「父上、此れで話は終わりでしょうか」
「うむ、虎千代達は此れで終わりじゃ。此れから小奴と話を詰めるでな、部屋に戻って良いぞ」
「はぁ……分かりました。では聖正殿、此れから宜しく頼む」
「はい。宜しくお願いします」
為景様の言を聞き、虎殿は立ち上がり、俺に一言くれると部屋を後にした。
部屋に残された俺は為景様に向き直る。
「………為景様は本当に真意を隠したがる御方で御座いますね」
「………何のことじゃ」
「惚けられても困ります。まだ話は………というよりも此処からが本題でしょう」
俺の言葉に少し苦い表情を浮かべる為景様。
虎殿は気づいていなかった様だが、俺は気づいていた。
今までの話で、家臣達の前で聞かせられない話など有ったであろうか。此の程度ならば、先の場で話しても何も問題は無い。
「………はぁ、本当に貴様は聡いのぅ」
「……恐縮です」
為景様は一度虚空を見つめると、小さく話し始めた。
「……ワシは親として失格じゃ」
「……と申しますと」
「ワシは虎千代を戦乱の世に巻き込もうとしておる」
自傷気味に語る為景様は、本当に悲しそうな瞳をしていた。
「聖正よ、先の場で右の列の一番前………覚えておるか」
「………あの少しひ弱そうな文官の方ですか」
余り印象には残っていなかったが、何度も咳を込んでいたので何とか思い出す事が出来た。病弱そうな面構えに、将としては痩身過ぎる身体。
今にも死にそうだというのが俺の印象だ。
「そう、素奴は長尾晴景。ワシの嫡男じゃ。詰まりは此の長尾家の次期当主となる男よ」
「当主………」
「その顔じゃと、もう全て理解した様じゃな」
為景様の言う通り全て理解した。
為景様は次期当主の晴景様を憂いている。
となれば廃嫡か何かして他の誰かを当主に据える。
其れが虎殿だと言う事だ。
だが、廃嫡等しようものなら御家は一気に慌ただしくなる。そうなれば他国に侵攻される危険が高まってしまう。
もしかしたら不満を抱いた晴景様が為景様を殺害若しくは幽閉するかもしれないし、虎殿に当主の座を追われたくないあまりに、殺害する事も有るだろう。
「彼奴は身体が丈夫では無い。其れに当主足る器に欠けておる。我が息子では有るが戦の才が無いのだ。其の様な者に跡目は継がせられぬ」
確かに其れでは継がせたくないと言うのも分かる。
晴景様が跡目を継げば遅かれ早かれ長尾家は滅ぶ。そう言いたいのだろう。
「しかし天とは無常なものじゃな」
「為景様の才は晴景様では無く、虎殿に受け継がれてしまった……と」
「左様。ワシが一番可愛がっておる虎千代が、ワシをも凌ぐ才を持って産まれてしまった。此れでは遅かれ早かれ跡目騒動に巻き込まれるであろう。例え、虎千代が跡目を継がぬと言ったとしても………」
「人は自分より才有る者を下には置けず………何らかの理由を付けて、命を奪いにかかるでしょうね」
自分を凌駕する者を下に置ける者等、居ないに等しい。居るとするならば、余程の忠誠心が有る場合くらいか………いや、其れでも何時かは疑心暗鬼に陥る。
疑心暗鬼に陥り続ける主に仕え続ける者も、居ないに等しいだろう。
例え其れが自分の親兄弟だろうが何だろうが。
ま、為景様と虎殿は特別というか例外というか………
「親として虎千代には女子として幸せであって欲しい。戦などさせたくは無い。が、長尾家当主としてはそうはいかぬ。時には親の情を捨てなければならん」
「……板挟みですね」
「うむ。だから貴様なのだ、聖正」
其処まで言って、為景様は頭を下げる。
今この場には一人の親、長尾為景が一人だけ。
「頼む……我が大切な娘、虎千代をどうにか守って欲しい。例え当主の座に就いたとしても守って欲しい。此れは虎千代が信を置いたお主にしか頼めぬ事だ、この通り!!」
其れはとてもとても深く長いものだった。