小説『ハーフ 【完結】』
作者:高岡みなみ(うつろぐ)

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 三時近くになっても暑さは変わらなかった。風がまったく吹かず、蝉だけがやたら元気に鳴いている。聡美は試験が済んでからしばらくの間ベンチでぼんやりとしていた。試験が終わったという解放感よりも強い倦怠感に襲われていた。しかし、何はともあれ、試験は終わったのだ。やはり試験というのは大学生の最大のイベントに違いない。特に今回は、自分なりに頑張ったつもりだった。聡美はもっと達成感があると思ってみたが、実際には、とても疲れた。聡美はただ休みたいと思った。昨日、玲子と打ち上げの約束なんてするんじゃなかったと、少し後悔した。
 玲子のアパートに向かう途中で、玲子の部屋で着替えさせてもらおうと、新しいTシャツと下着を駅ビルで買った。そしてそのまま地下の食料品売り場で、ワイン、サラダ、フランスパン、ハム等々、両手に抱えるように買い物をした。(こんなに食べれないだろうな)と、思いながら、買い物をする事がストレス発散のつもりで、買ってしまった。
 玲子のアパートに着いたのは五時近くになってしまった。玄関のドアを開いた玲子は、「こんなにたくさん買ったの。すご過ぎるんじゃない」
と聡美を迎え入れた。玲子は
「私も買ってきたのがあるんだけど、こんなに食べきれないね」
と、笑った。聡美も
「へへ、ちょっと買い物に走ってしまった」
と笑顔を返した。
 玲子の部屋はとてもきれいに整理してあった。もともと、きれい好きだったが、午後に掃除をしたのだろう。ベランダには洗濯物が干してあるのが見えた。聡美は洗濯物を見ると、(ここで人が生活しているんだなあ)と妙に実感した。
 聡美は何はともあれシャワーを借りてじっとりを躰にまとわりついていた汗を流した。
 玲子は「入ると思うけど……」と言いながら、スカートを貸してくれた。確かに汗を含んだジーパンはあまり履きたいとは思わなかった。聡美は素直に「ありがと」と借りる事にした。少しきついだろうと思ったが、むしろゆるかった。聡美は、試験期間でまた少し痩せたのかなあと、思ったが口にはしなかった。
「さあ何から作ろうか」
 玲子はやる気でいっぱいだった。料理を作るとなると玲子はとても生き生きとしていた。玲子は
「出来合いのサラダとかは何かトッピングする程度でしょ。一番時間がかかりそうな物からだよね」
と冷蔵庫から豚バラのブロックを取り出した。聡美は、少なからず驚いた。
「その塊って、どうなるの」
「角煮よ。角煮。おいしいわよ」
「やっぱり、玲子は偉いよ。尊敬に値するわね」
 聡美とは作ろうとする物が桁外れに違いすぎる。二人だけのささやかな打ち上げだと思っていたが、玲子は本格的な料理を目指している。発想の根幹がすでに違っているのだ。
「聡美ができなさ過ぎるわよ。これからは自分の食事くらい自分で作れなくちゃ」
 聡美は玲子の生活力に圧倒された。聡美は、まあ、ぼちぼちと自分でできる範囲でやるしかないな、と思い、マイペースで自分のやりたい事から始めた。
 今夜のお食事は、豚の角煮、イカのマリネ、トマトがいっぱいのミモザのサラダ、ピザ、鱈のホワイトクリーム煮、アスパラガスの牛肉巻き、チキンのソテー。もうこれ以上は器がなくなるまで作った。
 二人でビールの飲みながら、好き勝手を言いながら、料理しているうちに、試験直後のもやもやももなくなっていた。
 料理ができた頃には西の空がようやく赤く染まっていた。少し冷えてしまった料理をレンジで温めなおしながらテーブルの準備を始めた。玲子はテーブルの真ん中にバラの花を浮かべたグラスをおいてすぐ横にろうそくを点けた。部屋の明かりを落として、スタンドの間接照明にすると、日中に感じた生活感が見事に隠された。
「さあ、乾杯」と言う玲子の声に、聡美は「うん、試験終了おめでとう」と玲子の持つグラスに自分のグラスを軽く合わせた。「キーン」という、乾いた音が耳の中に残った。ワインを口に含むと喉の奥が心地よく痺れた。
 玲子は、大げさに
「おなか空いた」
と、言った。
「うん、安心したら、おなか空いたね」
と、聡美も相槌を打つ。
 玲子は「さあ食べよう」と言うと、小皿に、サラダやら角煮やらを取って、幸せそうに味わっていた。「食べてる時って、どうしてこんなに幸せなんだろう。太るわけよね」と笑いながら言った。聡美は、試験期間中あまりいい食生活とは言えなかった。(だから、最後に息切れしちゃったのなかなあ)と思いながら、ピザを手に取った。
「玲子は試験はどうだったの?」
 玲子は
「完璧に決まってるじゃん」
と、笑いながら言った。
「そう言う聡美こそどうだったの?」
「完璧よ」
 聡美も笑いながら切り返した。
「でもね、実際は頑張った割りにできてないかもしない」
「あら、聡美。弱気ね。今回はずいぶん頑張ったじゃない」
「頑張る事とその結果は別だって事が良く分かったわ。今年は最初からきちんと授業にも出てたし、真面目に勉強したけど、素質というか、才能というか、何か根本的に欠けてるみたい」
 Aを取りにいった科目のいくつかは試験で失敗したように思う。良い成績を取る事と真面目に努力する事とは同じではないのかも知れない。履修する科目の選択や良いノートのコピーの入手といった要領の良さもないと良い成績には結びつかないように思えた。
 聡美はちょっと投げやりに
「まあ、私の頭ではこんなもんでしょう」
と、言うと、玲子は
「だったら私はどうなるのよ」
と、少し怒ったように言った。
「どうだったの」
「聡美よりは落ちると思うけど、自分ではまあまあ満足してるかな。できる事はやったつもりだし、Dをつけられるような科目は無いと思うから、多分単位は全部取れそうだもの」
 二人は話しながらも食べる手は止まらない。
「就職の時ってなまじCとかを取るよりその単位を落としちゃった方が有利だって言うじゃない」
「うーん、でもそれってかなり余裕がないとできないんじゃない」
「うん、それは言える。それになんだか就職する為に大学の試験受けてるみたいなものね」
 玲子は不満そうに言った。確かに大学の試験は本来自分が学びたいと思う科目についてどれくらい理解しているかを測るための物で、入社試験の延長線上にあるのは納得しがたい物がある。
「大体、普段授業に出てないのに先輩とかから回ってくるノートのコピーで試験受けちゃうんだから凄いよね」
 聡美はそうは言ってみた物の去年までは友人のノートをあてにしていた部類なのだ。しかし玲子は結果が悪くなるかも知れないと思いつつも自力で試験に臨んでいた。
「聡美はAはどれくらい取れそうなの」
「うまく行って半分かな。ダメならその半分。玲子はどうなの」
「やっぱりその下を行く事になりそうね。うまく行って五つくらいかな」
「後期に期待するしかないね」

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