小説『地上最後のサラリーマン その名も吉田さん』
作者:グラン・ブルー()

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ある日、会社から家に帰ると誰もいなかった。


いつもなら女房が夕飯の支度をしており、息子は音楽をガンガン鳴らし,
娘は携帯電話で彼氏と喋っており、喧騒この上ないのだが。


しばらく待ってみたが誰も帰って来ない。外に出て見た。車も電車も止まっている。
ご近所を覗いて見たが静まり返っている。呼んでも返事が返って来ない。誰もいな
いな…と確信した。ただ僅かな風が吹いている事だけを感じた。


月曜日になって出社した。ここに来るまで誰にも会っていないので当然の結果が待
っていた。誰もいなかった。


だけど体が反応した。誰もいなくても仕事は仕事だ。俺は男だ!働いてナンボなのだ。
夢中で書類をかたずけた。


現場に行ってみた。誰もいないから当然、機械は動いていない。これではいけない。
明日もしかしたら、皆、返ってきて受注したパーツを受け取りにトラックがやって
来るかも知れない。俺だって入社して5年間は現場で汗水流して働いて来たんだ。
今だって、こんな機械の操作など造作もない事だ!



だけど機械は動かなかった。当然だ、電力の供給がない。



翌日から慣れない仕事が続いた。発電機を用意して燃料を用意して、機械を動かす準備
をした。誰もいないので物は幾らでも手に入ったが、ある時ふ、と思った。俺は息子達
にこう教えて来た。


≪どんなに困っても、間違った事だけはするな≫


俺は物を手に入れた、全ての店に行って代金を払った。


やがて、機械は動いた。俺は猛烈に働いた。明日、皆、帰って来るかもしれない。その
時パーツがなかったら大変だ!予測される発注伝票を自分で作り自分で受注伝票を作り
自分で働いてパーツを作った。




ゆっくりと確実に時間が流れて行く。年の瀬を迎えると、無性に寂しくなる。レンタル
ショップで借りた、賑やかなDVDを見ていると家族を思い出し泣けてくる。そんな時
は酒で紛らわした。大声で歌を唄った。


自分で給料明細をつくるのも可笑しな話だ。今年の昇給はこれ位だ。いい加減には出来
ない。明日、皆が帰って来て問い詰められるかもしれないから。


今日は日曜日か。久しぶりにゴルフにでも行くか。帰りに、はるか彼方の水平線に輝く
閃光を見た。天然ガスの備蓄用ベースがあの方角にある。何等かの要因による爆発に違
いない。タンクの経年変化なのか、こんな事がちょくちょく起きる。こちらには火災の
心配はなさそうだ。こんな事にはもう慣れっこになっている。


自家栽培は上手くいっている。菜食主義にした。健康には気を付けなければいけない。
淡白質は無限にある。肉の缶詰が無限にある。


何だか老けて来た。色々考えた事を実行に移して行くべきだ。時間はたっぷりあるよう
に感じるが確実に老いは迫っている。


今日が仕事の最後の日。自分で作った、定年勤続感謝状を読み上げる。泣けて泣けて仕
方がなかった。現場の倉庫には私が作った車両用のアルミパーツが倉庫にあふれている。
入りきれないパーツは、はるか隣町まで置かれており、パレットに載せられたものは防
水用の透明シートが被せられ淡い陽光に照らされてキラキラと輝いている。

皆、見てくれ。家族よ、見てくれ。お父さんは最後までがんばったぞ。最後まで働いたぞ!!



ゆっくりと確実に時間が流れて行く。定年退職後がこんなにつまらないものとは思わな
かった。体力の衰えた身体で会社に行ってみた。働いていた、あの日が懐かしかった。
会社の本社ビルは長く伸びた雑草で見る影も無い。よろめきつつ機械を再起動させよう
としたが二度と機械は作動音を上げる事はなかった。


家族の写真、数十枚に囲まれて寝たきりの生活が続いている。そろそろ覚悟をすべき時
が来たようだ。


自分の葬儀を自分で挙げるとは思わなかった。でも準備が出来ているから大丈夫だ。香
典は自分で出した。もの凄い数の香典が集まった。何だか、報われた様な気がした。私
の仕事が報われた様な気がした。


準備しておいた棺桶に何とか入った。身体の節々が痛み背筋を伸ばす事も出来ない。そ
の時、思った。明日、皆が帰った時、みっともない姿勢の私の屍(かばね)を見たら何
と思うだろう。






胸には定年勤続感謝状を抱き、威儀を正して吉田さんは逝ってしまった。

その後方では、吉田さんの作ったパーツが無限の輝きを放っていた。







                          △ Grand Bleu 2009 2/17




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