小説『ハーフ 【完結】』
作者:高岡みなみ(うつろぐ)

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 奈津美の大学の話がひとしきり済むと、奈津美は三本目のビールを開けながら訊いた。
「ねぇ、お兄ちゃん。私、やっぱり、よく分からないんだけど、どうして男性という物じゃダメなの?」
 二人で飲み始めて一時間ほどした頃から、奈津美にとって「聡美」は「お兄ちゃん」に戻っていた。しかし、聡美はお兄ちゃんではなく聡美として、
「自分でも、この方法しかないんだって、決めている訳じゃないのよ。男のいやらしい部分っていうのがあって、それって一度、気にしはじめるとどんどん深みにはまっていくように、気になって仕方がないの。もしかしたら、大した事じゃないのかも知れないけど」
と、答えた。
「男のいやらしい部分っていうのがよく分からないけど、女の子の方がいやらしいんかも知れないよ。人にもよるけど計算高い子も多いし、それに、内にこもっていじいじしちゃう娘って多いじゃん」
「内にこもるのは、性別じゃなくて個性じゃないの。男でもはっきりしない奴っているし、その事自体は一概に悪い事とは言えないんじゃない?」
奈津美は
「そうかなあ。内にこもるのは個性じゃないかって言うのは分かるけど、いい事じゃないよ」
と、反論した。
「見解の相違かも知れないけど、表現を変えてみると、内にこもるって言うのは、思慮深いとか慎重というのと似てない?」
「それはちょっと違うと思う。内向的って言う方が近いんじゃないかしら。自分に中でいろいろ考えて、その結果を、外に向かって言えるかどうかが、問題になるんじゃないかしら。女の子ってやっぱり全然外に出さない子とか、小さなグループの中でしか何も言えない子って多いと思うな」
 聡美は、煙草に火を点けながら「そんなもんかしら」と、言った。
 奈津美は聡美がテーブルに置いた煙草の箱から器用に一本を抜き取ると、火を点けながら
「そんなもんだと思うなあ。少なくとも私の周りにはそういう娘って結構いるよ。いいとか悪いとかじゃなくて、事実としている。それより、私はお兄ちゃんの言う男のいやらしさって言うのがよく分からないのよね。エッチしたいとかそういう事じゃないんでしょ」と、言った。
 聡美は妹の口から「エッチ」という言葉を聞き、少なからず戸惑い、「そりゃそうよ」とあわてて言った。そして
「男のいやらしさって言うより、聡のいやらしさかも知れないわね。妙に嫉妬深かったり、疑心暗鬼になってみたり、自分の優位性を主張したかったり、そんなこんなが胸の中にいっぱいにひろがっちゃう。そうしている自分に自分が気づいてしまうって事は、他から見るともっとすごい変な奴でしかない、と思ったの。自分でも上手く言えていないけど、何となくそう感じるの」
と、付け足した。
 奈津美は、ゆっくりと煙を吐くと
「うん。うまく言えてないと思う。私、全然分からなかったもの。でも、そういうのって、性別に関係ないんじゃないの。別に女性であっても同じでしょ。それに、程度の違いはあるかも知れないけど、誰でも持っているんじゃないかしら」
と、言った。
 聡美は、
「うん。それはよく分かる。誰でもそうなのかも知れない。でも、一つ一つは、小さな事なんだろうけど、気になりはじめると、いつまでも残ってしまう。奈津美から見て聡ってどういう人間だった」
と、奈津美に問い掛けた。奈津美は、
「改めて考えた事なんかないけど、ごく普通の人じゃない。異性の目で見たら、少し物足りないかも知れない。いい人過ぎちゃう……」
と、答えながら、灰皿に煙草を押しつけた。聡美も、奈津子に従うように灰皿に煙草を捨てた。
「いい人かあ。それって絶対まちがってるわね。それだけは自信を持って言えちゃう。聡なんていう人は全然いい人じゃないよ」
「そうかなあ。私の知ってるお兄ちゃんはとてもいい人だよ。どうして自分をいい人じゃないって言えるの。もし、自分でいやな部分があるんだったら治せばいいじゃない」
「玲子と話していても、よく、聡はいい人だからって言われたけど、私にはいい人には思えないのよ。だって、自分が考えている事が自分勝手だって一番よく知っているのは私だもの。自分が気持ち良くしていたいから、自分の回りの居心地を良くしてるだもん。自分がいやな部分は治せばいいのかも知れないけど、いやな部分が多すぎるし、絡み合ってるから、何処から手をつけていいか分からない。それなら、いったん全部捨ててもう一度やり直したいな、って思ったの」
「やり直すって言っても、そんなの無理よ。だって、もう二十年もこうしてきた物を捨てるのなんて不可能だわ」
「うん。できないかも知れないし、奈津美の言っている事の方が正しいみたい。でも、じゃあ私はどうすればいいのかしら」
 奈津美は
「元に戻るだけじゃダメなの」
と、真っ直ぐ聡美を見つめて言った。聡美は独り言のように
「捨てられないのかなあ」
と、言った。奈津美はそんな聡美に答えるかわりに、
「玲子さんとはどうなっているの」
と、訊いた。聡美は
「特に何も言わなかったけど、ショックだったと思うよ」
と、答えた。
「で、その時、お兄ちゃんはどうしたの」
「特に何もしてないわね。というより何も言えなかったし、何もできなかった」
「それと、自分自身のいやらしさって言うのもよく分からない。誰もがいろんないやらしさを持っていると思うし、それと、今のお兄ちゃんの行動がなぜ関係しているかが分からない。もしかして、ゲイ」
 聡美は、奈津美の「ゲイ」と言葉にビールでむせそうになった。
「違う、違う。ゲイじゃない。男性を自分の性の相手に考える事はできないよ。かと言って、今は、女性も対象に見えない。なんだか、精神的には中性化しているというか、どちらとも交わらないような気がする」
「ふうん。それなら、なぜ、男性のままじゃいけないの。別に構わないんじゃない、男性のままで」
「正直言って自分でもそこが良く分からない。でもとても大きな違和感を感じる事は確かね。女性でいる方が落ちついていられる」

 話が終わったのは、夜中の二時を回っていた。汚れた食器を流しに運び、交代にシャワーを使い終わったのは、三時近くになってしまった。奈津美のための布団を敷き、聡美もベッドにはいった。聡美は、電気を消し、目を閉じていると奈津美の言葉が浮かんでは消えていく。
 私が私であるという事がどういう事なのか。聡美にはそこがはっきりしない。奈津美は結局理解してくれたのだろうか。私が理解していない事なのだから、奈津美が理解する事などないだろう。聡美には自分が何にこだわり、これからどうしようとするのか、自分でもよく分からない。聡美の事はいずれ両親にも知られる事になるだろう。その時どのように釈明すればいいのか。自分の将来をどのように設計すればいいのだろう。すべてはなかった事にして男性に戻れば簡単な話なのだろうが、そこにはどうしても引っかかる物を感じてしまう。
 奈津美も心配していたが玲子はどのように受け止めているのだろう。聡美にとって玲子はかけがえのない存在だ。決して失いたくはない。しかし、こんな自分にいつまで付き合ってくれるのだろう。玲子に直接訊けばいいのだろうが、今のところその勇気もない。聡美の中にはいろいろな不安が沸き上がり、その一つ一つが大きく広がっていくのを感じた。
 聡美がようやく眠りに入ったのは窓が白く輝きはじめた頃だった。奈津美も眠れなかったようで、何回も寝返りをうつ気配を感じた。

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