小説『ハーフ 【完結】』
作者:高岡みなみ(うつろぐ)

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 十月も半ばになると少し冷えこんで来る。聡美はアルバイトから帰ると、一人の男性がアパートの前にたたずんでいるが見えた。遠目からでもすぐに分かる。父親である。もう何年も会っていない気がした。
 聡美は一瞬ためらったが「お父さん」と声をかけた。父親は聡美を上から下までなめるように長め軽くため息をついた。
「とにかく、中へ入れてくれ。トイレに行きたくてたまらん」と言う父親を部屋に招きいれた。父親は部屋をちらと眺めてからトイレを使い、出てくるとどっかりと腰を下ろした。
「とにかく、今日中に帰らなくちゃいけない。だからあまり時間がないから単刀直入にいうが、なんでだ。なんで男じゃダメなんだ」と静かにいった。
 しばらく沈黙が続いた。奈津実からは「怒り心頭だよ」と聞いていたが本当らしい。静かな口調の時は本当に怒っている証拠だ。
「・・・それは、分かってもらえるとは思ってないけど、できれば認めてほしい。理由なんてよく分かってないというのが本当のところかな」とかろうじて答えたが、絶対に理解してもらえないだろうと思っていた。
「そんなことじゃなくて、男のおまえがなんで女の格好で堂々と外を歩けるのかその神経が分からんのだ」
 聡美は、本当の気持ちを答えるしかない。逃げるわけにはいかない。今言わないと一生言えなくなるかも知れないと覚悟を決めた。
「ねぇ、お父さん。信じられないかも知れないけどホントは私は女で生まれるはずだったんよ。それが間違って男の躰に入っちゃった。これまでは何となく生きてきたけど、自分のことを考えれば考えるほどそう思える」
「狂ってるぞ。おまえ」
「狂ってるのかも知れない。でもね、狂ってるかも知れないから病院にも通い始めたし、何とかしようとがんばっているの」
「理屈になってないだろう」と父親は激昂し、立ち上がると、机の上のはさみをとった。
 聡美には父親が何をしようとしているかすぐに想像できた。髪を切られる。と同時に髪をわしづかみにされ、ジャリという言う嫌な音とともに、大きく二度はさみを入れられた。
 そして、ベッドにおいてあったカットソーやスカートにもはさみを入れた。
 父親ははさみを投げ捨てると
「おまえは、女に生まれなかったんだから仕方がないだろう。男らしく生きてみようとは思わないのか?」と詰め寄った。
「男らしくある前に人間らしくありたい」と答えてしまった。火に油を注いだようなものだ。
「今のおまえが人間らしいといえるのか。おまえの言う人間らしいってなんなんだ言ってみろ」
「・・・私は・・・」といってはみたが、その後が続かない。まだ自分自身の中に答えなどないのだ。
「答えられないじゃないか」と、父親は激しく聡美を揺すった。その拍子に右ほほをベッドの角にぶつけてしまった。痛みが走る。
父親は、ふっと静かになった。
「まだまだやり直しはいくらでもきく。元の生活に戻れ。仕送りだけはこれまで通りしてやるが、そんな格好で帰ってくることだけはまかりならん」
 そういうと、手についた聡美の髪をぱんぱんと払い部屋を出て行った。

 聡美はしばらく放心状態だったが、砂が詰まったように疲れ果てた躰を無理矢理起こして部屋を見回した。思った以上にひどいありさまだった。テーブルのカップも割れ、いすも倒れていた。
 そう、髪はどうなったんだろう。鏡を手に取ると割れていたので、洗面台まで行って見た。左半分がひどい状態だ。ベッドに打ち付けた右ほほはすでに青あざになっている。よく見ると、足のあちこちにも痣ができている。髪を切られるときによほど抵抗したのだろう。

 聡美はのろのろと片付けはじめた、割れてしまった鏡やカップをレジ袋に入れ、着られた衣類もゴミ袋へつめ、丁重に掃除機をかけた。着ていた服もよく見ると引きちぎられている。これもゴミ袋行きだ。

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