小説『遠い町からやってきた。』
作者:加藤アガシ()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>










僕はいつも最低6時間は寝ないと調子が出ない。
子供のころ親が厳しかったこともあり、夜ふかしをする習慣がなかったから、大人になった今でも、大体早く寝てしまうし、朝もダラダラといつまでも寝ていることができない。
だから翌日の仕事中、僕はアクビばかりしていた。


『ねぇ、そんなアクビばっかりしてると、すごくマヌケなんだけど』

『マヌケって何だよ、ふあー』


僕はまたアクビをしながら、茉莉に言い返した。
その日は、彼女が大学の授業を取っていない日だったこともあり、僕らは二人でダラダラ話しながら、来る予定のない客を待っていた。


『さっきから、何でそんなにアクビするのよ?寝てないの?』

『うん。昨日、アパートでアニソンパーティがあったんだ』

『はぁ?』

僕は、僕の回答にイラついた彼女に、昨日あったことを話した。
フナムシによる絶叫とアニメソング祭り。
結局、昨日はミーシャと話したあと、僕は轟音アパートには戻らず、近所の24時間営業のファミレスで朝まで時間をつぶした。ミーシャはどうしたのかは分からない。彼女はあの後、ふらふら闇に消えて行ってしまったのだ。


『あのアパートにそんなヤツがいたんだ、すごい!あははは!!』

茉莉は奇天烈なフナムシの話に声を出して笑った。

まったく、他人事だと思って。
そう思いつつも、僕は話に尾ひれをつけて、フナムシの奇妙な行動を面白おかしく、彼女に話して聞かせた。
そして、それはクールな彼女にはめずらしく、大ウケした。


『あたしも一度、その人見てこようかな』


彼女が笑いながら、そう言うのを聞いて、僕は突然、老夫婦から聞いた話を思いだした。
フナムシも確か、茉莉と同じ、ここからすぐ近くにある大学の学生だったはずだ。
僕は思わず、彼女に舟木と言う学生を知らないかと聞いた。


『さぁ。そんな人の話、聞いたことないけど。きっと学部とかが、違うんじゃない?
もし、アナタの言う通りの人だったら、まちがいなく有名になるはずだろうし。
あたしの学部はあんまり人数多くないから』

『へー、なるほどなるほど。で、君は何学部の学生さんなの?』

『あたしはフランス文学・・・って、うわッ!!』


何気なく、僕らの会話に加わってきたその男の存在に彼女は驚いた。
当然、僕だって驚いた。
驚かないわけがない。
彼はいつだって、どこからともなく突然ふらりと現れるのだ。
秋山先輩の昔からの彼氏であり、僕の先輩でもある大川ヒノキは・・・。









僕の通っていた美大には、それはたくさんの学科があった。
その数ある学科の中で、僕と秋山先輩は油彩科、つまり文字通り、油絵を中心として学ぶ科に属していた。

ちなみに僕が油彩科を選考した理由は特にない。

もともと、絵が好きだし得意だったことはあるが、画家になるつもり、というより、なれるつもりなんてまるでなかった。
僕は単純に、油絵を描いていたかったから、そうしただけだ。

つまり、僕は美大という空間に属すことができるのであれば、学ぶ内容なんて何だってよかったのだ。
勉強をせず、自由に絵が描ける。
高校卒業まで、ひたすら勉強漬けの日々を送ってきた僕にとっては、そのことが、何よりも大事なことだった。
当然、親からは将来のことを含め、猛反対された。
『今まで積み重ねてきた勉強が無駄になるじゃないか』と。
しかし、その時の僕はとにかく勉強から離れることしか頭になかった。

そして実際、美大には、そういう学生はたくさんいた。
かく言うヒノキさんも、そういう内の一人だった。

『俺は自分の存在意義を、ここで見つけるんだよ』

彼はよく、そんなことを口にした。

『芸術すなわち、自己の発見と投影』それが、彼の芸術論だった。
しかし、彼は、僕や秋山先輩と違い、絵がからきしダメだった。
ロクに丸の図形を描くことすらままならないほどだ。
だから、彼は写真科に所属し、かなり熱心にカメラによる『自己の投影』を試みていたらしい。

・・・大学3年生の夏までは。

秋山先輩から聞いた話によると、周りの学生たちが就職活動を始め出すと、彼はなぜか開き直り、もともとの趣味だったギターで食べていくと宣言し、ブルース一人旅を決行することにしたそうだ。
そして、その旅に味を占めて以来、彼はロクに大学には通わず、ギターとカメラ片手にフラフラ浮浪し、たまに帰って来ては、『住む場所がない』と言い張り、恋人の秋山先輩のアパートの部屋、つまり当時僕が住んでいた隣の部屋に出入りした。
そのことが、きっかけで僕と、ヒノキさんは顔見知りになった。
僕は、彼の適当な学生生活に呆れ、心配しながらも、本当は心の中で憧れていた。
彼こそが、僕の目指した自由な美大生、そのものだったのだ。

しかし、秋山先輩に聞いた話によると、彼は今でも、その延長線上の暮らしをしているらしかった。
そして、実際その通りであることが今、彼を目の前にして分かった。


『やけに楽しそうだな!マサル!』

まさにバックパッカ―というゆるい身なりをし、首から一眼レフカメラを下げ、肩にはどデカイリュックサック、手にはボロボロのギターケースを抱え、ホームレスのように髪も髭もモジャモジャのヒノキさんは、驚く茉莉と僕を交互に見て二ヤけながらそう言った。
彼が笑うと、彼曰く最初の旅でインド人に殴られ欠けたらしい前歯が剥き出しになった。
それを見た茉莉は、おそらく絶句したことだろう。


『何で、ここに?』

僕は彼の突然の登場に動混乱していた。
本当になぜこのやわらか画廊に来たのだろう。
僕が聞くと、彼はニヤけながら答えた。

『もちろん、オメェに会うためだよ!静香に聞いたよ。この画廊、すげーいいじゃん!超クール!で、その子は?』

ヒノキさんはもう一度、茉莉をなめるようにして見た。

『あ、あたしはこの画廊に住んで、います・・』

『へー、すげー!超いいじゃん!』

『いや、別に・・』

『いや、マジですげぇよ。俺もこんなとこ住みてぇ。ところで、キミ、名前は?』

『ま、茉莉です・・・』

『へー。茉莉・・、マリ・・、マリ。マリは、なんかリスみたいでかわいいね』

『え?あ、ありがとうございます・・』

いきなり現れた長身のホームレスにどもる茉莉に対し、そのホームレスはもう次の瞬間には画廊のガラス張りの天井を見上げ、バシャバシャ写真を撮っていた。

『すっげー』

さすがの茉莉も、この人には勝てまい。
僕は密かにそう想った。

『で、何の用あって僕に会いに来たんですか?はるばる、僕の顔を見るためだけに来たわけじゃないですよね?』

僕がそう聞くと、ヒノキさんは天井に向けていたカメラをそのまま僕に向けた。

『俺、家ナイ。静香、家スマセテクレナイ。
俺、コマッタ・・・。マサル、オマエノ家、俺スム!』

『イヤダ!』

僕は即答する。
こんな臭い人間と一緒の部屋で寝るなんて、考えただけでもゾっとする。
僕は、どんなに親しくとも他人とは住みたくない。

『え〜いいじゃん!俺もアパート見つかったらすぐ出て行くからさぁ!な?』

『嫌ですよ!今すぐ、アパート決めてきて、住めるまで漫画喫茶とかで寝泊まりすればいいじゃないですか!』

『だから〜、俺はそんなすぐ家を借りれる金がないの!とりあえず、ここに来るのに電車いくらかかると思ってんだよ?』

『知るか!自分で来たんでしょ!』

まったく、何て人だ。
ヒノキさんは頭がおかしいんじゃないんだろうか。
僕は改めて、彼の計画性のなさに驚く。

『チッ!サイテーだな、お前。じゃあ、いいよ!マリに頼むから!』

『え・・・?』

突然、話を振られて茉莉はギョッとする。
彼女は明らかに、ヒノキさんを怖がっている。

『マリ、ここの画廊に俺を泊めてください!』

『い、いやです』

茉莉も即答する。当り前だ。

『後生ですから!!』

ヒノキさんはしつこい。
その場で土下座して、茉莉を困らせる。

『ヒノキさん、ここでは無理ですよ。他を当たっ・・・』

彼に帰れと言おうとした瞬間、僕は閃いた。
住む場所ならあるじゃないか。
それも最高な場所だ。たぶん、お金はそんなにかからない。
僕は思わず、にやけてしまう。

『なんだよ、マサル?突然、黙りこくって』

『ヒノキさん、いい所を紹介してあげますよ!』僕はとびっきりの笑顔で言う。

『ホントか!?』彼もとびっきりの笑顔で答える。

『ええ、本当ですよ!えっと、そうだな。
とりあえず、僕がお昼休みになるまで、そこの向かいの喫茶店で待っていて下さい』


僕は画廊の外から見える『楓』を指さして言う。
ヒノキさんは窓の外を覗き込む。

『ああ、あそこね、オッケー。待ってれば、後でいい所紹介してくれんだな?』

『そうです。あそこで待ってれば、全てオッケーです』

僕は頷く。
こういうときのヒノキさんはやたら物わかりがいい。
と言うか、ただ単純なだけかもしれない。


『よし!じゃあ、後で会おうな!
仕事中に邪魔したな!マリもまた会おうな!』

『ええ・・』


茉莉は顔を引きつらせながら、ヒノキさんのバイバイに答える。
もう二度と会いたくないという顔だ。
しかし、そんなことには気付かない様子で、ヒノキさんは意気揚々と画廊を後にした。
僕が、彼に紹介するのが、フナムシの隣の開かずの部屋であることも知らずに・・・。












-23-
Copyright ©加藤アガシ All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える