小説『ハーフ 【完結】』
作者:高岡みなみ(うつろぐ)

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

 部屋の模様替えもやっとの思いで終わったのは、二十三日の昼近くだった。お昼を簡単に済ませると、外に買い物に出た。玄関のドアを開くと、眼下の家々の屋根がまぶしく光っていた。全く風はなく、よどんだ空気が肺を満たすのを感じがした。少し見上げると思わず目を細めるくらい輝いている積乱雲が、その大きな存在をアピールしていた。聡美は一瞬(やめちゃおうかな)と思ったが、野球帽を目深にかぶり直し、トートバッグを肩に掛けた。コンクリートの階段からも熱気を感じるほど暑い日だった。(こんな事にひるんでいてはいけない)と、自分に気合いを入れ直して、駅に向かう道を急いだ。駅へ向かう坂道は、照り返しがサングラスの通してもまぶしかった。家々の花も暑さにしおれているように見えた。
 駅前に着いた頃には、背中で汗が流れるのを感じた。駅前の薬局では、ファンデーションや口紅とか夏に向けて、いくつかの化粧品を買った。薬局の冷房で少し冷えた躰も外に出ると、太陽に焼かれ肌の表面から熱気が入ってくる感じがした。(もう、この暑さはうんざりだ)と思いながらも、怒りをどこにも持っていく事ができないまま、スーパーに向かった。スーパーの中も冷房が効いていて、汗が冷えていく。(こういうのって、絶対躰に悪いよね)と、心の中で悪態をついてみても、しようのない事だった。
 スーパーで一通り買い物を済ませ、外に出ると、また、熱気に包まれる。聡美は、(このまま帰るのってしんどいなあ)と、思いながら回りを見渡していた。ふとコーヒースタンドが目に入った。(うん、決めた)と、店でアイス・ラテで休む事にした。
 店の中は以外と空いていて、席を選ぶ事ができた。聡美は、ドアに近くであまり冷房の効いていない席に納まった。帽子とサングラスを外し、煙草に火を点けた。霞のような煙を吐くと、フィルターに、淡いピンクの口紅の跡が付いた。(周りの人は私がどうみえるのかなあ)と、見渡してみると誰も私の事を気にしていない。(そうだよね。こんな小さな駅前でも、人の事なんか気にしてないよね。)と、思いながらもサングラスだけは掛け直した。あまり水気の物を取るとまた汗かくだろうなとは、思ったが、すでに汗をかいた分だけ喉が乾いていた。聡美は、(今から帰って、三時前か。少し休んでから、シャワーを浴びながら、洗濯して三時半頃だから、時間は充分あるかな。少し休んで、下準備を始めようかな。)と、時間の配分を考えていた。
 二時半を回ると、日もわずかに傾き、所々に陰ができていた。聡美は、このままずっと座っていたい気持ちを振り払って、町並みの中に戻っていった。建物の陰を選んで歩いていくと、時折、店の冷房が、道に流れてくる。その度に、わずかの涼がとても嬉しかった。信号待ちの時も、細い電柱の陰に入れると少しは暑さが違う。アパートに向かう坂道は陰はほんの少ししかなく、坂道全体が真っ白に輝いていた。午前中から蓄えていた熱気を今は放出し始めたようだった。いつもは楽しみながら登る坂道も、今日の聡美にとってはかなりきつかった。わずかにある木立の陰も、坂道の熱気と湿気で快適とは言えなかった。
 部屋に戻る時には、息が上がってしまった。それでも、真先にスーパーの袋をテーブルに引っ繰り返し、なま物や野菜を冷蔵庫に取り合えず詰めこんだ。わずか二時間ほどの外出だったが、部屋の中は、熱気で空気がよどんでいた。二階建てアパートの二階の部屋のせいか、冷房を切るとすぐに暑くなってしまう。エアコンをいれ、洗濯機に洗濯物を突っ込み、そのままシャワーを浴びた。肌に貼り付いたぬめりを取るように、とてもていねいに躰中を磨いた。シャワーの後ヘルスメーターに乗ってみると、また少し体重が減っていた。部屋の中は、なんとか、湿気が取れていて、汗が心地よくひいていく。冷蔵庫から麦茶を出し、やっと、落ちつくと、玲子がやって来た。
「来たよー。わー、うれしい。冷房きいてる。やっぱり坂道がきついわ。はい、これ。差し入れ」
 玲子はお気楽な声を上げた。
「ありがと、何はともあれシャワー浴びてきて。着替えは出しとくから」
 玲子は
「ありがとう。下着は持ってきてるから、単パンとTシャツお願い。今日は何か空気がネバネバしてるね」
と、言うと、浴室へ向かった。聡美は着替えを準備して、差し入れの袋の中からなま物を出しておこうとすると、保冷袋が出てきた。開いてみると、使いかけのバターやジャム、マヨネーズやドレッシングが続々と出てきた。(奈津美と同じ事をするなあ)と思いながらも、ありがたく使わせてもらう事にして、冷蔵庫に入れた。同じような物が、三セットあると(食べ比べてみるのも面白そうだな)と思った。今日の自炊パーティーも、楽しくなりそうな予感がした。
 玲子は浴室から出ると
「なんだか、ずいぶん部屋の感じが変わったね」
と、言った。
「大変だったんだから……。もう当分、模様替えなんてしない。二年半ぶりの大掃除って感じ。でも、さっぱりしたでしょ。使わない物は、思い切って捨てたし、カーテン替えたし、蛍光灯も替えたし、ベッドもカバーを替えたし、ラックを買ってごちゃごちゃしたのは全部そのラックに突っ込んじゃった」
「へえ、ラックにもカーテンひいたんだ。いいね」
「でしょ。これも大変だったけどね」
「さあ、この状態がいつまで持つのでしょうか」
「大丈夫。きちんと掃除するから」
 聡美は笑いながら口を尖らせて見せた。

「今日は何作る?」
「この間、奈津美も冷蔵庫の中身を持って来たんだ。何か冷蔵庫の中身って誰でも同じような物なんだね」
「そんなもんでしょ。みんなそんな大した物作っているわけじゃないもんね」
「それに、今日買い出ししたし」
「じゃあ、無国籍料理って事で、そろそろやりますか」
「そうだね」
 玲子と聡美は取り合えず冷蔵庫の中からあまりものっぽい物から出しはじめた。タマネギ、人参、じゃがいも、カボチャ、レタス、キャベツ……。
 玲子は、材料を見ながら
「じゃあ、取り合えず、じゃがいものグラタン、マグロのマリネ、野菜のスティック……」と、言った。聡美はそれに続けて「カボチャのソテー、生野菜のサラダ……」と、言うと玲子は
「なんだか野菜だらけだね」
と、言った。
「じゃあ、アスパラの牛肉巻き」
「後は適当にって事で始めよう」

 やかん一杯のお湯を沸かしながら、じゃがいもやタマネギの皮をむきはじめた。
 玲子は「順番としては、下茹でだよね」と言いながら、じゃがいもの皮をピラーでむきはじめた。
「ねえ、玲子はタマネギとかピーマンの生ってOKだよね」
と、聡美は言いながらタマネギをスライスしはじめた。玲子は
「聞く前にもう切ってるじゃん」
と、笑いながら答えた。聡美はタマネギのスライスを水にさらしながら、
「じゃがいものグラタンって本当にじゃがいもだけ?」と聞いた。玲子は「ふっふっふ。秘密」
と、切り返した。やかんが「ピー」と怒りはじめると、玲子は平鍋に五ミリ位にスライスしたじゃがいもを入れて、沸騰したお湯を浸し、タイマーを一分にセットして鍋をガスにかけるた。玲子は冷蔵庫からカボチャを出して
「どれくらい食べる?」
と、訊いた。聡美は
「少しでいいんじゃない」
と、答えながら、ピーマンのスライスを終えて、タマネギとは、別に水に浸した。
 玲子はカボチャにラップし、電子レンジに入れながら
「ところで、奈津美ちゃんは、なんて言ってたの」
と、訊いた。聡美はトマトを湯剥きしながら、
「うん、家で訊かれたら、何て言えばいいのって訊きに来た」と、答えたと同時にタイマーが「ピピピ」と、一分が過ぎた事を知らせた。聡美がじゃがいもをざるに上げていると、玲子は
「それで、どう答えたの?」
と、イカを輪切りにしながら言った。
「うん、知らないって言っておいてって、頼んだけど、それじゃ済まないと思う」
と、お酢とオリーブオイルに塩胡椒して、ミルで混ぜながら、言った。玲子は、刺し身のマグロをさっと湯通ししながら
「そりゃそうだわね。奈津美ちゃんしっかりしてるからうまくやると思うけど、精神的にきついんじゃないの?」
と、言った。玲子は水にさらしておいたタマネギとピーマンを一つまみし、キッチンペーパーで水気を取りながら、「バットってどこ?」と訊いた。聡美は、食器棚の上の方からバットを取り、玲子に渡しながら
「一応、親の様子を知らせてくれる事になってるんだけど、よく考えると、奈津美が知らないって事なら、奈津美には何も言わないで私のところに電話が来ると思う」
と、答えた。
 しばらく二人は黙っていた。気まずい空気という訳ではなく、それぞれ、料理に専念していた。電子レンジに入れてあったかぼちゃが茹で上げると、しばらくさましておいた。
 卵を三つよく溶き、油は使わずカリカリの炒り卵を作り、あら熱を取ってからボウルに入れ、マヨネーズを一絞りと塩とブラックペパーと少しのレモン汁をボウルに移して、切るようにさっくりと混ぜた。トマトを八つに切り、種を洗って、サニーレタスを一口大にちぎり、皿に敷き、真ん中に炒り卵をこんもりと盛り、トマトを添えて、ラップし、冷蔵庫に入れる。バットに、タマネギ、ピーマンを敷き、イカを敷き、ミルのドレッシングを浸して、これも冷蔵庫へいれる。
 玲子はアスパラを湯通しし、牛肉をぴっちりと巻きつけながら
「何かやっぱり少ないような気がしない?」
と、言った。聡美も
「うん何となく、メインがないよね」
と、カボチャをスライスしながら言った。玲子は
「やっぱり、夏はギトギトした肉じゃない?」
と、笑いながら言った。聡美は
「ギトギトしてるのは、ちょっとパスだけど、肉っていうのは賛成ね」
と、答えた。
「決めるのは今しかない」
と、玲子は妙に力んでいった。聡美は
「今あるのって、チキンしかないよ」
と、言ったが、玲子は
「上等、上等、じゃあ、あれにしよう」
と、言った。
 アルミホイルに、タマネギや人参の残りを敷いて、そこに一口大に切ったチキンを並べ、クレイジーソルトをたっぷりかけ、その上に、バターを一欠け、ピザチーズをたっぷり乗せて、アルミホイルを閉じた。聡美は
「ねえ、これってかなりカロリー高くない」
と言うと、玲子は
「今日は特別って事にしましょう」
笑って答えた。
「後は焼くだけね」
と、玲子は言った。
 聡美は焼いている間にサラダのドレッシングを作った。市販のドレッシングにお酢や胡椒を足して、好みの味にしていた。テーブルの準備をし、サラダの仕上げをした。炒り卵の周囲にピーマンやタマネギを盛りつけた。イカのマリネはガラスの皿に移し、テーブルへ運んだ。
 その間に、玲子はアルミホイルに包んだチキンをグリルへ入れ、一つのフライパンに軽くシナモンをかけたカボチャ、もう一つのフライパンには、アスパラバスの牛肉巻きを入れ、そこに白ワインを入れ蒸し焼きにした。そして、ポテトのグラタンをオーブントースターへ入れた。聡美も、皿やグラス、箸を準備した。カボチャのソテー、チキンのホイル焼き、アスパラガスの牛肉巻き、ポテトのグラタンがほぼ同時にできた。
 でき上がってみると、思っていたより多かった。
「ねえ、玲子。結構あるね」
「うん、作ってる時って、おなか空いてるから、いっぱい作っちゃうんだよね」
 テーブルの上は、皿で一杯になった。
「おなか空いちゃったよ。早く食べよ」
「そうね」
 二人は一緒に「いっただきまーす」と言うと、箸を手にした。玲子はマリネをつまみながら
「こういう時って、普通、乾杯って言わない?」
と、笑いながら言った。聡美はすでにチキンのホイル焼きを口にいれて
「まあ、そうとも言う場合もあるかもね」
と、吹き出しそうに言った。
「ちょっと出すね。ビールとロゼのワインとなぜか梅酒があるけど、どれがいい」
と、言いいながら聡美は、冷蔵庫に向かった。玲子は
「取り合えずビール」
と、言いながら、食器棚からグラスを出した。
「では、改めまして、乾杯」
と、玲子の持つグラスにカチャっと合わせた。
 聡美が
「玲子の味付けっていいよね」
と、言うと、玲子は
「チキンの事?」
と、聞き返した。
「うん、そう。クレージーソルトってこうやって、使うんだ」
「聡美も自分の食事くらい頑張って作んなよ」
「うん、本気でそう思う。自立の第一歩だね」
「そこまで重く考える事はないけど」
と、笑いながら言った。
聡美は、ポテトのグラタンを一口食べると
「あっ、これおいしい。ふうん、こうしたんだ」
と、納得したように言った。玲子は
「そんなに喜んでくれると嬉しいな」
と、嬉しそうに言った。
「じゃがいものに少し塩が効いててタラコがまぶして、ホワイトソース敷いてベーコンの切ったのを乗せて、またホワイトソースがあって、マヨネーズを飾って、焼いてある。そんなに手間かけてなかったよね」
「ははは、手抜きよ。タラコだってパスタのタラコソースを使っただけだし、ベーコンだって、焼くのってすぐだし、ホワイトソースは市販品だし、じゃがいも下茹したら、ほとんど終わりね」
「このアスパラガスもおいしい」
「ありがと。でも聡美のこのサラダもおいしいよ」
「無理しておいしいなんて言わなくていいの。どうせ、しょっぱいのは自分でも分かるよ。今日の料理はほとんどを玲子が作ったじゃない。とてもおいしいよ。玲子のは料理で私のは切って並べただけ。でも、私は、遅ればせながらこれからいろいろやるんだ」
「へえ、妙に素直ね」
「へへ、たまにはね」

-35-
Copyright ©高岡みなみ All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える