「…………」
驚き過ぎて言葉が出ず、ただただ呆然としてしまう。
今の俺の面は相当に滑稽な面をしていることだろう。
昨日出会った女子が為景殿の御子だなどと、誰が分かるだろうか。しかも俺はその御子に命を助けられたどころか金子まで貰ってしまったのだ。何とも格好がつかない再会である。
因みに、隣に居る生臭坊主は俺の視界には入れない。絶対に入れない。
「………父上」
虎殿の平坦な声が響く。
「ん、どうした虎千代よ。喜べ、お主が云った通りの男であったぞ。いやぁ、真に虎千代の人を見る眼はワシ譲りじゃな!!」
「……父上」
「お、そうじゃ、小奴を登用しよう。そうしようそうしよう。丁度文官が足りぬと思っておったところだ」
「為景様、この者は腕も立ちまする。それがしがこの眼ではっきりと見申した」
「何っ、腕も立つとは益々気に入った! よし、決定じゃ。小奴は今から長尾家家臣として召し抱える。皆、異存はあるまいな。有っても聞かぬが……」
「父上っ!!」
今度は虎殿の怒鳴り声が響く。
それまで矢継ぎ早に話していた為景殿の身体が、思わず跳ね上がる。
正直、俺も吃驚した。
「ど、どうした虎千代そんな怖い顔をして………可愛い顔が台無しぞ」
「父上、一つお答えください」
「な、何じゃ」
「如何して聖正殿は首筋から血を流しておいでなのですか」
一変、今度は柔和な表情に変わる虎殿。しかし眼が笑ってないのは誰が見ても明白。後ろに控えている家臣の方々を見てみると、誰一人として為景殿の方を見ずに顔を伏せていた。先程まで喋っていた大和守殿も何時の間にか下がって顔を伏せている。
「そ、それは……」
「………」
「……………ワシが少し脇差を当てた」
「………」
「ち、違うんじゃ虎千代よ。少し力加減を間違えただけなんじゃ!!」
「………」
「お主が云う男がどんな男か見定めたかっただけなんじゃ!! 決して悪意が有ってやったのでは無いのじゃ!!」
為景殿の弁解も何のその。柔和な笑みが強固として崩れない虎殿。
虎殿が近づけば為景殿が一歩後退する。また一歩虎殿が近づけば、また為景殿が後退する。
気付けば俺の前に居たはずの為景殿は俺の真横に並んで正座していた。
そして俺に意味有り気な視線を向けてくる為景殿。
どうやら俺から何か言ってくれと訴えているらしい。
仕様が無い。助け舟を出しておくか。
「あぁ……虎殿、少し宜しいですか」
「聖正殿、少々待っていてくれ。今、父上に反省していただくところだ」
「いや、私は全く気にしていないので、虎殿も為景様をお許しになってあげては如何かと」
「それはならない。私が聖正殿の事を父上に話した事で今回の事は起きたのだ。私が父上に申し上げねば、聖正殿に申し訳が立たない」
「それでも、で御座います。悪気が有ってなら止めはしませんが無かったのですし、当事者としては何も気にしては御座いませんよ」
「………聖正殿が言うのであれば」
説得が効いたのか、虎殿は怒気を納めてくれた。
隣の為景殿は、九死に一生を得たように、深い溜め息を吐く。
「……くくっ」
虎殿は何処までも真っ直ぐだと思う反面、少し可笑しくて笑ってしまう。
「何が可笑しいのだ」
少しムッとした表情で詰め寄ってくる虎殿。
「い、いえ。大変親子の仲がよろしいのだなぁ、と思いまして」
「…むっ」
先程までの戦国大名としての為景殿も、今こうして娘に叱られなくて安堵している為景殿も、昨日出会った凛々しい虎殿も、今目の前で拗ねて居る虎殿も、須らく本人達なのだと思わされた。
この親子はこんなにも人間らしい表情を浮かべる。当たり前の事なのに珍しくて、人間味も家族間の絆も有って羨ましく微笑ましい。それ故、笑い声が溢れてしまった。
「為景様は本当に虎殿を大切に思ってらっしゃるのですね」
「勿論!! 虎千代はワシの大切にして最愛の娘だ!!」
「ううぅ……」
「虎殿も為景様が好きなのですね」
「うっ……」
「そうなのか虎千代!?」
「父上っ、少々お黙り下さい!!」
「ぐはっ!!」
拒絶され崩れ落ちる為景殿に、少し恥ずかし気な虎殿。
本当に仲の良い親子だ、微笑ましい。