小説『遠い町からやってきた。』
作者:加藤アガシ()

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駅員さんが教えてくれた通り、駅から、やわらか画廊には、あっという間に着いた。
しかし、もう11時すぎだというのに、画廊はまだ開いてなかった。
看板には、定休日は火、木とあり、金曜日の今日はやっているはずなのに。
僕は、画廊の閉じたシャッターをどんどん叩こうかとも思ったけど、結局止めた。
それは社会通念上、あまり好ましくない行為だと思ったからだ。

どうしようかと迷っていると、駅で見た猫とは別の猫を見つけた。
今度のは体格の良い三毛猫だ。

『こんにちわ』

僕は声をかけてみた。

『なー』

三毛猫は駅で見た黒猫同様、そっけなく行ってしまった。
僕は、まるで世界中のみんなが僕のことを無視しているみたいな気がした。


僕は猫を見かけると、なるべく声をかけるようにしている。
しかし、その行為には特に深い意味はなく、なんというか子供のころからの習慣がこびりついてしまっているだけなのだ。ほぼ無意識に。
だから僕は意図せず、そんな僕の姿を見た人から、よく変な目で見られた。
だけど、そんなことはむしろどうでもいいと、最近は少しだけ思えるようになってきた。

2年間務めた広告代理店を辞めて、身についたことはたったそれだけだ。
まったく、実に喜ばしい報酬だ。


というのも、もともと僕が会社を辞めた理由は、僕が人の目を気にしすぎる性格だったからだ。
まぁ、とにかく過ぎたことなのだから、今となっては、もうどうでもいいのだけれども。


結局、僕は、やわらか画廊の向かいにある喫茶店『楓』に入って、しばらく画廊の様子を見ることを決めた。
もう少ししたら画廊が開くんじゃないかという、期待にも似た一つの可能性を確かめるために。
それに秋山先輩に頼まれた手前、このまま手ぶらでは帰れない。
僕の再就職もかかっているのだ。












僕が入った喫茶店『楓』の内装は、悪くなかった。
というより、かなりイケていた。
広さこそは、カウンター席のほかにテーブル席が3つしかなという狭さだったが、心地のよい絶妙な薄暗さと、味のある明治時代のようなレトロな様式美。
店内には、趣味の良いスロージャズが流れていた。

だけれども、店員の対応と言ったら、ひどいこと、この上なかった。
まず、僕が入店しても、『いらっしゃいませ』の一言もなく、チラッとこっちを見ただけだった。
まるで、映画館でケータイ電話を鳴らしてしまった人を見るみたいに。
店員二人いて、二人ともだ。

一人はカウンターでコーヒーカップを磨いていて、どっからどう見ても、マスターという感じの男だ。
まるで、気の利いた映画から、そっくりそのままで出てきたみたいに。
そして、もう一人は大学生くらいの黒髪メガネの文学少女。
本当に文学少女なのだ。
僕という客がいるのに、カウンター席に座り、接客もせずに本を読んでいる。
エプロンをつけてるから、きっとアルバイト店員であることは間違いないだろうに。
顔だって、どこか、ふてぶてしい。

僕がこの状況にオロオロしていると、マスターらしき男は、さもめんどくさそうに、壁に貼ってあったメニューをアゴで示した。

『え、あ、アメリカンコーヒーひとつ』

僕は咄嗟に目に入ったアメリカンコーヒーを立ったまま、注文した。

『あいよ』

マスターはそう呟くと、めんどくさそうに、コーヒーを作り始めた。
この男は、この世の全てがめんどくさそうだった。

そして、その声で初めて僕の存在に気付いたかのように、文学少女は立ちあがり、僕を窓際のテーブル席へ座るように手で促した。
最初、この子は口を聞けないのかと、僕は思った。
しかし、出来上がったアメリカンコーヒーを持ってきたときに、そうではないことが分かった。

『どうぞ』

彼女はそれだけ言ってアメリカンコーヒーを僕の前に置くと、元にいたカウンター席に腰かけ、再び本の世界に戻った。
かなり分厚い本だったが、何の本なのかはよくわからなかった。
でもきっと、今時の女子大学生が読む種類の本でないことだけは確かだ。
彼女はきっと、変わっている部類に入るんだと思う。

マスターが、僕のアメリカンコーヒーをつくるために使ったコーヒーメーカーを洗い終わると、店内には再び、スロージャズのサックスの音だけが響いた。
僕はまったく落ち着かなかった。
まるで、まったく知らない、さっき会ったばっかりの夫婦の結婚式に急きょ呼ばれたみたいに落ち着かなかった。

それと、僕が頼んだアメリカンコーヒーは特別上手くもなければ、不味くもなかった。
言葉にしようもない程に、普通のアメリカンコーヒーだった。
それを全部飲んでしまうと、僕はひたすら窓の外から見える、『やわらか画廊』を眺めながら、ただソワソワしていた。











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