小説『おかっぱ頭を叩いてみれば』
作者:しゃかどう()

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「お前、もうちょっと早くこれないわけか」
斎藤先輩はいつものお言葉を口にしている。
「はい…。僕は、そのう…早く来ているつもりなんですがねえ」
ボリボリといつもの癖で僕は寝ぐせの髪を掻いた。
「みんな30分前には来ているのよ」
ふん、と大きな鼻の穴から息を吐きだす、さながらゴジラの斎藤先輩。あの見澤に何か言われたのだろう。
「しかし…そんなに早く来て、どうするというのですか」
「練習に決まっているでしょ」
クラリネットは傍らの机に大切そうに置かれている。黒く品のある光り方をするクラリネットは魅力的だ。銀色の部品はまるで美術品の様で、僕らサックス隊から見れば、無限にも思えるあなの多さを持つこの楽器は、難しそうで堅苦しい女性のようだ。
「ああ、そうか」
僕がとぼけてそう言えば、彼女はだから【ダメ村】と言われるんよとため息を吐かれた。その後に何も言わなかったら、彼女はドアノブに手をかけて開くと振り向いて告げた。
「見澤にそのうち怒られるよ。練習しな」
どこかのドラマにありそうなポーズに、僕は奥歯を噛みしめて頷いた。
僕も彼女に続いて、臭い準備室を出れば、その前にボブが立っていた。待っていてくれたようである。
「おお」
「飴村先輩、おお、ではありません。次のゲネプロに備えてパート練習をしようと、空野先輩が」
空野先輩は、パートリーダーの先輩である。さらりとした長い茶髪の美しい人で、バスケ部の後輩とつきあっているらしい。まあ大人っぽい彼女に後輩どもは撃沈なわけである。何とも不甲斐ない。
「ゲネプロとは、何だね」
「…ゲネラールプローベ、の略です。総通しということです」
あと2週間で、高校で大々的な演奏会がある。それには、この高校に入りたい中学生やその保護者や、ここの部員の友達など、何気にたくさんの人たちが来てくれるので、九田先生は禿げかかった頭をつやつやとさらに光らせて、意気揚々と練習するのである。いつも通り、妥協せずに。
それにしても、彼女の口はよく動く口である。パクパクと開く口をボウとみていると、彼女の眉の間に一本しわが入った。
「ほお…」
「九田先生がおっしゃったのです。先輩、聞いていなかったのですね」
九田先生は、顧問の先生である。彼は大学でバリトンサックスをやっていたらしく、批評が厳しめだ。
「まあ、そういうことだ。かおり先輩が呼んでいたと言ったが…」
「もう、いいとおっしゃってました。さあ、行きましょう」
キュッと裾を引っ張られた。顔を見れば、なんですかと言われた。
「まだ、準備が…」
「…待っています」
「それは嬉しい…が、先、行っててくれ」
「勘違いしないでください。これは見張りです」
と言われて、結局第二音楽室の楽器ケースを出して組み立てまで、事細かに彼女に見張られたのである。監視員のように鋭い目つきをさらに鋭くして、時折時計を見て彼女は、そのおかっぱ頭を左右に振って、何かを確認するように頷いていた。
「どうしたんだい」
「あ…いえ、別に」
こういうことが時折あるのだ。しかしいつも彼女は何も答えることはない。
気になって問い詰めてみたい気もする。だいたい日に何回もそれをされれば、僕にとって聞きたくなることは必然である。
それを問い詰めないのは、
どことなく【ボブ】がその時、寂しそうだからである。

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