小説『ハーフ 【完結】』
作者:高岡みなみ(うつろぐ)

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 夕食は、解凍したご飯にレトルトの野菜スープをかけるだけの、簡単リゾットにした。しかもご飯は十日ほど前に冷凍にした物だ。食材を買ってもどうせ明日からはいつものように遅い帰りになるので無駄になる。休みの日以外はまともな食生活ではなかったがやむを得ない。聡美は週に一日きちんとした物を食べている事ができれば栄養失調にはならないだろうと楽観的に考えていた。

 九時前に玲子の携帯に電話をかけた時は出なかったが、十時過ぎにもう一度かけ直すと二回のコールで出た。玲子は開口一番「久しぶりだよね」と、言った。聡美が玲子と長く会っていない事を寂しく思っているのと同じように、玲子も寂しく思っていてくれているかと思うと嬉しかった。
「奈津美と会ったんだって」
「うん、そう。奈津美ちゃんから聞いたの?」
「五日くらい前にね。同窓会の話、聞いたわよ」
「そうなのよ。聡美にその話をしとかないといけないなって思ってたんだ」
「いい話じゃないんでしょ」
「まあ、そうなんだけど、事実は事実として聞いといた方がいいわよ」
「みんなは何て話してるの?」
「私も直接聞いた訳じゃなくて、ほら、あのイトーちゃんって覚えてる?」
 聡美は高校の頃のクラスメートを思い出そうとしたがとっさには出てこなかった。聡美が黙っていると
「バスケの伊藤さんよ」
 聡美はそれで思い出した。あまり大きい方ではないが短い髪にやけに下半身がしっかりとした子だ。
「そのイトーちゃんから同窓会の次の日の午前中に電話があってね、それで私に教えてくれたのよ。誰が言い出したかは分からないんだけど、イトーちゃんが気がついた時には男の子連中が、盛り上がって聡美の話をしてたらしいの」
「私の話ってどんな事なのかしら」
「イトーちゃんもその話に始めから参加してた訳じゃないからそこんところがはっきりしないんだけど、やけに盛り上がってたらしいよ」
 玲子はいったん息を詰めてから言った
「聞こえてきたのは、ニューハーフだとかオカマだとかそういう事みたいね」
 聡美は予想はしていた物の実際に自分の耳で聞くとショックだった。
「ねえ、聡美。気にするなっていう方が無理かも知れないけど、気にしない方がいいよ」
「その話ってどの辺まで広まってるのかなあ」
 玲子は少し間を置いてから
「そうねえ……。けっこう広まってるって思ってた方がいいみたい。うちのお父さんからも、今井君はどうしてるかって聞かれたくらいだもん」
と、言いにくそうに言った。
「玲子は何て答えたの」
「別に普通よって答えといたけど、何だか変な顔してたわね」
 玲子のお父さんは誰から聞いたのだろう。聡美は自分の両親までその噂が及んでいるかどうかが気になった。東京での自分の生活の中では女性になろうとしている事の障害は小さくなりつつあった。少なくとも最近は自分自身に慣れてもきたし、割り切って考える事もできる。しかし、小さな地方都市では噂は一人歩きして家族をも巻き込んでしまうのだろうか。聡美は両親の心中を思うと、気が気ではなかった。
「ところでさあ」
 玲子は(この話はもう終わり)と言いたげに話題を変えた。
「アルバイトの方はどうなの?」
 聡美が忙しくしている様子を話すと、玲子は「そう」と、だけ言った。

 聡美は玲子との電話を切ると煙草に火を点けた。一息大きく吸い込んでゆっくりと煙を吹き出した。
 奈津美から噂になっているかも知れないと聞かされて、ある程度覚悟はしていたがやはりショックである事には変わりはなかった。高校のクラスメートの間で噂になっているというのは仕方がない。同じ大学に入学したのは玲子だけではなく、他にも何人もいる。その誰かから漏れた話なのだろう。しかし、玲子のお父さんにまで噂がのびているかも知れないというのは予想していなかった。地元で会社を経営していればいろいろな情報が入るのだろうが、いったい誰からどのような事を聞いたのだろう。そして両親はこの噂を耳にしているのだろうか。奈津美の話では聞いているかどうかは分からない。もし聞いているならどのように聞いているのだろう。そしてどう感じているのだろう。噂は時として事実とかけ離れて伝わる。あまりにかけ離れていると後で説明のしようがない。
 聡美は自分から言い出すべきかどうか迷っていた。聡美は(自分自身はもう戻れないのだろうか)と、自問した。これには少しだけ自分を見るだけで答えはすぐに出せる。もう戻る気はない。これから先、より女性になりたい、いや女性に戻りたいという思う事はあっても、男性になる事は考えられない。問題は、いつこの話を切り出すかという事と、どのように説明するかだ。それ以前に、もっと自分を見つめなくてはいけないのだろうか。以前、奈津美に話したような説明で納得する人などどこにもいないだろう。高橋とのメールのやりとりでもこれから先が本当に大変なんだ)というようなことも書かれていた。しかし、今の聡美には玲子に説明した時以上の説明をする事はできない。そもそもが、論理的な理由などないのだ。すべては(何となく男性は自分の性ではない)と感じるからだ。考えれば答えが見つかるかも知れないと思っていたが、答えが出るような事ではないのだ。

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