小説『遠い町からやってきた。』
作者:加藤アガシ()

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翌日、僕は丸一日かけて、引っ越しのための荷造りをした。
他に良い仕事が見つかるまでの住まいだから、荷物は少なくていい。
タンスや、ソファといった余計な家具はいらない。
座布団や、段ボールがあれば、それで十分だし、狭い部屋の中では却って邪魔になるだけだろう。(そもそも、もう買い替えて良いと思った)
僕は必要最低限の冷蔵庫や、電池レンジなどの電化製品を、一年前に買った軽のワーゲンバスに詰め込み、あとの家具は業者を呼んで、引き取ってもらった。
洋服や、生活用具などの細かいものは、明日朝一で宅配便で送ってしまえばいい。
問題は大量に買い集めた本や、CDだ。
僕は散々迷ったあげく、結局、そのほとんどを捨ててしまうことにした。
なぜだか、分からないが、そうすることが正しいことのように思えた。

そうして一通り、部屋が片付き、部屋がガラガラになると、僕はなんだか寂しくなってきた。
この部屋で過ごした二年間は、前の会社で働いていた二年間でもある。
僕は、僕の辞表を受け取った時の、上司の呆れた顔と、『お前みたいなヤツは、一生、いつまでも逃げ回るんだよ』という最後の言葉を一生忘れないだろう。
辞めた会社のことを色々思い出して、落ち込んできた僕は、その日は早めに寝てしまうことにした。
早く、新しい明日を迎えてしまうのだ。
明日になれば、僕はもう福猫町の住人だ。








福猫町まで、車で行くのには、結構な時間がかかった。
当初の予定では、昼までには『グリーンハイツ』に着くはずだったのに、 実際に着いたのは、もう夕方になってからだった。
僕は、アパートの管理人のお爺さんに紹介された月極めの駐車場にワーゲンバスを留め、部屋の鍵をもらいに、お爺さんの豪邸を訪ねた。


『おそかったねぇ。心配したよ、マサルくん』

本当にお爺さんとお婆さんは心配してくれていたようだった。

『すみません。思ったよりもかかってしまって・・』

『まぁ、上がって、ゆっくり休憩していきなさいよ』

二人はニコニコして、そう言ってくれた。
けれど、僕は先にアパートへの荷物運びを終わらして、早く落ち着きたかったので、丁重に断った。
僕はせっかちなのだ。

そして、お爺さんから鍵を受け取ると、僕は駐車場と、アパートを何往復もして、荷物を202号室(それが新しい新居だ)まで運んだ。
運んでいる途中、一階に住んでいる引きこもりの舟木の部屋(101号室)から、謎の雄叫びが聞こえてきたが、それを除けば、引っ越しは順調に進み、8時前にはなんとか終わった。
それから僕は、駅前のコンビニで、カップラーメンとビールを買って、一人で引っ越し祝いをした。

10時頃に、隣の、例の明るくオシャレなチエちゃんが帰ってきたみたいだったが、今日はもう遅いので、引っ越しの挨拶は明日にすることにした。
もちろん、引きこもりの舟木にも、明日ちゃんとするつもりでいる。
そうすることで、これからの暮らしの良しあしが決まるだろう。(下手に反感を買えば、嫌がらせをされるかもしれない)

僕は『今までのように逃げない』と、漠然と自分に誓い、新しい生活を期待しながら寝た。
目が覚めたら僕は生まれかわるのだ。










新たに生まれ変わった僕は、ソワソワしながら10時になるを待ち、覚悟と期待を持って、隣の部屋のチエちゃんに挨拶をしに行った。
運命の人。
僕はそんな言葉が頭に浮かんだ。

『・・・何?』


僕は目が点になった。
現れたのは、僕の想像したふわふわの女の子ではなく、編みこみのトレッドヘアーをした背の高い女性だった。
しかも、耳はもちろんのこと、まゆ毛の上や、唇まで、ピアスだらけだった。

『あ、あの・・、あなたがチエさんですか?』

僕はあまりに想像と違う彼女に驚き、そして恐れ、思わずそう聞いた。

『・・・だれ?何の用?』

『あ、いや・・、ぼ、僕は新しく、隣に引っ越してきた影山マサルと言います。引っ越しのあいさつに来ました』

『ふーん・・。・・・ああ、そう言えば、聞いてる聞いてる』

Tシャツにジャージのズボンという格好した彼女は、明らかに寝起きのようで、イライラしていた。

『これ、つまらないものですが・・』

僕は、彼女に引っ越しの挨拶として、タオルを渡した。

『ふぉーい。ありがと・・』

彼女はアクビをしながらタオルを受け取ると、僕をボーっと観察して唐突に言った。

『君さー、今思ったけど、芸能人のあの人に似てるよねー。何て言ったけ?
ほら、あの、この前、ドラマやってたヤツ!』

『え、誰ですか?』

僕は、芸能人に似てるなんて言われたことは一度もない。

『ほら!何て言うんだっけ?いいから、ちょっと真顔でこっち見てよ』

僕は彼女に言われ通り、真顔にして彼女を見つめた。

『・・・あれ?ああ・・、やっぱ気のせいだったわ。もういいや』

何だそれ。
僕は彼女の勝手な態度にイラっとした。


『まぁ、とにかくこれから、よろしくおねがします』

僕はもう、さっさと帰ろうと思った。

『うん、よろしくシナチク。あ、あとさ、アタシのこと、チエって呼ぶの止めてくんない?
たぶん、君は管理人のキミ子さんから聞いたんだと思うけど・・。アタシ、その名前気に入ってないんだわ・・。
アタシのことはミーシャって呼んで。周りから、そう呼ばれてんだ』

『・・・、ミーシャ?歌手のですか?』

『そ。ほら!』

彼女は自分の編みこみのドレッドヘアーを指さし、僕に見せつけた。
なるほど。
確かにミーシャだ。

『じゃあ、そういうことでよろしく。それと、下のフナムシには気をつけなよ』

そう言うと、彼女はドアを、勢いよく閉めた。
フナムシ?
引きこもりの舟木のことだろうか。
気をつけろとは、どういうことなのだろうか。
僕はなんだか怖くなってきた。

しかし、それ以上に、明るくオシャレなチエちゃんへの幻想を打ち砕かれた僕は、打ちひしがれた。
確かに、お婆さんが言っていた通り、彼女は(ピアスだらけのドレッドヘアーで)オシャレだったし、(大胆不敵な感じで)明るかった。
しかし、ニュアンスが大分違う。

まぁ、現実とはこんなものだ。
運命の出会いなんて、そうそうない。
現実を思い知らされた僕は、一階に住む舟木にさっさと挨拶をすませ、気分転換に町を散策しようと思いついた。









『・・・・』

『・・おはようございます。改めて、引っ越してきた影山マサルです。よろしくお願いします』

『・・ょ・ろし・く・ぉねがい・・しま・・』


フナムシこと舟木は相変わらずだった。
僕は、なかなか受け取らない彼に、タオルを半ば強引に押しつけ、細心の注意を払って、すぐその場から離れた。
ミーシャが言っていた『フナムシに気をつけろ』という言葉が頭をよぎって、怖くなったからだ。
実際、彼の機嫌を損ねたら、何をされるか分からない。
そんな雰囲気が舟木にはあった。

まったく、この町は変な人ばっかりだ。
僕はそう思いながら、目的なく町へと繰り出した。









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