ま、虎殿は将でもなんでもないのだから、戦場で命を落とすことは無いと言えるだろう。俺がここまで心配することはない。
しかし、女の身でありながら聡明な方だ。
それが隣にいる坊主に教えを請うた結果なのか何なのかは知らんが、このまま学問に打ち込んで行けば女だてらに高名な人物に成れそうだ。
「そういえば………」
ハッと気づいた様に、虎殿は俺の頭に巻かれている布を指さす。
「何故布を巻いているのだ。怪我か何かか」
「いえ、そういう訳では無いのですが、あまり人衆に晒すのも憚られるものですから」
俺の頭は、布で髪と眼が隠れている。それこそ髪の毛一本すら隠し、上瞼まで布で覆い、瞳の奥が確認出来ない程徹底的に隠している。見た目は包帯を巻かれた負傷兵の様である。
が、コレは事情により取りたくない。取る訳にはいかない。
「ふっ、その歳で禿とは情けないな」
「殺すぞ糞坊主。坊主に禿と言われる筋合いはない。だいたい禿ではない」
ついつい素が出てしまった。やはり俺はこの坊主が嫌いらしい。
「兎角、コレは見せたくないのです。見ても詰まらぬものですし」
「……そうか。気を悪くさせて済まない」
「いえ、虎殿は悪気有った訳で無し、特に気にしては御座いませぬ。………隣の坊主は悪気しか無かった様ですがね」
「言いがかりも程々にしてもらおうか。仏に使える身である私が、人を貶めるはずが無かろう」
どの口が言うかと言ってやりたいが、坊主と話すのも面倒くさい。
「和尚も口が過ぎます。それでも林泉寺の住職ですか」
「…林泉寺………ってことはお前が『天室光育』か」
「如何にも。私が林泉寺六代目住職の天室光育だ。恐れ入ったか」
……確か奥州に居た頃、天室光育という名を聞いた。何で聞いたかは忘れたが、高名な坊主だということは記憶している。
天室光育と名乗った坊主は、どうだと言わんばかりに胸を張る。
やはり坊主というものは何奴も此奴も碌な者が居ないと、今この場で再確認した。
「坊主が偉そうにするな。別段貴様らは偉くないということを知れ」
「ふっ、僧侶は学問を修め、御仏の力で人々を守護する者ぞ。つまりは仏に最も近き存在。公家武家の者どもよりは偉いのだ」
「抜かせ生臭坊主。今すぐ貴様等が尊ぶ仏の元に送ってやろうか」
「ふん、直ぐに力で解決しようとするから世は乱れるのよ。学べよ小僧」
当然の様に言い放つ光育。
自然と刀の鯉口を切ってしまう。
虎殿が隣にいなかったら瞬時に斬り捨てていたところだ。
「和尚、悪巫山戯が過ぎます!!…聖正殿も本気にしないでもらいたい、単なる和尚の悪巫山戯だ」
俺と光育の剣呑な雰囲気を察したのか、虎殿が仲裁に入る。
これが悪巫山戯だと。此奴の目は本気で言っているようにしか見えない。虎殿には悪いが、その言葉は信じられない。
武家出身の俺が言うのも変な話だが、確かに公家も武家も今や腐りきっている者が多い。これはどうしようもない事実。だが、坊主共が偉そうにしているのは如何しても納得いかない。
学が有るのは事実だから良しとしよう。
が、決して偉くはない。
僧侶など、仏があっての存在。仏が無くば民を護る術を持たない存在ではないか。自分達では何もしない、仏が無くば何も出来ぬ僧侶等、迷信まやかしでしかない。
信じる者を否定はしないが、生憎俺は神仏希釈は信じない。自分の目で、耳で、鼻で判断する。
居るか居ないかも分からん存在を楯に偉ぶる僧侶など、畜生にも劣る。
それが俺の見解である。
「虎、行きますよ。お父上様がお待ちです。私としてはこれ以上この者と口論しても得る物は有りませんからね、さっさと行きましょう」
「あ、和尚!!?」
虎殿を置いて、先に進んで行く光育。
虎殿は此方を気にした様子だったが、俺が頭を一回下げると、申し訳なさそうに此方に一瞥して去っていった。
「……ふぅ、こんな場所で良い人と悪い奴に会すとは稀有な体験であったな」
勿論、良い人は虎殿だ。悪い方は言わずもがな。
「しかし………コレはどうしたものか」
俺が手にしているのは、虎殿が去り際に「使ってくれ」と置いていった、可愛らしい柄の巾着。中身は金子だった。
この金子を使うのは気が引ける。虎殿に申し訳無く思うし、何より俺の矜持に関わる。
しかし、この金子を使わなければ、食を抜いても二日と持たないのが現状。その間に長尾為景という男に面する手段も考えなくてはならない。
………これが世に言う四面楚歌というやつか。
結局、虎殿には必ず返すと心に固く誓いながら、宿代等に有り難く使わせてもらうのであった。