小説『遠い町からやってきた。』
作者:加藤アガシ()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>









『で、お前はいつまで、働くつもりなんだ?』

『え?』

『え?じゃねぇよ。あの画廊だよ。次の仕事が決まるまでの繋ぎなんだろ?静香から、そう聞いたぜ?』

『ええ、ああ・・』


僕は突然、聞かれて困ってしまった。
確かにそうだ。
やわらか画廊は、次の仕事が決まるまでの間だけ務めるつもりだったのだ。
僕は上杉さんや、茉莉、そしてこの街自体に、居心地の良さを感じて、なんだかそのことを忘れてしまっていた。

ヒノキさんの言うとおり、ここは繋ぎだ。
いつまでも、ここで、ユラユラとのんびり生きていられるわけではない。
それじゃ、ダメなんだ。
僕はもっと上へ、もっと逃げずに闘わなければならない。
しかし、一体何と闘うんだ?

『もしや、お前アレか?アレだろ?』

『え?アレ?』

ヒノキさんの言葉で僕は突然、現実に引き戻された。
アレってなんだ?

『あの画廊の子・・、マリだっけ?あの子に、グッときちまったんだろ?』

『は?』

『それで、お前、あの画廊にいつまでもいるんだろ?』

『いやいや、そんなわけないじゃないですか!?』

『照れんなよ。ガキじゃあるまいし・・。』


ヒノキさんはニヤニヤしている。
なぜだか分からないが、面倒な勘違いをしているらしい。


『まぁ、そのまま、あの画廊の婿養子になる人生もありかもなぁ』

続けてヒノキさんは言う。
なんだか厄介なことになってしまった。


『だから、茉莉とはそんなんじゃないんですよ。ただの雇い主の娘なんですから。それに僕はもっと素直な子がタイプなの知っているでしょ?』

僕は冷静になって、彼の誤解を解くことを試みる。

『ああ〜、彫刻科にいたあの子のことか。お前、未だに引きずってるわけ?
つーか、マリの方が素直そうだったじゃんかよ?』

『それはヒノキさんに対する表の顔ですよ。本当のあの子は、もっとワガママな感じですよ。ぜんぜん素直じゃないですよ』


本当の茉莉はすごいんだ。
僕はヒノキさんに、彼女のズバズバとしたもの言いを聞かせてやりたいと思う。


『お前、馬鹿か。じゃあ、お前の言う素直は、ただの従順ってことじゃねぇか。いいじゃん。ワガママ。そっちのが自分に素直ってことだろ?』


ヒノキさんは髭を弄りながらそう言う。
そう言われれば、確かにそうだ。
僕はそのことに何も言い返せなくなる。
しかたない。
こういうときは、話をすり替えよう。
僕は彼に質問する。

『ヒノキさんの方は、いつまでここにいるんですか?どうせ、また、お金を貯めたら、海外に行くんですよね?』

『あ?・・ああ』

『何ですか?今の間は?』

『いや、そろそろ俺も、遊んでいられねぇ年齢かなとも思うしなぁ・・。でも、まぁ、次の旅をしてから考えるかな・・』

『へぇー』

やはり、ヒノキさんも自分で言うとおり、色々考えているのか。
僕は思わず感心してしまう。

『じゃあ、次はどこに行くんですか?やっぱり自然の国ですか?』

僕は純粋な興味として聞く。
最後に彼が選ぶ土地を。

『えーと、最後は・・・、やっぱアメリカかなぁ。自由と夢の国だし。アメリカ、ひと月の旅!!』

おいおい。
アメリカにひと月滞在するのには、いくら金を貯めればいいと思っているんだ。
この時、僕はヒノキさんの次の旅が相当先になるだろうことを知った。













『で、昨日の夜もパーティがあったわけ?』


翌朝、僕が大きなアクビをすると、茉莉はいじわるくそう聞いた。


『昨日は、ヒノキさんと飲んだんだよ、ふあ〜。フナムシは大人しかったけど』

結局、ヒノキさんはあの後、スイッチが入ったように飲み始め、それにつきあわされた僕はまた睡眠時間が十分とれなかったのだ。
僕は最低でも6時間は眠らなくてはならないのに。


『あの人、本当にこの街に住むわけね?』

茉莉はピリピリした声で僕に確認する。

『うん。アメリカ旅行の資金が貯まるまでね』

『アメリカ旅行?』

『次は最後の旅で、最後だからアメリカへ行くらしいよ』


僕はヒノキさんにさんざん聞かされたプランを茉莉に説明する。
僕がそうであったように、茉莉もそれを聞いている途中でウンザリし、『もういい、大学に行く』と言い残し、行ってしまった。
日曜の今日は、お昼前から楓でのアルバイトの日で、そもそも授業はないはずなのに。


茉莉が行ってしまうと、天窓からの暖かい日差しに当たり、僕はウトウトしてきた。
二日連続でほとんど寝てないんだ。仕事中に寝むくなってきても無理もない。
僕はゆっくりと目を閉じ、夢の世界に足を踏み入れようとしていた。

しかし、それを狙ったかのように突然、画廊の扉が開いた。


『よう!』

その声に驚き、僕は一気に正気に戻された。
ヒノキさんだ。
しかし、彼は昨夜とは全然違っていた。
ヒゲがない。髪がない。彼はつるつる丸坊主になっていた。
さらに駅前で買ってきたのだろう服(中学生が着ていそうな安物)を着ていた。
昨日のホームレス姿から一転、どっからどうみても好青年になっていた。


『脱皮ですか?』僕はその姿に驚きつつ、言った。

『ああ、脱皮だな。今日から楓で働くしな。一応、飲食店だし、ちゃんとしておかないとヤバいだろ?』

ヒノキさんはそう言って、二ヤついた。
前歯は折れたままだったので、清潔になった格好の前で余計浮いて見えた。


『そりゃ、そうだと思いますけど。その飲食店『楓』はあっちですよ。
この画廊に何の用です?冷やかしですか?』

僕は昨日に続き、彼に睡眠妨害をされたので多少、イラついていたのもあった。

『おいおい。ひでぇな。ちょっと顔出しただけだよ。つーか、ここ客来るのかよ』

『来ますよ』

僕はちょっとムッとしてそう言った。
嘘はついていない。昨日、確かに来た。一人だけ。

『ふーん。あ、そう言えば、マリは?』

『ああ、なんかどっか行っちゃいましたよ』

『ふ〜ん』

ヒノキさんはまたニヤニヤしながら言った。
昨日の夜のまま、未だに彼は僕が茉莉に好意を抱いていると勘違いしているのだ。
散々否定したのに、その誤解は解けないので、僕はもうその勘違いを受け入れ、彼のくだらない冷やかしを無視することに決めていた。
決めていたのに、彼は思いもしないことを言い始めた。


『まぁ、頑張れよ。茉莉も楓でバイトしているんだろ?俺が色々応援してやるからよ!』

応援?応援?
僕はその言葉に嫌な響きを感じた。

『いやいや、いいですよ!本当に!』

本当に放っといてほしい。

『まぁまぁ、照れるな。俺がうまくやるからよ!
じゃあ、俺もう行くわ!早めに行って、ノリスケに料理教えてやらないとな。さらば!』

僕が意見する間もなく、ヒノキさんはそのまま行ってしまった。
ああ、もう本当に。本当にめんどくさい。
これじゃあ、ヒノキさんがバイト中に茉莉に変なことを言わないか気になってしょうがない。
僕は茉莉が今日の楓でのバイトをサボることを祈った。






-28-
Copyright ©加藤アガシ All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える