小説『坂の上の主婦』
作者:グラン・ブルー()

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終業のチャイムが鳴り、私は会社を出た(吉田ゆかり、受付業務の派遣社員、時給720円)

私はUVカットの長い手袋を両腕に被せると、長めの白いスカートを少したくし上げサドルに腰を
下ろした。そうして右手でワン・タッチの日傘をポンと差した。片手運転は怖いけど、折角、守り
抜いたこの白い肌。夫の為にも紫外線に当てる事は出来ない。

私の機動力はママ・チャリである。

電動アシスト装置が付いているのでスイッチを入れた。げげっ、バッテリー・インジケーターが点
滅している。しっ、しまった〜!昨日、充電するのを忘れてしまった。バッテリーが切れると私の
愛車はただ重いだけの自転車になってしまう。

今、私の目前には坂道がある。通称≪地獄の坂道≫元気のいい若者や子供達はいざ知らず、数多く
のチャリダーを泣かせて来たこの坂道を延々と登らねばならない。私はペダルを漕ぎ出した。何処
まで持つかな?坂道を登って数分後、無情にもバッテリーは切れた。き、切れてしまった…。ペダ
ルが急に重くなり、全ての重量が私の両足にのし掛かる。いつもなら茶髪の髪をなびかせて、今日
の夕飯は何を作ろうかな。なんて考えてスイスイこの坂を登っていたのに。

坂の途中に昭和の風情を残した酒屋さん、いずみ屋が見えて来た。はぁ、はぁ、重いなぁ。あっ!
その時、私は夫から缶ビールを買ってくるように頼まれていたのを思い出した。この酒屋さんは近
所のお酒を扱うお店の中で一番お値打ちなのだ。止まりたか、ないが止まらねばならんな〜。家計
を預かる身としては。はぁ、はぁ。

500mlの缶ビールを一箱と子供の好きなファ◎タ・ストロベリーのペットボトルを二本、自転車に積
む。ずっしりと重くなった愛車のサドルに座ると、まだまだ続く坂道が私の眼前に連なっている。
中途半端な傾斜角、押しても重いしなぁ〜。とてもじゃないが片手運転は出来そうにない。日傘を
差すのを諦めて後ろのカゴにのせた。あなたが悪いんだからね、あなたが缶ビールなんか買って来い
って言うから、日焼けしても知らないからね。ペダルを漕ぎ出す。よいしょ、よいしょ、しかし暑い
なぁ〜。いつまで続くんだろ、この残暑。うわああ…汗が私の胸元に流れて来た。

みっともないなぁ〜。

坂の上の頂上にはマクド◎ルドがポンと建っており、その背景には入道雲がモクモクと、これって秋
の空じゃないよ。はぁ、はぁ、その瞬間、私の脳裏にある事が浮かんだ。そういえばNHP放送で坂
の上の雲とかいうドラマをやっていたなぁ。プチがき隊のモトキくんが主演していたドラマ…。


あっ、ああ…ちょっと頭がクラクラして来た。


助けて…モトキくん。 ち、違うでしょ、夫の顔を思い浮かべなきゃ。




はぁ、はぁ、 だ、駄目だ。     思い出せない。


助けて…モトキくん。




暑いよう。 重いよう…。





やがて彼女は坂の上の頂上に到着するに違いない。そこで彼女は群青色の大空を仰ぐだろう。そこには
限りなく続く巨大な雲海がそびえているはずである。


そしてこの空の下の何処かで、くしゃみをしているモトキくんがいるはずだと筆者は思うのであった(笑)



                  


                                   △ GB 2010/09/05

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