小説『夢幻奇譚〜上杉軍神録〜』
作者:maruhoge()

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「……やはりこうなったか」



前原民部に撤退を求めた結果、俺は軍の最後尾――しんがり・後備え――を任された。先頭は勿論前原民部。続いて中条殿、長秀殿と続き、直江殿、俺の順番だ。

勿論、前原民部の意図は分かっているつもりだ。大方、敵が出てくれば、あわよくば小生意気な小僧が此処で死んでくれればいい、小僧が盾になっている間に自身は城へと帰還すればいい、とでも考えているんだろう。じゃなければ、大事な後方に仕官したてと言っても過言ではない者を配置するわけがない。


ま、そんな些細な事はぶっちゃけて言えば『どうでもいい』の一言に尽きる。


それよりも、裏で絵図を描いている可能性が高い今、後方が50人程度の人数では正直心許ない。其れは前原民部以外は悟っていたらしく、中条殿から10人、長秀殿から10人、直江殿からは30人の兵を授かった。
無傷の俺の部隊と合計で100人。最初に為景様から授かった人数の倍になってしまった。




「うちの大将は不気味だな………」

「全く顔を見せてくれんからなぁ」

「しかも総面がまた不気味じゃて…」

「しかし殿様の信任厚いと聞いたぞ?」

「何で大将は顔を隠してんだろうな」

「瞳すら見えんぞ」




此れ等は全て我が部隊の兵士諸君の声である。


此処に居る兵士達とは、此の度の出陣で初めて顔を合わせた訳なのだが………まぁなんとも正直な感想だ。命令はしっかり聞いてくれるだけマシなのだが、先程から此の様な呟きがずっと聞こえている。
聞こえないフリをするというのも結構疲れるもので、何度か振り返ったら、顔を下に向けて視線を合わさないようにしていたりもした。

まぁ、あまり度が過ぎれば罰を与えなければならないが、今はそんな余裕は無い。




「大将ッ!!」


放っていた斥候の一人が戻ってきた。
斥候の肩には数本の矢が刺さっており、必死に逃げてきた事が伺い知れる。



「大変でさぁ!! 此処より後方一里と離れてない場所に敵がッ!! 旗は『白地に蕪』、柿崎勢です!!」


「来たか……他の斥候は如何した」


「あっし以外はやられたもんと思いやす!!」


「……分かった。お前には苦労をかけるが、此の事を直江殿達に知らせてくれ」



二、三、斥候に指示を出す。斥候は小さく頷き走り去っていった。


敵との距離が一里と無いのは予想外だったが、其れ以上に厄介なのが―――



「ひぃぃぃぃ、柿崎が来た!!」

「終わりじゃ、ワシ等は此処で死ぬんじゃぁ…」



―――柿崎の勇名であった。


宇佐美と並び恐れられている柿崎氏、其の筆頭が柿崎家当主の『柿崎景家』。其の勇名さは兵共の絶望に満ちた表情を見れば、何程の将かが伺い知れる。



「……皆、死にたくなくば槍を持ち、槍衾を作れ」


静かに、しかし響く様に言い放つ。


「此処で我等が生き残る術は戦う事以外には無し。……もう一度言う、死にたくなくば槍を持て! 弓を持て! 敵だけを見据え、来る敵を皆々討ち取れぃッ!!」


少しの静寂の後、一人の兵士が槍を構える。


「……大将の言う通りだ。生き残るには戦うしかねぇ!!」


俺の激が効いたのか、一人、また一人と槍を構え出す。


「そ、そうだ! 柿崎だって人にゃ変わりねぇ!!」

「そうだ! 幾ら柿崎だって槍で刺されば死ぬんじゃ!!」

「此処で柿崎を討ったら、立身出世も夢じゃねぇ!!」



死にたくない、出世したい、そんな想いが入り乱れながらも、ほぼ全員が槍、弓を構え終える。と同時に、敵の先駆けが姿を現す。

俺も自身が持っていた大弓を馬上で構える。



「皆奮起せよッ!! 我等が勇将柿崎を敗走せしめる最初の部隊となろうぞッ!!」



手元から放たれた矢は吸いこまれるように敵の先駆けに突き刺さり、絶命させる。先駆けの将が討たれて勢いを削がれ、動揺が敵方に走る。



「槍隊は槍衾を決して崩すな、崩さなければそう易々と命は落とさん!! 弓隊は俺が指示を出すまで間断なく射ち続けろ!!」



槍隊、弓隊の双方に指示を出した後、俺も再度弓を構え、矢を番える。

雑兵は周りに任せ、俺が狙うのは………


「せやぁッ!!」


「ぐはっ!!」


限界まで引き絞り放たれた矢は、空気を切り裂きながら馬上の武者に突き刺さる。突き刺さった武者は其の儘地面へ落下し、動かなくなった。其れと同時に、先程と同じ様に前方の敵に動揺が走ったのが目に見えて分かる。

敵の人数が分からない以上、統率者を狙い射っていった方が効率的だ。俺達は守る側、敵に間断なく攻め込まれ続ければ精神的に参るのは此方だ。だが、統率者を狙い射てば指揮系統が乱れて此方としてはやり易くなる。



「まぁ、其れでも此方が不利な状況には変わらないんだが………」



さっきも言った通り、相手の数が分らないというのは大きな負担なのである。何時まで続くのか、まだいるのか、此れを退けても増援があるのではないか……、と、精神的に疲労してくる。其の精神的疲労は肉体に影響を及ぼし、動いていた腕が急に動かなくなり、足が止まり、身体が鉛のように重たくなるのだ。


そうなれば待っているのは『死』の一字のみ。



「はぁッ!!」


二の矢、三の矢と連続して射ち続けるが敵の数は増える一方。

士気の高さ、練度全てに於いて彼方の方が高いのだから押されるのは仕方ない事だが、此れがまだ一将の部隊であるというのが辛いところ。出陣しているのは柿崎隊だけでは無いだろう。柿崎が居るのだから当然宇佐美も………



一人頭の中で考えを張り巡らせていると、柿崎隊の中から立派な鎧兜を着込んだ、大柄な大男が姿を現した。

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