それから、僕と文学少女は他愛のない話をして日が沈むまで時間をつぶしてから、やわらか画廊に帰った。
その話の中で、彼女の唯一の苛めの現実逃避手段が読書であったことが分かった。
だから、以前、僕がそのことについて触れたら怒ったらしい。
いつも本を読んでいるのは事実だが、それは嫌な思い出との表裏一体でもあると彼女は言った。
そして、本の中にある物語世界の素晴らしさについても楽しそうに語り、日が沈むころには、もうほとんど元気を取り戻していた。
そのことで僕はひとまず安心した。
これで、上杉さんに頼まれた手前、胸を張って帰れる。
そうして画廊に着くと、さすがにハゲ頭はもう居なくなっていた。
口にはしなかったが、そのことに僕らはとても安堵した。
『ああ〜。二人ともお帰り〜!!』
『どうも・・』
もう普段通りのよれよれの変な格好に着替え直した上杉さんは、気味が悪いくらいいつも通りだった。
まるで、厄介な客が来たことが悪い夢だったみたいだ。
『ただいま』
一方の文学少女は上杉さんにそっけなく、そう言うと、さっさと画廊を抜け、彼女らの居住区へ繋がるドアを開け、行ってしまった。
彼女も彼女で、そのことには何も触れず、なかったことにしようとしているのだ。
彼女らしいなと僕が思っていると、彼女は何を思ったかもう一度、ドアから顔を出し、僕に向かって、『ありがと』とそっけなく礼を言って、また閉めた。
僕はなぜかとても照れた。
これがツンデレってやつか。
そんなことを思いながら、僕は何気なく上杉さんのこと見ると、上杉さんは気持ち悪いほどニヤニヤしていた。
『マサルくん、茉莉ちゃんを頼んだよ!あの子はああ見えて繊細なんだ!』
上杉さんは僕の肩に手を置くと、仰々しくそう言った。
彼の言動は冗談なんだか、本気なんだかよく分からない。
『で、アイツは帰ったんですか?』
僕はそれを半ば無視して聞いた。
『うん。あの後、すぐに帰ったよ〜』
上杉さんはいつもの調子でへらへら笑いながらそう言った。
彼は本当によく分からない。
僕はさっき文学少女から聞かされた苛めの真相を、彼に話そうか迷った。
もし、またあのハゲ頭がここに来ることは避けなければならない。
『それで、どうしたんですか?』
『どうって?どう帰したかってこと〜?
う〜ん。僕のとっておきの作品をタダであげて、無理やり帰ってもらったよ』
『とっておきの作品?』僕は聞いた。
『うん。僕のとっておき。大満足な作品だよ』
そう言うと、上杉さんはその大きな握りこぶしを自慢げに見せた。
とっておき…。
『まぁ、とにかく、彼はもう二度と来ないだろうね〜』
それを聞いて、僕は安心した。
たぶん、文学少女はもうアイツに会うこともないだろう。
そして、僕も。
そう思うと、僕はアイツに殴られたことを思い出し、頬に痛みを感じるような気がした。
『そう言えば、マサルくん。君さぁ、意外と勇気あるねぇ。
感心しちゃったよ。茉莉ちゃんを庇って、代わりに殴られるなんてさ〜。
よく、わが娘を逃げずに守ってくれた!』
僕が頬を押さえたのを見て、上杉さんはそう言った。
僕は褒められて狼狽した。
『いや、別に僕なんか・・・。普段は逃げてばっかりですよ・・』
『ん?なんか引っかかる言い方だなぁ?逃げてばっかり?』
上杉さんは聞いてくる。
文学少女の過去を聞いたからか、僕もなんだか、僕の人生の全てを白状したくなってきた。
『今だから言いますけど、実は前の仕事を辞めたのも逃げ出したようなもんなんです。
僕は今まで、嫌なことや、面倒くさいことからは全て逃げてばっかりなんですよ・・・。
そういう人間なんです』
『ふ〜ん、なるほど・・・』
上杉さんは軽い感じでそう言い、続けた。
『まぁ、人生については、よく分からないことが多いよねぇ。
僕も仕事を辞めた時、周りの人から逃げたみたいに言われたけどさ〜、でも人生を真剣に考えたらさ、どっちが逃げなのか分からないじゃない?
上手く言えないけど、裏を返せば、楽なことや、楽しいことから逃げているってことでもあるしね〜』
『楽しいことから逃げる?』
僕は彼の斬新な考え方に思わず聞き返した。
『そ。でも、まぁ、とにかくマサルくんはよくやってくれたよ!
それにもし、マサルくんが前の仕事を止めないでここにいなかったら、今頃、茉莉ちゃん殴られて、お嫁にいけない顔になっていたかもしれないよ〜。
はははは〜、よかったよかった〜。
今日も平和だ!!ご飯がうまい!!じゃあ、マサルくん。あと、よろしく!!
僕は、用があるんだよ〜』
そう言うと、上杉さんは、フラッと出て行ってしまった。
きっと、いつも通り、駅前のブックオフに立ち読みしに行くのだろう。
まったく、あの人は・・・。
僕は呆れながらも、今日一日でなんだか上杉さんのことが少し分かった気がした。
そして、もちろん文学少女・茉莉のことも。
これが俗に言う、雨降って地固まると言うやつか。
僕はそんなことを思いながら、画廊の掃除を一人もくもくと始めた。
こうして、僕にとっての初めてのお客さんが来た日は無事終わったのだ。
雨と言うよりも、嵐だったけれど…。
第二章〜完〜