小説『遠い町からやってきた。』
作者:加藤アガシ()

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昼休みが終わり、ヒノキさんフィーバーで賑わっていた『楓』から、画廊に戻ってくると、いつものように上杉さんは粘土をこねくり回し、一方、茉莉もいつものようにソファの上に寝っ転がりながら分厚い本を読んでいた。


『ただいま戻りました』

『ああ、お帰り〜。ねぇ、見てこれ。すごくない?』


上杉さんは、粘土で作ったよく分からない形をしたよく分からないモノを指さした。


『はぁ。何ですか?』僕は聞く。

『何って、猫だよ〜。福猫町のマスコット、ファニーちゃん』

ファニーちゃん?
商店街とかが町おこしのために作ったのだろうか。
僕はまったく聞いた覚えがない。

『そんなマスコットいましたっけ?』

『お父さんが勝手に作ってるだけよ』茉莉は本を閉じ、むくりと体を起こした。

『それより、さっきの人はどうなったの?本当にジロウさんのとこで暮らすことになったの?』

『あ〜、ヒノキさんはジロウさん達にすごく気に入られて、その・・、あっさり決まっちゃったよ』

本当にあっさりだ。
あっさりしすぎだ。
あんな汚い格好をしている人が、あんな扱いを受けるなんて世の中おかしい。


『何の話?』事情を知らない上杉さんが言う。

僕は二人にヒノキさんのことや、さっき起きたことを掻い摘んで話した。
もちろん、彼が『楓』で働くことになったことも。


『ない!何で、あんな人が楓で!?マスターは?』

『もちろん、マスター直々のOKだよ・・・』


僕がそう告げると、思った通り、『楓』で週3でアルバイトしている茉莉はショックを受けたらしい。
彼女は好き嫌いがはっきりしているので、一度『嫌い』と判断したヒノキさんは、徹底的に嫌なのだろう。

『何で、止めなかったのよ!あなたもその場にいたんでしょ!?』

『何で僕が止めるのさ?僕にそんな権限あるわけがないだろう?それにもう、ヒノキさんは楓のスターだよ』

僕は皮肉をこめて言った。
僕は、何気にヒノキさんの人気ぶりに嫉妬していたのだ。


『最悪・・。もうバイト辞めようかな・・』茉莉は思わずそう言う。

『まぁまぁ、茉莉ちゃん。大丈夫だよ。ノリちゃんはああ見えて人を見る目があるからさ〜。その子は良い子なんでしょ?』


良い子・・・、なのか?
僕は上杉さんの問いに詰まる。
そして、マスター・ノリスケに、上杉さんが言うような見る目があるようには僕は思えない。
というより、彼は何を考えているのかよくわからない。

とりあえず、僕は笑っておいた。
回答に困ったら、ニコニコしてれば大抵うまくいく。
学校で習ったことはそれくらいだ。

『はぁ。あたし、ちょっと買い物してくる・・』

茉莉は大きなため息をつくと、そのままフラフラと出て行ってしまった。
どんだけ、ショックなんだ。
僕は、自分の存在がヒノキさんをこの街に呼び寄せたことに罪悪感を感じた。
僕は他人に迷惑をかけることが何よりも嫌いなのだ。


『それじゃあ、僕も出かけてこようかな〜』

茉莉が行ってしまうと、粘土をこねていた上杉さんもそう言いだした。
また、ブックオフだろうか?

ヒノキさんもそうだが、彼の素行も僕はよく分からない。
上杉さんはいつも何をしているのだろう。謎だ。
気になった僕は思い切って聞いてみた。


『今日は、どこに行くんですか?また、ブックオフですか?』

『え?あ〜、そうそう。ブックオフ、ブックオフ。本を売るならブックオフ〜♪』

上杉さんはそう歌うと、粘土が手についてまま、僕を残して出て行ってしまった。
どこかあやしい。
そんな毎日、ブックオフに行くだろうか?
上杉さんは何か隠しているんじゃないだろうか。
疑う僕は、しばらくそれについて考えた。
何も喋らない福猫町のマスコット、ファニーちゃんと一緒に。











二人が帰ってくるまでの間、めずらしいことが起きた。
いつもは何も買わずに、ただ絵を眺めていくだけの常連のお爺さんが買い物をしていったのだ。
おおよそ3000円のA4サイズの額縁を。
それだけとはいえ、お客さんはお客さんだ。

僕はひと月経って、初めて、ここで買い物をする人見た。
これはすごいことだ。
何でも、お爺さんは孫が幼稚園で描いた絵を入れるためにそれを使うらしい。
僕は懇切丁寧に接客し、そのお爺さんを見送った。

『ありがとうございました』

僕が愛想よく言ったその言葉に嘘はなかった。
そして、僕はその来客から『謎の流れ』を感じえずにはいられなかった。
ヒノキさんが来てから、何かが変わった。
何かが動きだしたみたいだ。








結局、上杉さんと茉莉が帰ってきたのは、いつもより一時間遅い六時をまわってからだった。
二人は帰り道に偶然、駅前の本屋(ブックオフではない)でばったり会ったらしい。
上杉さんは、遅れたことを大げさに謝った。
けれど、僕は来客が来たことに興奮してそんなことはまったく気にしなかった。
そもそも、いつもここで座っているだけなのだ。
それだけなのに給料をもらっていることの方が申し訳ない。

『そうそう、これお土産ね〜』

そう言うと、なぜか上杉さんは僕に生八つ橋をくれた。
そのせいで、僕はアパートに帰るまで、また新たな謎解きに襲われることになった。
上杉さんはどこへ行ってきたのだろう?
京都?
いや、まさか、京都なんて、ここから何時間もかかる。

僕は、疑問で自分の頭がパンクしそうになる前に、考えるのを止め、星を数えながら帰ることにした。
今日は、空気が澄んでいて星がよく見える。
僕は分かりやすい形をしたオリオン座がお気に入りだ。

しかし、アパートが近づいてくると、僕はヒノキさんがアパートに引っ越してくることを急に思いだした。
自分と同じにアパートに、再びヒノキさんが住むなんて、僕は想像がつかない。
彼と秋山先輩と過ごした美大時代から、もう4年近く経ったのだ。
それは、とても昔の出来事のようにも感じるし、同時につい最近のことの様にも思えた。

とにかく、あの平和で将来のことなんて何も考えていなかった頃の自分が懐かしい。
僕はあれから、少しは成長しただろうか。
そんな風に、僕は星空を見上げ、少しセンチメンタルな気持ちになった。

そう言えば、ヒノキさんは、いつからここに入居するのだろう?
いくら何でも、今日で今日は無理だろう。
一体、彼はどこで寝泊まりするのだろうか。
一日くらい、泊めてあげてもよかったかもしれない。
僕は昔を思いだし、穏やかな気分になっていたので、家がない可哀想なヒノキさんを哀れに思い、同情した。
まさか、この寒さの中、野宿しているのだろうか。
そして、僕は急に心配になり、足を早めた。








『よぉ!マサル!!やっと、帰ってきたな!』

ヒノキさんは、あっさり今日から入居していた。

『何だよ、それ・・』


僕は思わず小声で呟いた。
もちろん、彼には聞こえないように。









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