小説『夢幻奇譚〜上杉軍神録〜』
作者:maruhoge()

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「……中々片づいているのだな」



部屋に入っての虎千代様の第一声は其れだった。




「普通は片付いているものだと思いますが……」


「いや、父上の部屋は散らかり放題でな。其れに父上は『男の部屋とはこんなものだ』と仰っていたから、てっきり聖正殿もそうなのかと思ってな。この間も私が片付けたのだ」


「……………」




失礼ながら、為景様の部屋が散らかっている理由が大凡の予想が出来てしまった。


多分、虎千代様が片付けしてくれるのが嬉しいのだろう。実の所、為景様はかなり几帳面な方だ。書状も綺麗に書くし、身形服装も乱れている所は見た事が無い。そんな方が部屋が汚いなどとは考え難い。


そう考えると自然と答えに行き着いてしまった訳だが………




流石に此れは虎千代様には言えない。言ったら為景様が数日は使い物にならない可能性が出てくる。其れは避けたい。





客人用に持っていた茶菓子と茶を虎千代様に差し出す。



「どうぞ」


「ん、ああ済まない」


「では、私は仕事を始めますので、飽きたら言って下さい。虎千代様の御部屋まで御送りします」




虎千代様が小さく頷くのを確認してから、溜まっていた書簡を拡げる。

民からの訴状なのだが、中々面白い事も書いて有ったりして得る物は多い。


そして其れ等の訴状に対しての対策案等を考えて纏め、為景様に献策する事が俺の仕事だ。



「……………」


「……………」


「……………」


「……………」


「………あの……虎千代様」


「……ん、どうかしたのか」


「近いです」



机を挟んで向い側の虎千代様がとにかく近い。頭を上げれば額が激突してしまうのではないかと思うくらいに近い。


別に見られるのは構わないんだが、如何せん距離が近い。絶対に距離感を間違えている。



「……済まない、つい身を乗り出してしまった」


「………いえ」



当人は特に気にした様子は無く、訴状を凝視。此れは言っても無駄だろうという結論に到った俺は、次の書簡に目を通す。


次に目を通したのは治水に関するものだった。



治水というのは、そう簡単に解決出来る問題では無かったりする。


先ずは治水計画を立てる。其れから予算を決め、其の予算内での整備や人夫の確保等々、色々やる事が有る。

治水の問題の最難関は人夫の集まり難さにある。


整備のなっていない河川は増水すれば氾濫は免れないので中途半端なものは出来ないし、川の流れが速いから人夫の命の危険も伴う。そうなれば賠償だ何だとまた出費が出る。


俺はこういった事には金に糸目をつけずに取り組んだ方が結果的に出費は少なく済むし、壊れ易い物を作ってまたやり直す手間を省けると思っているのだが………


此の治水を取り仕切る治水奉行が如何しても首を縦に振ってくれない。



まだ新参者である俺には発言力があまり無い。例え発言、解決策を練り、其れを訴えても、一蹴される事も少なく無い。為景様に気に入られている事が周囲の妬みを生んでいるのが原因だ。



話の分かる重臣方――主に『虎千代様親衛部隊』――はいる事はいるのだが、やはり数は圧倒的に少ない。



直接為景様に献策するという手も有るには有る。が、そうするとまた妬みを生むのだから始末に終えない。だから一々奉行を通すなどという無駄をしなくてはならないのだ。



俺からすれば馬鹿馬鹿しい話でしかない。


自分の嫉妬で眼を曇らす等、馬鹿馬鹿しくて笑えてくる程だ。



此れも戦功を立てれば概ね解決するのだが、戦は無いに越した事は無いだろう。地道に説得していくしかない。



思いつく限りの解決策を書き綴り、其れに関する予算、人員、物資を記載する。此れ等は暫定的なものでしかないので、後々詰めていけば良い。

………まぁ、通ればの話だが。




「……凄いな聖正殿は」


「何が、で御座いますか」


「書簡を片す速度が落ちないのもそうだが、手を抜かずに最善のものを解決策として出している」


「……此れ等を片すには此の速度で片さなければならないですし、手を抜かないのは当たり前です。訂正をするならば、此れ等は『最善』では無く『最良』です。『最善』にするならば、莫大な費用と日にちを要しますから」



最善策等、簡単に出来るものでは無い。将来的には出来なくは無いが、今この時は『最善』では無く『最良』を選ばざるを得ない。



「………謙虚なのだな」


「若造は謙虚にいかなくてはならないのですよ」



虎千代様の褒め言葉を軽く受け流し、俺はまた次の書簡に目を向け始める。

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