小説『遠い町からやってきた。』
作者:加藤アガシ()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>











僕がアパートに着くと、一階と二階をつなぐ白い階段の前で、ちょうどヒノキさんとミーシャが立ち話をしているところだったのだ。
おそらく二人はそれぞれ部屋を出る時(もしくは入ろうとした時)に鉢合わせしたのだろう。
未だホームレス姿のヒノキさんと、編み込みヘアーかつ、ピアスだらけで皮ジャンを着こんだパンクなミーシャが並んで立っている光景は、なかなかの凄みがあった。
二人のことを知らなったら、たぶん、僕は目を反らして通り過ぎる違いない。

『あんた、彼のこと知ってんの?』

ヒノキさんが帰ってきたばかりの僕に向かって、意気揚々と話しかけるのを見ると、ミーシャは驚いていた。

『こいつ、俺の後輩。そもそも、こいつのツテでここに住むことになったんだよ』

ヒノキさんはミーシャに向かって、僕との関係を紹介した。
ミーシャはそれに『へー』と言いながら、実際はあまり興味がなさそうだった。


『もう今日から住めることになったんですか?』

僕は一応、ヒノキさんに確認した。

『ああ。もう、部屋の鍵は貰ったよ。荷物もすくねぇから、何もイジルことねぇし、今日からそこに住むよ』

そう言うと、彼はすぐそこの、フナムシの隣の奥の部屋を指さした。
僕らは全員そろって、その部屋を見つめる。

『あんた、相当変わってるよね。めちゃくちゃ臭いし汚いし。フナムシの話もちゃんと聞いたんでしょ?あいつの隣は結構、危険だよ』

ミーシャは話しながらタバコを取りだし、それに火を付けると、ヒノキさんにもそれを勧めた。
彼はそれを受け取り、火をもらい、一口吸い、ゆっくりと煙を吐き出してから答える。


『たぶん問題ねぇよ。俺ァ、けっこう危ない目に会ってきたから、そういうの慣れてるし。インド行った時なんか、マジで殺されそうになったんだぜ』

ヒノキさんは、ご自慢の欠けた前歯をミーシャに見せつけた。
僕は、彼がこの武勇伝を誰かに得意そうに話している光景を、今までに何度も見てきた。
それが彼の自己紹介のお決まりエピソードなのだ。

『ふーん』

しかし、ミーシャはそう言うだけで特に、その武勇伝に食いつかなかった。
彼女は興味のないことには、とことんドライだ。
ヒノキさんはそれが悔しいのか、続ける。

『でも、俺もやられたら黙っていられねぇ性格だから、相手をボコボコしてやったけどな。相手はクソでかいヤツだったけど・・』

『そ。じゃあ、とにかくフナムシに気を付けなよ。二人ともおやすみ〜』

自分のすごさを熱弁したいヒノキさんの話なんか聴きたくなかったのだろうミーシャは、手をひらひらと振ると、自分の部屋がある二階へ、さっさと昇って行ってしまった。
ミーシャはすごくクールだ。

『なんか変な女だな・・』

そう悔し紛れに呟いたヒノキさんの言葉を、僕は聞こえないふりをして無視した。
それに気付いたのかは分からないが、彼は突然切り出す。


『あっ、そうだ!マサル。あとで、俺の部屋に来いよ。久しぶりに飲もうぜ?』

『別にいいですけど、酒はあるんですか?』

今度はヒノキさんが、僕の言葉に聞こえないふりをして無視する。
お前が買ってこい。
そう言いたいのだ、彼は。
その無言のメッセージに言い返すのも、面倒くさくなった僕は、酒を買いに、来た道を引き返すことにした。
まったく、今日はムカつくほど奇麗な星空だ。
夜の散歩をするのには、最高最適じゃないか。











ヒノキさんは異様に酒が強かった。
でも、それは正しく言うのなら、『強くなった』と言うのが正確らしい。
大学入学当初の彼はまったく飲めず、ビール一杯で顔を真っ赤にしてフラフラになったらしいが、軽音サークルの飲み会で先輩たちによる熱い歓迎を受けているうちにどんどん鍛えられていったと言う。
だから、僕があまり飲めず酒を断ると、いつもヒノキさんは『鍛えろ』と怒鳴った。

しかし、それから4年近くたったヒノキさんは、せっかく僕が買ってきた酒を前ほど飲まなかったし、僕に無理に酒を進めるようなこともしなかった。
彼はある程度、酒が入るとポツリポツリとゆっくり話し、同時に僕が卒業してから、今までどうやって過ごしてきたかと聞きたがった。
そして、僕はそれに対して、掻い摘んで話した。
広告会社に入社し、退社したこと。秋山先輩のお願いによって、やわらか画廊に務めることになったことなどをだ。


『ふーん。静香から、ちょっとは聞いてたけど、お前も色々あったんだなぁ』

僕が話し終わると、彼は遠い目をしてそう言った。

『ヒノキさんは、秋山先輩とは結構会っていたんですよね?』僕は聞く。

『いーや、あんまり。俺はずっと、フラフラしてたからなぁ。かたや、あいつは現役バリバリのOLだもんなぁ。すげぇよ、あいつは・・』

ヒノキさんは苦笑いする。

『うまくいってないんですか?』

『うまくいくとか、いかないとか、そういうんじゃねぇんだよ。静香とはもう長いから、そういうんじゃねぇんだ。まぁ、うまく言えないけどさぁ。でも、まいったぜ。家に泊めてくれないんだもんなぁ・・』

『普通、そんな格好の人間と一緒に暮らしたくありませんよ』

ヒノキさんは、未だホームレスみたいな汚い格好をしていた。
彼の部屋ではなく、もし僕の部屋で飲もうと彼が言いだしたら、僕は全力で断っていたはずだ。

『つーか、着替えがないんだよ。シャワーも、まだお湯が出ないしよぉ』

彼は自分の体の匂いを嗅ぎながら、続ける。

『それに、ずっと風呂がない生活していると不思議とそれに慣れちまうんだ。それはすごいことだよな。生活なんて続ければ続けるほどに、なんでもなくなっちまうんだからさぁ。すげぇ、人間すげぇ・・』

酒に強い彼も、めずらしく酔っているのだろうか。
どことなく目が虚ろに見える。

『それで今回はどこに行ってきたんですか?』

僕がそう質問すると、彼は長々とその旅を話し始めた。
本当かどうかわからないが、今回はモンゴルへ行ってきたらしい。
彼はモンゴルの移動式テント・ゲルに泊めてもらおうと、目的なくモンゴルの大草原をウロウロしたらしいが、なかなかゲルが見つからなかったらしく、仮に見つかったとしても泊めてくれることはなかったらしい。
それで、野宿を繰り返し、一週間してすぐに帰ってきたと彼は語った。


『不思議な国だったなぁ。首都部はそれなりに栄えているんだけど、ちょっとそこから離れると大草原が広がっているし。二つの世界が共存しているというか、自然部分がちゃんと孤立しているというか。
それに星はめちゃくちゃ奇麗だし。ぐちゃぐちゃしてる日本と比べたら、すげぇよ。そういうところに身を置くと、色々考えるよなぁ』

本当に色々考えているのだろうか。
僕は思わず、突っ込みたくなった。
しかし、一見お気楽そうに見えるヒノキさんも、やはりそれなりに色々なことを考えて生きているのだろう。

僕は他人の考えることはよくわからない。
とくに、ヒノキさんの思考については検討もつかない。
それは、おそらく彼が、僕と対極の性格だからだろうと僕は常々思っている。
だけど、本当のところは、それすらよく分からない。
きっと一生、わからないことなのだろう。










-27-
Copyright ©加藤アガシ All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える