小説『ハーフ 【完結】』
作者:高岡みなみ(うつろぐ)

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 心療内科の初診日の前日に玲子から電話があった「一緒に行こうか?」と気遣う内容だった。
 とてもありがたかったが、聡美は「ううん、大丈夫。一人で行ってみるから」と断った。玲子からすれば、診察後、聡美がどういう心境になるかが予想できず不安だったのだろう。
 
 聡美は予約時間の十五分前にクリニックを訪れた。歯科クリニックを思わせるような、それでいて落ち着いた待合室だ。受付時に「紹介状はありますか」と聞かれたがそれ以外は問診票を記入する以外は何もなくしばらく待つように指示されただけだった。

 名前を呼ばれ診察室に入っていくとき「今井聡さん」と本名で呼ばれたことに聡美は強い違和感を覚えた。「聡」と呼ばれなくなってもう久しい。しかも、何人かの患者さんの前で呼ばれたことで恥ずかしさが胸に広がっていった。
 聡美「よろしくお願いします」と事務机を挟んで医師と対面するように腰掛けた。穏やかな風貌の初老と言うにはまだ早いくらいの医師だった。
 医師は「性同一性障害の疑いをお持ちなんですね」と、確認した。そして、ゆっくりとした口調で、なぜそう思うようになったか、家族構成や関係がうまくいているか、既往症はないかなど様々なことを訊いた。そして
「肝心なことなので、訊いておきますが、手術はお考えですか?」と訊いた。
 これは聡美もさんざん悩んだことだった。そして。小さく「はい」と答えた。
「やはり、私は、今の今の躰を嫌っています。手術ですべてが解決するとは思わないし、リスクが高いことも分かります。でも、やっぱり嫌なものはいやなんです。理屈じゃないんです」
「ホルモン剤は使っていますか?」
「・・・はい・・・」
「そうですか、なるほど。では、四週後の同じ時間に予約を取ってもまた来てもらいたいのですけど、その時に『自分史』をもってきてほしいんだけど、できそうですか?」と訊かれた。
「自分史って何を書くんですか」
「そうねぇ、人によっていろいろだけど、物心ついてからどう育って、そのときどう感じたと言うようなことを中心にA4で数枚でもいいし十ページ越えてもいいし、思ったように書いてきてください」
 聡美は、そんなことを言われるとは思っていなかったので、レポートの宿題を出されたような気分で「はい」とだけ答えた。
 そして、少しの勇気を出して
「私は性同一性障害なんでしょうか?」と訊いてみた。
「今の時点では軽々しく言えないけど、その疑いはあると思いますよ。今後はゆっくり色んな話しをしていきましょう」
 
 診察室を出たのは四十分くらい過ぎていた。思った以上に長く話していた。会計を済ませ、外に出ると医師の「その疑いはあると思っていい」という言葉がリフレインのように繰り返された。
クリニックの前で立ちすくしていても仕方がない。とりあえず、駅前のコーヒースタンドに向かった。

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