翌日、宿で朝食を摂っていると急に外が騒がしくなった。何事かと外を見てみると、数人の鎧武者を引き連れた初老の男が此方に歩いて来ているのが見て取れた。
その男はこの宿の前まで来ると、そのまま中へ入って行った。
宿の中が数瞬慌ただしくなったと思うと、急に静けさが戻る。
と同時に部屋の襖が開かれた。
「貴殿が立森聖正殿で相違ないか」
「如何にも、私が立森聖正ですが。……貴殿は何方様で」
「それがしは『直江大和守景綱』と申す」
直江大和守景綱といえば長尾家の重臣。他国にもその名を馳せる智将だ。
そんな男が何故俺の所に来たのか。それ以前に何故この宿だと分かったのか。疑問は尽きないがこれは好機。何とか長尾為景に目通りさせてもらえるよう頼んでみるか。
「我が殿、長尾為景様がお呼びだ。我等と共に来てもらおうか」
「っ!!」
言おうとした矢先に、彼方からお呼びだということに驚く。
若干、出鼻を挫かれた感が否めないが、益々丁度良い。彼方から呼んでいるのならば必要以上に気を使う必要は無いということだ。幾分か気が楽になる。
「連れてけ」
「ハッ!!」
大和守殿の指示で鎧武者が両脇を取り、強制的に立たせる。
いきなりの事だったので思わず左右の鎧武者を投げ飛ばし、脇差を首に添えてしまった。
これは旅をしている時に賊を警戒して身に付いてしまった動作である。が、そんなことは彼方には関係の無い事。大和守の両脇に備えていた武者が刀を抜く。
これは不味い事になった。好機が一転、何時切り捨てられてもおかしくない状況を自分で作ってしまった。
大和守殿が話が通じる方であることを祈るしかないか……
「………これはどういう事だ」
「いきなり両脇を抱えるなど、不躾にも程があるのでは有りませんかな」
「……ふむ、確かにそれは此方に非があるか。が、投げ飛ばす事もあるまい」
「これは賊を警戒して身に付いただけ。誰だって反射的に動くことは有りましょう」
「反射的に投げ飛ばす事は無いがな」
ようやく柔和な笑みを浮かべる大和守殿。
どうやら納得してもらえたようだ。
そこで漸く鎧武者を解放する。
「で、我らに同行してもらえるのかな」
「ええ、………だが分からない事が有ります。何故、長尾為景殿は私を呼んでいるのですかな」
「貴殿が望んだのだろう。それを聞いた我が殿は大変貴殿に興味を持たれた。ただそれだけだ」
誰に聞いたかは分からんが、事態は良い方向に向かっているということは分かった。
ならばこの話は乗らない訳にはいかない。
「ならば向かうとしよう。我らの後に着いて参れ」
「あ、暫しお待ち頂きたい」
「何か」
「未だ飯が残っております故」
その時の大和守の大きな笑い声を、俺は忘れないだろう。
飯を食い終えた俺は今、長尾家家臣一同の前で平伏している。
「面を上げよ」
「ハッ!!」
重厚な声を聞いて面を上げる。
上座には三国志の英雄、張飛翼徳を彷彿させる虎鬚、狼のような鋭く獰猛な瞳、今にも他者を喰らわんと闘志を放つ大男が鎮座している。
紛ごう事無き『長尾弾正左衛門尉為景』本人だ。
正直、舐めていた。今まで会った戦国大名の中でも此処までの威圧感を持っている者は居なかった為か、何処かで油断していた。
そうだ、今目の前にしているのは百戦錬磨の猛将だ。下剋上で国を取った、戦国大名を体現する者だ。其処等に居る血筋だけの有象無象の戦国大名とは訳が違うのだ。
「貴様がワシを見定めに来た男。……で、ワシは貴様の眼にどう映る、立森とやら。良将か、それとも愚将か」
愉快そうに訊ねてくる為景殿。しかしその中に殺気を含んでいるから笑えない。
特に『見定めに来た』辺りは、一段と殺気が強くなった。
これは言葉を誤ったら、其処で命が終わるな。
一つ呼吸を整えながら為景殿の質問に答える。
「………正直、為景様を目の前にするまでは見誤っていました。これ程の大名は見たことも御座りませんでした。良将か愚将かと問われれば、間違いなく良将でしょう」
間違いなく本音。一切の煽ても無い、俺の感想だ。