小説『ハーフ 【完結】』
作者:高岡みなみ(うつろぐ)

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 デパートを一歩出ると、地面からの六月のむしむしとした熱気が聡美の躰を包み込んだ。聡美は(パンツじゃなくスカートならもっと涼しいんだろうな)と、想像してみた。聡美はビルの自動ドアに映る自分の姿を見ながら(いつか玲子に付き合ってもらって、スカートを選んでもらおう)とぼんやりと考えていた。
 聡美は誰かと待ち合わせをしているふりをしながら、ガラスの向こうに映る自分をじっと見つめて、白い帽子と白いブラウスとデニム地のジャンパスカート姿で写る自分を想像してみた。(いまどき、そんな子いないよね)としか思えない。分かっているが、それ以外のイメージが沸いてこない。(みんなどんな服を着ているんだろう)と思いながら回りを見回しても、自分がどんな服装が似合うのかなんて、想像もつかない。今、身につけている黒のTシャツにジーンズじゃ、ただ髪の長い人でしかない。こんな性別不明な姿をしたい訳ではないが、どうすればいいのか自分では分からない。
 聡美には、夏に向かって、何か着る物を準備するという、差し迫った問題があった。夏にはどうしても薄着になる。今の聡美のままでは、単に、女装癖の変わった人としか見えない。
 聡美は、夕食の買い物をしただけで、そのままアパートに向かった。渋谷から東横線に乗り換える頃には、夕方のラッシュが始まっていた。吊り革に捕まって流れていく屋根を眺めていると、その一つ一つの屋根の下を想像してしまう。自慢するかのように白い洗濯物を干したベランダ、ブラインドを閉じたマンションの窓、深い木々に囲まれた邸宅。それぞれの家に、それぞれの人たちがさまざまな事を考え、この同じ瞬間を過ごしている。どこにどのような人がいるかなんて私には想像する事くらいしかできないし、そんな私の想像の中でも、私のような存在は珍しいと聡美は思った。いわゆるサービス業としてやっているニューハーフの人たちや、女装趣味の人たちが、車窓から見える建物の窓の向こう側にいるのは想像できるのに、私と同じような人がいる事は想像できない。
 聡美は、自分が女性になろうと思っていた訳ではないが、男性以外の物になりたいと思った。(もともと私は男性ではない)という思いがあった。自分が男性として付き合ってきた玲子に、その事を話した時、玲子は驚くほど冷静だった。そして、(いくらでも協力するからね)と言い、その言葉通り、玲子は全面的に聡美に協力した。玲子は一度も聡美に問いただす事はしなかった。そして、聡美は玲子に頼っていた。
 聡美は、男性を異性として見る事はないだろうなと、漠然と思っていた。その意味では、女性になりたいというのは、少し意味が違うのかも知れない。(男性以外の何かになりたい。そしてそれは女性しかない)と言ったところだろうか。薄汚い不潔な男性という存在に嫌気がさしているのかも知れない。
 改札を出て商店街を抜けると、いつものお気に入りの坂道をゆっくりと登っていった。道の両側の家々にはいつも緑の木やきれいな花で飾られていた。玲子は「聡美のアパートって好きなんだけど坂道がきついよね」と言っているが、聡美はこのなだらかな坂道がとても好きだった。何気なく止めてある自転車のサドルに猫が座っているのを見つけたりすると、立ち止まって話しかけてしまうし、道ばたの朝顔のつるが日に日に伸びてきたり、紫陽花が次第に大きく膨らんでいくのを見ていると、それだけで幸せな気持ちななれた。
 聡美は、人とのかかわりさえなければ、今のままでも十分に満足だった。

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