小説『遠い町からやってきた。』
作者:加藤アガシ()

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◆第一章〜みかんと猫の不思議な町〜◆






みかん。
電車から降りると、みかんの木のいい匂いがした。
秋は空気が澄んでいるせいか、僕の嗅覚は敏感になる。

『福猫町』

実にコミカルで良い名前の駅だ。
どことなく、心がふわふわするニュアンスを含んでいる。
それでいて町自体も、その名前にふさわしく昭和時代のような、どこかなつかしい雰囲気を持っていたので僕は一層うれしくなった。

僕は一応、美大を卒業した身なので、こういった美を感じさせてくれる、味のある空間が大好きなのだ。
あくまでも一応で、特別、美に造詣が深いわけではないけれど。

そんな穏やかな景色を眺めつつ、改札を抜けると、一匹の黒い猫が僕に話しかけてきた。

『やあ。こんにちわ』

猫はたぶんそう言ったと思う。
僕はそれに答えた。

『こんにちわ。今日はいい天気だね』

『ナァー?』

猫は僕の言葉がよく理解できなかったのか、けだるい声をあげてどこかに行ってしまった。
猫はネコなりに忙しいのだ。

『この辺は福猫町というだけあって、猫が多いんですか?』

僕は、僕と猫とのやり取りを変な目で見ていた駅員さんに、気まずさから聞いてみた。


『え?ああ、そうさね。この辺は猫がワンサカいるよ。ちょっとした名物みたいなもんだね』

『そうですか。それはなんだか面白いですね』

僕は猫嫌いな母親のことを思い出した。
きっとすごく嫌がるだろうな。


『ところで、やわらか画廊ってどこにあるかご存じですか?』


僕は、秋山先輩から送られてきたFAXの地図を駅員さんに見せた。
僕は先輩から頼まれた『絵』を買いに、はるばるこの福猫町までやってきたのだ。


『やわらか画廊?ああ、上杉さんのトコさね。うん、近いよ。この道をまっすぐ行って、突き当たりを右に曲がったらすぐだよ』


僕は駅員さんに丁寧にお礼を言って、歩き始めた。
見慣れない土地を歩くのは、やっぱりワクワクするもんだ。

僕は、とてもリラックスしていた。










秋山先輩から電話があったのは一週間前のことだ。
ちょうどその時、僕はお風呂に入ろうとしていた。

『もしもし、マサルくん?』

『え、秋山先輩?ああ、こんばんわ』

『こんばんわ〜。突然だけど、マサルくんにお願いがあるんだけどいい?』

『・・はい?』

僕は、先輩の唐突な電話に驚いた。
それをまったく気にせず、秋山先輩は続けた。

『あのね、マサルくん。この前、電話で仕事辞めて、求職中って言ってたじゃない?まだ仕事探してる?』

『え、まぁ、・・・はい。まだ探してますけど・・』

僕は、自分が未だ求職中の身であることに恥ずかしくなった。
しかし、先輩にはなんとなく嘘を付きたくなかったので正直に答えた。

『ホント?よかった。じゃあ、お願いなんだけど、来週までに、やわらか画廊って所から、イルカの絵を買ってきてくれない?
上手くいけば、お返しに仕事まわしてあげられるかもしれないからさ。ね、お願い!』



つまり、こういうことだった。
現在、出張で青森にいる秋山先輩の代わりに、僕がやわらか画廊という、うさん臭い名前の、とある画廊へと行き、とある絵を買ってきて欲しいというのだ。
僕は、彼女からお礼に仕事をもらえるかもしれないということを聞いて、快諾した。


秋山先輩は、会社や病院などの法人向けに絵画を販売・レンタルしている会社に勤めている。
その界隈では、非常に力のある大きな会社で、各地方に部署をもっているほどだ。
求職中の身である僕にとって、そんな大きな会社で働けるチャンスはめったにないだろう。
それに、彼女と同じ会社で働くというのも悪くないと思った。
というより、そうなったら非常にうれしい。



そもそも彼女は、大学の二つ上の先輩で、彼女が卒業するまでの2年間、僕らはアパートの隣の部屋同士だった。
上品でバニラの匂いのする彼女を初めて見た時、僕は舞い上がった。
バラ色の一人暮らし、そして夢色の美大生活を期待したのだ。

しかし、彼女のことを知れば知るほど、その容姿に隠された腹黒さを知ることになった。
彼女は確かに、『油彩科にその人あり』と言われるほどに超絶美人だったが、彼女自身そのことを熟知していて、文字通り、その美しさを隈なく利用していた。
つまり、彼女はとても計算高い女だったのだ。

僕はそういう人の心理やら、駆け引きみたいなのを読むのが、割に得意なタチだったから、
彼女も僕を騙しきれないと踏んだのか、出会ってひと月が過ぎる頃には、僕らは大分砕けた仲になっていった。
あくまで、先輩後輩という関係においてだけれども。


なぜなら、彼女にはムーミンに出てくるスナフキンのような放浪癖のある彼氏がいて、パッとしない僕が立ち入る隙など最初からまったくなかったからだ。
それに、そもそも劣等感の強い僕は、そんな超絶美人の先輩と対等な関係を結べるわけがなかった。
だから僕は、よく彼女の小間使いをさせられたし、僕自身もそんな立ち位置の方がずっと居心地が良かった。


つまるところ、結局、僕も、彼女に利用されていた男のうちの一人、ということになる。
まぁ、もちろん彼女にとっては、今でもそうみたいだが・・。











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