「ふむ、やはり気づくか。賢き男よ」
「如何いう事ですか父上。私はこの部屋で治療する為に連れて来いとしか聞いておりません」
「まぁ、話してはおらんからのぅ。……光育には伝えたが」
「何故和尚に伝えて私に伝えないのですか!!」
どうやら虎殿は、一人だけ知らなかったのが気に入らなかった様だ。一人だけ除け者にされたと思ったのか、其処の所は知る由も無いが、為景様にしてはらしくない。
此の方の性格からしたら、真っ先に伝えるものだと思ったが……
「だって………」
「だって………何ですか父上」
「虎千代を驚かせったかったんじゃもん!!」
やはり為景様は何処まで行っても為景様であった。
「驚いた虎千代の可愛い顔が見たかったんじゃ!!」
「驚きよりも今は怒りの方が大きいです!!」
「ワシだって怒られた事に驚きじゃ!!」
「当たり前です! そんな理由で除け者にされる私の身になって下さい!!」
「知らん!! 可愛い虎千代を見る為なら、ワシは鬼でも何にでもなるわい!!」
格好が付いていない様な気がするのは俺だけなのだろうか……
虎殿の怒りも何のその、我が道を猛然と突き進む為景様は何処か誇らしげな表情を浮かべていた。きっとこの後、虎殿からキツいお叱りを受ける事は頭に無いのだろう、と推測する。
「親子で盛り上がっているところ申し訳有りません。先に進んで貰っても宜しいでしょうか」
「おおそうじゃったな」
「はぁ………」
此の儘だと一生先に話が先に進む気がしないので、会話を断切らせてもらった。
為景様は思い出したように、虎殿は呆れ半分怒り半分の表情で溜め息を吐いていた。
「して、本題は如何な話で御座いましょうか」
「何、簡単な話だ。貴様の此れからの仕事についてだ」
「仕事……で御座いますか」
「左様、貴様には文官の仕事をこなして貰う上で、頼みたい事が有る」
為景様の真面目な表情に、俺も表情を引き締める。
「貴様には虎千代に物事の色々を教えて貰いたい」
「………はっ?」
呆気に取られて、何とも間抜けな声が出てしまった。
「………もう一度言って頂けますか」
思わず聞き直してしまった。
「貴様は世事に長けておるだろう。虎千代はまだこの春日山と林泉寺周辺しか知らぬ。……しかしそれでは駄目だ。ワシの娘である以上、世事に長けていて欲しい。それは虎千代の将来、必ず役に立つであろう。勉学は光育に任せ、貴様が虎千代に勉学以外を教える。此れは貴様にしか出来ぬ事だ」
「………成る程」
字や礼儀作法等は糞坊主が、軍略武術その他諸々は俺が教える。俺の持ち得る知識を総動員して虎殿に教え込む事が、将来の虎殿の役に立つので有れば、断る事は出来ない。此れも恩返しだと思えば何て事は無い。
「承知致しました。此の身に賭けて遂行してみせます」
「うむ、頼んだぞ」
「お待ち下さい父上! 当人其方除けで話が進んでおります!!」
此処まで言を発さなかった虎殿が待ったをかける。
「何じゃ虎千代、小奴がそんなに嫌なのか?」
「嫌ではありません。寧ろ色んな事がもっと訊けると思っていました……が、話がいきなり過ぎます!!」
「別に問題は無かろう。小奴も承知した事じゃしの」
「そういう問題では無いのです!!」
じゃあ如何いう問題なんだと首を傾げる為景様。俺も同様に首を傾げる。
「和尚と聖正殿が仲が悪いのを先程見たでしょう!? 二人が顔を合わせる度に喧嘩の仲裁等をしていては、私の身が持ちません!!」
必死な表情で訴える虎殿。あまりの必死な訴えに、俺は罪悪感を感じていた。
確かに誰かが止めてくれなくば、俺は糞坊主を斬り捨てるだろう。その度に誰かが仲裁に入るのだから、其の人物の心労は大きい。其れが虎殿なのだからまた申し訳無い気持ちでいっぱいだ。
「大丈夫じゃ。この二人はもう喧嘩なぞしない。………なぁ」
為景様は良い笑顔で此方に顔を向けてくる。
あの表情の真意は………
『ワシの可愛い可愛い虎千代に、此れ以上迷惑をかけるとあらば鱠切りにしてくれる』
だろう。
証拠に眼が笑っていない。
「はっ、為景様の命とあらば」
肯定するしか無い。肯定しなきゃ、此の場で斬り捨てるだろうし、虎殿に迷惑はかける訳にはいかないのも事実だ。
糞坊主も遅れて平伏する。
「うむ、一件落着」
為景様は満足そうに頷いた。