小説『おかっぱ頭を叩いてみれば』
作者:しゃかどう()

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「…は?」
「…」
「こんなにギリギリで辞めてしまったのは、申し訳ないと思うのですが…」
「口、痛むのかっ?それともなんか言われたのかっ?」
何で…。この子がいなければあの素晴らしい、まるで金色絹の様な美しい音は紡がれない。彼女がいなければ、音楽に活気がなくなる。一人もかけてはいけないと言われる、吹奏楽という音楽が、僕自身の色素が抜け落ちていくのだ。それはまるで、空から太陽が、月がなくなるのと同じなのである。
「いいえ、何にも。ただ…ただ…」
ご迷惑をおかけします、と彼女はいつものようにペコリと頭を下げた。その可愛らしさと言うか、幼さに、思えば口を突いて出ていた。
「お前は…お前には此処しか居場所がないっていっただろ!…お前はいつもいっつもそうだ…。人の心に何かを置いていって、それで知らない顔して出て行ってしまうんだ!だから、僕の心の中は―…」
お前しかいなくなった。
「…」
「…」
これは、告白?僕の頭にも突如ハテナマークが浮かんだ。いやいやいや、りょうや君は口をあんぐり開けて、今では居心地悪そうにしているし、ボブは目が点になっているし
。世の中、これほど決まらない告白があろうか。勢いに任せて声量に任せて裏返った声に告白されて喜ぶ人などいないだろう。軟弱な男なら、軟弱な男らしく、シーンにこだわったりするべきであろう。
「あ、え、いや、その…」
「…あ、ありがとうございます」
少し動揺した声で、ボブはペコリとお辞儀をした。あげた顔は、なんとも苦く、歪んだ顔だった。痣の紫色も濃くなった気がした。
「…ちょっと、二人にさせてくれませんか?」
りょうや君はハッとした表情をして、それからきまり悪そうに「本当に…安曇、悪かった…」と言って走り去った。なんだか、彼が可哀そうだなんて思っていたが、僕はそれどころではない。
「…あのう…えっと…今のは、本当に、思っていることで…勢いに任せたよっ!それは…」
「大丈夫ですよ、そんなに慌てなくても」
分かっていますから。となぜか泣きそうな顔で言われた。
「なんで、そこまで部活にこだわるんです?そんなに引き留めなくても、アルトはソロ楽器ですので代わりがいくらでもいますよ?」
恥をかいてまで飴村先輩にそんなこと言われたくなかったです、とさっきの機嫌の悪さから一転して笑い声をあげていた。少し自嘲気味に、やつれた顔だった。思えば最近のボブはどんどん痩せていってしまい、顔は緑色である。腕は女の子らしい丸みもなく、ごつごつと骨ばっていた。宇宙人のように小さくなった顎は少し人間離れしている。
「そうじゃ、なくて」
「飴村先輩のバリサクの音、すごい好きでした」
だから、話しかけたんです。そう彼女は続けて、もう帰ってくださいと言った。秋の寒さや枯れ葉が、なんだか全て彼女の悲しみをあらわしているようだった。背中はちっぽけだ。
「待て!僕は、僕は君が好きなのだと言った。それは、君を引き留めたいとか、そういうのではなくて…ただただ、どうしようもなく、君が…」
「分かっています。分かっていますから」
「分かってないだろう」
「分かっていると、何度も言っているはずです…。無駄な言いあいはよしましょう。練習に戻るべきですよ。きっと九田先生が心配されていらっしゃいます」
「無駄じゃない!これは、僕の気持ちをはっきりさせる。そういう討論なのだ」
「私は、もうこの街を去ります。ですから、もう、忘れてください」
「だから!僕も、僕も初めてで全然理解できないのだが…好きになった人物を簡単に忘れることができようか?」
必死に何度も叫んだしわがれた声で叫ぶ。これは訴えなのだ。彼女が好きだという、人を初めて愛したという、17歳ながらの愛を叫んだ。大人の方がこれを呼んだならば馬鹿らしいし、どこの青春ドラマかと思われるだろう。しかしながら、これは絶対的に僕の気持ちなのである。
「…っ」
黙って走り出した彼女を、僕は追うことができなかった。いや、正確には違う人物が現れたと言っていいだろう。見たこともない、大男。スーツの彼は、ぐいと彼女の細いうでを引っ張った。緑色の顔が彼の顔へ向かう。全てはスローモーションのように移り変わっていった。ボブは頭を振っても頷いてもいないのに、なぜかふんわりとキンモクセイの香りが漂う。ボブのであるか、この大男のものであるのかは分からないが、とにかく僕は呆然と立っていた。

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