小説『遠い町からやってきた。』
作者:加藤アガシ()

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僕が上杉さんにお昼休みを言い渡され、ヒノキさんの待っている喫茶店『楓』に行くと、奇妙な光景がそこにあった。
本来、喫茶店のマスター、ノリスケがいるべきカウンターの中に、そのマスター・ノリスケの姿はなく、代わりに、楓のロゴが入ったエプロンをし、腕まくりをしたヒノキさんがいた。
なぜか彼は、カウンターの席の目の前で魚をさばいていたのだ。


『おう!マサル!終わったか!?』

『終わっていうか・・え!?どういう状況ですか?』

僕が困惑し、そう聞くと、その声に気付いたのか、奥の調理場から、また別の魚をもったマスター・ノリスケがぬっと顔を出した。

『おう、お前か・・。こいつが、俺の料理をまずいって言うからよぉ・・』

『俺が教えてやってんだよ!』


ヒノキさんはそう口をはさむと、にぃと笑った。
彼は、なんだかとてもうれしそうだ。


『こんにちわ。マサルくん。彼、お友達なんですって?』

僕が、その声の方向を振り向くと、いつも場所にいつもみたいに、ジロウさんとキミ子さんが座っていた。
相変わらず、二人とも上品な服を着て、ニコニコしている。

『いやだな〜、こいつはただの後輩ですよ!後輩!なぁ?』

『ええ、まぁ・・』

まったく、この人は。
もう、この店に馴染んでいるのか。
よく人見知りする僕は、ヒノキさんのその人懐っこい所、あるいは大胆不敵な所が羨ましくなった。
僕もこのくらい積極的で行動力があればなぁ。
学生時代、何回、そんなことを考えただろう。

『そう言えば、マサル。俺も、同じアパートに世話になることにしたから』

『え?』僕は思わず聞き返す。

『いや、だから、キミ子さんとジロウさんのアパートだよ。紹介してくれるって、そこのことだろ?』

『・・・・?、・・はい?』

僕は耳を疑った。
確かにヒノキさんにグリーンハイツを紹介しようと思っていたのだが、そんな簡単に?
僕が来る前に、もう全て決まってしまったのだろうか。


『ヒノキくんはお金がなかったらしいから、ラッキーだよ』

ジロウさんがニコニコしながら、頷いた。
ラッキーって、どういうことだ。
キミ子さんは、困惑する僕に説明する。


『私は、一階の・・、その舟木君の隣の部屋しか開いてないからって言ったんだけど・・・、本人が構わないって言うから・・』

『ぜっんぜん、問題ないッスよ!屋根があれば、どこでも寝れます!』彼は言いきる。

『どこでもって!ヒノキさんは舟木を知らないから、そんなこと・・』

『ああ、さっき会ってきたよ、舟木』

『え?』


僕はまた、ヒノキさんがさらりと言った言葉に耳を疑った。
舟木と会った?

『なんか暗そうなヤツではあったけど、まぁ、問題ねぇだろ。うるさければ、こっちもうるさくすればいいだけのことだろ?』

そう言うと、ヒノキさんはけらけら笑いながら、さばいていた魚にぺチぺチ小麦粉をまぶし始めた。
この人は本当に、何も分かっていない。

『いやぁ、いい部屋だったよ。金も安いし、出世払いでいいって言ってくれたし』

『出世払い?』僕は思わず、ジロウさん達を見る。


『だって、ほら。舟木君の隣だし・・。もともと、あの部屋、使ってなかったから、それくらい優遇してあげなくちゃね』

『あざーす!』


ヒノキさんはキミ子さんの言葉にそう返すと、エプロンを取り、カウンターから出てきた。

『ほらっ、マサル。そんなところ突っ立ってないで、まぁ、座れよ。俺が作ったスペシャルなフライ食わしてやっからよ。
ノリスケ!あとは揚がったら、そのまま盛りつければいいから』


『お、おう・・』


ヒノキさんは僕を無理やり、カウンター席に座らせ、マスター・ノリスケに偉そうに指図する。
マスター・ノリスケは油鍋を前にして、やたら緊張しているようだった。
彼は、料理がてんでダメなのだ。
きっと、揚げ物なんて作ったことがないんじゃないだろうか。

思い返せば、今まで僕が食べてきた彼の料理は確かに、どれもこれも微妙な味だった。
たぶん、普通の客なら、もう二度とここでランチをしようとは思うまい。
ジロウさん達がここで昼食を食べないのも、きっとそのせいだ。
僕は、最近、そう結論付けた。


『そろそろ、上げていいんじゃね?』

ヒノキさんもカウンター席に座り、油鍋を覗き込むと、マスター・ノリスケにそう言った。
マスター・ノリスケはそれに慌てて従う。
ヒノキさんはそれを注意深く、見守る。

それにしても、僕はヒノキさんが料理ができるなんて、まったく知らなかった。
口ぶりからは、よっぽど、腕に自信がありそうだ。


『で、できたぞ』

マスター・ノリスケは手を震わせながら、僕の前に皿を突き出した。
その皿の上には、きれいな狐色のアジフライ乗っていた。
見た目は完璧だ。
問題は味だ。


『いただきます』

『おう』


僕は、皆が僕の挙動を見守るという謎の空気の中、そのアジフライを口にした。
僕は、特にアジフライが好きなわけではない。
魚自体あまり好きではないし、めったに食べないのだ。

しかし、そのアジフライは今まで食べたことがないくらい上手かった。
ソースを付けなくても、身に十分に塩が利いていて、ふくっらと揚がり、衣はカリカリだった。
たかがアジフライだが、されどアジフライだった。


『どうだ?うまいだろう?』ヒノキさんが聞いてくる。

『かなり、うまいです・・。何で、こんなの作れるんですか?』

僕は正直にそう述べる。

『前に、港の定食屋で働いてたことがあんだよ。ほら、ノリスケ、お前も食ってみろよ!』

ヒノキさんは僕から、アジフライの乗った皿を取り上げると、それをマスター・ノリスケの前に突き出した。
そして、マスター・ノリスケは、それを手でつまんでかじった。

『う、うまいな』

『だろ?』

マスター・ノリスケの驚きを見たヒノキさんは、また二ヤッと笑った。

『ヒノキくん、ワシらも!ワシらも!!』

それを見ていたジロウさんとキミ子さんも、思わず寄ってきて、それを試食する。
二人とも、おいしそうに味わい、その味に感心し、ヒノキさんをやたら褒めたたえる。
ヒノキさんは、まんざらでもない表情でそれに答える。


『こんなにお料理得意なら、楓で雇ってもらえばいいのに。ここも繁盛するわよ。ねぇ、マスター、彼を雇ってあげたら?』


キミ子さんが何気なくそう呟くと、ジロウさんも大げさに賛同した。

『それがいい!ヒノキくん、次の旅のために仕事探しているんだろ?ちょうどいいじゃないか。ここでお金を貯めるといい!!』


ヒノキさんがこの『楓』で働く?
僕は、なんだか想像がつかなかった。
しかし、そう言われたヒノキさんはあっさりその話にのる。

『そりゃぁ、いいかもしんねぇッス!ノリスケ、俺ここで働いていーい?』

『あ?まぁ、別にいいぞ・・』

『マジ?じゃあ、ノリスケよろしく』

『ああ』


僕はあまりのことに目を丸くした。
ヒノキさんは住まいだけではなく、仕事さえも簡単に決めてしまった。
なんという、フットワークの軽さなんだ。
僕は改めて、彼のすごさを思い知った。
ヒノキさんは、たった数時間足らずで、もうみんなの心を掴んでしまったのだ。

しかし、ノリスケよ、お前は本当にそれでいいのか?
よく素姓の分からないホームレスを、そんなにあっさり雇うなんて。
僕は心の中で、そう呟かずにはいられなかった。









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