『何!?あいつ!!』
ヒノキさんの姿が完全に見えなくなると、僕の想像した通り、茉莉は憤慨した。
彼女は自分以上に、上から目線のヒノキさんとは、相性が最悪だったようだ。
『一応、僕の美大時代の先輩だよ。一応だけどね』
僕は、ヒノキさんがここに来たことに自分も迷惑しているんだぞというニュアンスを込めて彼女に説明する。
実際、僕は迷惑していた。
別に、彼のことが嫌いなわけではないし、むしろ僕と正反対のその生き方を尊敬していたのは事実であるが、だからと言って特別慕っていたわけでもない。
彼は、遠くから見ている分にはいいが、身近にいると困る人間なのだ。
『あなたの周りって、本当に変な人ばっかりね。今時、ホームレスなんて!まだ、匂うわよ!』
茉莉はそう言うと鼻をつまんだ。
確かに、まだヒノキさんの体臭がそこら辺に漂っていた。
おそらく、何日もシャワーを浴びていないのだろう。
僕も鼻をつまみながら言う。
『彼は旅人なんだよ。日本でお金を貯めて、海外へ行って帰ってきてを繰り返しているんだ』
秋山先輩の話によると、彼はもう東南アジアの国を10ヶ国以上は制覇したらしい。
『だからって、こんな臭うなんて!』
『まったく同感だよ』
『で、どうするのよ?楓に行かせて。まさか、ジロウさん達に合わせる気じゃないでしょうね?』
茉莉は鼻をつまんだまま変な声言う。
『そのまさかだよ』
僕も鼻をつまんだまま変な声で続ける。
『いいかい?あのアパートは今、一部屋しか空いてないんだ。
さっき話したフナムシの隣の部屋だけ。あそこはまずマトモな人間は住めない。
フナムシがうるさいし、ヤツがゴミを捨てないで貯めているから匂うんだ。
もちろん、ジロウさん達もそのことを知っている。
だから、僕は割とマシな二階の部屋になったんだ。それも格安でね。
だったら、フナムシの隣の部屋はどんだけ安くなるんだって話だよ』
『でも、それはそのフナムシに耐えることができればの話でしょ?』
『この匂いで分かるだろう?ヒノキさんはマトモじゃないんだよ。
それに、フナムシに耐えることができなければ、それはそれで面白いよ。
ヒノキさんなら、フナムシを殴り飛ばすかもしれないし・・』
『毒をもって毒を制すってことね』
『そのとおり!』
僕がそう頷くと、ちょうど画廊の扉が開き、上杉さんが帰ってきた。
たぶん、またブックオフに立ち読みにしに行っていたのだろう。
『ただいま〜。あれ〜?誰か、おならした〜?』
僕と茉莉は、鼻をつまみながら、首を振った。