資料課が内容を確認し、誤字脱字を赤入れして、教員が確認後原本を作成する。その原本から、必要な部数をコピーし、教員に戻す。との事だが、教員のチェックが遅くなる事が多いそうだ。午前中の授業で急に使用する場合もあるらしく、そんな時は出勤直後がとても大変らしい。また、各教員用の連絡プリントの作成なども行うが、これは、教務資料課だけでできるのであらかじめ予定が立てられるらしい。聡美には、プリントのコピーや製本を主にやってもらうとの事だった。また、連絡プリントの作成もする事になった。そのような事を、高橋は、教員の癖や仕事の手順をおもしろおかしく説明してくれた。
「ちょっと早いけど、そろそろ、昼にしようか」
と、高橋が言った。確かに時計を見るとまだ十一時二十分頃だった。
「食堂は十二時頃からかなり込むから、適当に手の開いた時に昼休みにしてもいいからね」
 周りを見渡すと、ちらほらと学生の姿が見えた。
「この夏期講習のために地方から出てきて、ウィークリーマンションにいる学生たちだよ。彼らは食事が大変みたいだね。午後からの授業だと、大体これくらいの時間にこの食堂で飯を食って、他の連中が、昼飯を食ってる時間は自習室に行ってるんだ。そこまでしてでも、いい大学をめざすんだね。ま、中には東京で遊ぶ口実にしているのもいるみたいだけどね」
と、高橋は笑った。高橋は
「じゃあ、今から一時間休憩にして、その後、自分の机に座ってて。あっ、それと、これIDカード、胸に付けといて」
と、言うと売店に向かっていった。IDカードには(臨時職員−今井聡美)とあった。ちょっとしたことなのだがこういう心配りはとても助かる。

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