小説『sayabian nights』
作者:角館沙耶()

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第八夜。

火蜥蜴がサヤ・ビアン様の胸の中から姿を現すと、サヤ・ビアン様は口から火の玉を吹き、それが鉄格子を越えて通路に火をつけた。炎はみるみるうちに狭い通路の床を、壁を、天井に燃え上がり、あっと言う間に炎は私の周りを取り囲んで、来た道すら燃やし尽くす程に燃え広がった。キングは、依然としてサヤ・ビアン様の眼球を口に咥えたまま、目を閉じてじっとしている。

私は驚くでもなく、逃げるでもなく、ただそこに、座り込んだままことの成り行きを呆然と眺めていた。すると、火蜥蜴がサヤ・ビアン様の胸から飛び出し、一直線に私のもとへ飛んで来た。火蜥蜴は私の膝頭にまとわりつき、ちろちろと燃えるその炎の舌先で私の肌に触れた。チリチリとした感覚が私の神経を走る。熱いのか、冷たいのか、座り込んで足が痺れてしまった時のように、肌の外側と内側で炭酸水の泡が弾けるような感触が心地悪かった。

サヤ・ビアン様はその様子を鼻腔で嗅ぎ取っているように思われた。

ヤバイ。私は殺されてしまうかも知れない。

直感的にそう確信した。

キングが肩膝をついてサヤ・ビアン様の目玉を咥えたままのそのままの体勢で、自身の肩にかけている大鎌の柄を握るのが見えた。

ああ、いよいよ、ヤバイ。

私は覚悟を決め、ぐっと目を閉じた。

1秒、2秒、3秒、4秒、5秒、6秒・・・・・。

ん、何も起きないぞ。どうした?

私には目を閉じても開いても辺りの様子が見えていたが、あえて目を瞑ったままでそのまま待った。

サヤ・ビアン様が何事かもごもごと呟くのが聞こえた。キングは口からサヤ・ビアン様の目玉を吐き出し、それをきれいに元に戻した。つまり、サヤ・ビアン様の目玉を本来彼女の顔の中のあるべき位置に戻したのだ。その目はきちんとサヤ・ビアン様自身の眼窩に納まった。だが、やはりブルブルとその目玉は震えて今にも落っこちそうになるので、キングは手早く右手でその目を押さえ、左の手をその右手の上に重ねるようにかざすと、白いレースの目隠しがするするとサヤ・ビアン様の目に巻かれた。

気が付くと火蜥蜴は私のもとを離れ、こちらに向いたままバックするように、サヤ・ビアン様の鉄格子の中へと戻っていった。

サヤ・ビアン様はその火蜥蜴を手の平に乗せると、頭からごくりと飲み込んでしまった。火蜥蜴はサヤ・ビアン様の心臓の中へ戻ったのだろう。

キングとサヤ・ビアン様は何事か言葉を交し合って、サヤ・ビアン様の口元が大きく歪んでニヤリとするのが見えた。キングは頷くと立ち上がり、くるりと踵を返し私の方へ向くと、一目散に全速力でこちらに向かって走って来た。正直、私はこの男があの巨大な鎌を抱えたまま何故あんなに早く走れるのかとどうでもいいことを気にしていた。

と、キングの後方、つまり、サヤ・ビアン様の鉄格子の前に鋼鉄のシャッターのようなものが落ちてくるのが分かった。ドーン!!ドーン!!ドーン!!ドーン!!ドーン!!ドーン!!と轟音を立てながらシャッターは合計6枚、天井から降りて来た。キングは物凄い勢いで私の元へたどり着くと私をひょいと抱え上げ、もと来た道を引き返す為に狭い穴の底を昇る為にへその緒のような、赤っぽい肌色のような気持ちの悪い感触のするロープを掴み、私と大鎌を肩に担いだまま一気に出口へ向かって昇っていった。

あまりにも勢いよくキングが走って来たので、私は面食らって、さらにあまりにも勢いよくキングに抱え上げられて私の視界は大きく揺れた。そしてぐっ、ぐっ、と一言も何も言わずにロープを掴んで昇って行くキングの背中や腕の筋肉の感触は、紛れもなく人間の男の生身の体の感触がした。タナトスの王と呼ばれるこの男は、かろうじてまだ人間であるのが分かった。

少し、キングの動きが緩やかになったので、私は思い切って聞いた。

『さっきのは何だったんだ?』

キングはロープを手繰り昇りながら答えた。

『さっきのってどのことかな』

私はその言葉を受けて続けた。

『あの、シャッターみたいなものは何だ?防火扉か?サヤ・ビアン様はどうなったのだ?』

キングはふっ、笑みを漏らし、言った。

『相変わらず、お前は矢継ぎ早に質問を繰り出すな。さっきの防火扉みたいんものはこの城の警備システムみたいなものだな。あいつと話す時、話が終わるといつもああなんだ。あれに挟まれたら、さすがの俺でも身動き取れなくなっちまうからな。だから一気に駆け戻らなくてはならない。この年でこの俺に全速力で猛ダッシュをかけさせられるのはサヤ・ビアンただ一人だな。ああ、疲れたぜ。俺はここを昇りきったら、後で酸素マスクをしなけりゃならないだろうな。』

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