小説『遠い町からやってきた。』
作者:加藤アガシ()

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それからの僕は、やわらか画廊の仕事に精を出した。
と言うこともなく、ますます怠惰になっていった。
なぜなら、監督者である上杉さんが出張に出ていってしまったので、たまに顔を出す茉莉を除けば、画廊には僕一人しかいないからだ。
監督者がいないというのは、人間をダメにするなぁと僕はしみじみ思った。
そもそも上杉さんは、何日間、画廊を空けるのかさえ言わずに出て行った。
オーナー不在の今、客がほとんどこないこの画廊は僕にひたすら孤独と退屈を感じさせてくれた。

しかし一方、向かいの喫茶店『楓』は大いに賑わっていた。
僕の予想が外れ、あのビラ配りの効果がすぐに出たのだ。
あのお粗末なビラを見て、楓にやってきたモノ好きなお客さんがいた。
そして、そのモノ好きなお客さんがヒノキさんの作るランチを絶賛し、それが口頭で伝わっていき、気づけば楓は流行の店になっていったのだ。

そして、上杉さんが出張に出てから4日目、とうとう昼時に店の外に行列までできるようになった。
もともと、楓には客席があまりない。
しかし、そのことを除いても僕はこの行列に驚かずにはいられなかった。
このまま楓は、廃れた喫茶店から『町の名物洋食屋さん』になってしまうのではないだろうか。
僕は画廊で一人、その行列を眺めながら、そんなことを思った。

そして、アパートから持参した食パンを食べた。(あえて昼休みは取らなかった)
まったく、楓に比べ、このやわらか画廊は平和だなぁ。
僕は満腹になり、うとうとしてきた。
と、その瞬間、画廊の扉が開いた。


『もう、無理…。やってられない…』

楓でバイト中の茉莉がまた戻ってきた。
これで、本日二度目だ。
彼女のバイトは、たった三日で一人で大量の客を捌かなければいけない激務へと変わったしまったのだ。


『大丈夫?』僕は聞いた。

『ぜんぜん…』彼女は言った。そして、そのまま接客用ソファに寝転んだ。

『まったく、ここは良いわよねぇ。暇で・・・。あなたは一体ここで何してるの?』

『何って・・・』


僕は接客と言いかけて口をつぐんだ。
ここ最近は、朝から晩まで座っているだけだった。
居眠りと読書を交互に繰り返しながら。


『はぁ・・。もう、お父さんも帰ってこないし・・・。はぁ・・』

茉莉はため息を繰り返した。
バイトだけではなく、上杉さんの謎の出張にも呆れているのだ。


『おい!マリ!!逃げんなよ!!給料減らすぞ!』

そして、ヒノキさんが茉莉を追いかけて来た。これも本日二度目だ。
自身の料理が大ヒットしたヒノキさんは、まるで店長きどりだ。
茉莉は、彼の登場にすっくと姿勢を正した。

『で、でも、何であたしだけが接客なんですか・・?あなたもやればいいじゃないですか・・?さ、皿運びとか・・、会計とか・・』

茉莉は弱弱しく反論した。
さすがに、多少ヒノキさんと話せるようになったようだが、未だにぎこちない。
なぜだか分からないが、彼女はヒノキさんに対しては心を開けないようなのだ。
そして、それにヒノキさんは気付いていない。
彼はいつだって威圧的な態度で人をこけ下ろす。
しかし、そこに悪意はない。たぶん。


『馬鹿かお前・・、シェフが表に出たら格好がつかねぇじゃねぇか!?ノリスケは何やらしても使えねぇしよぉ』

僕は使えない呼ばわりされた店主のノリスケに同情した。

『で、でも・・・』

茉莉はまだ何か言いたそうだった。
仕方ないので僕は助け舟を出すことにした。

『ヒノキさん、表に出ちゃいけないシェフがこんな店の外にいていいんですか?もう格好も何もないじゃないですか?』

ここにいるということは、ヒノキさんは狭いカウンターから、客席を通り、行列を抜けてここに来たのだ。
そして、店内では、一人になったマスターノリスケのてんてこ舞いが想像できる。


『つってもなぁ、それはマリが逃げだすからだろ・・・。こんなクソ忙しい時に・・。つーか、何もしてないお前が口を挟むな!!』

僕は見事に一喝された。

『はぁ・・。本当に暇でいいわよね・・・』

そして、なぜか茉莉まで僕を非難がましい目で見る。
まったく、僕はどんだけ暇なんだ。
僕は自分が暇であることにイライラしてきた。
そして、思わず言ってしまった。言ってはいけないことを。


『別に僕だって、好きで暇しているわけじゃないよ・・・』

その言葉にヒノキさんは即座に反応したのだ。

『じゃあ、お前も働けよ!ここ空けてさぁ、楓で働けばいいじゃん?』

『え?』


何だかんだ言って、僕はここでの退屈を楽しんでいたのだ。
正直あんなに、にぎわっている楓では働きたくない。


『だって、ほら。さすがにここの店番してないとヤバいですよ・・』僕は釈明した。

『別に問題ねぇだろ、客こねぇし。それに、マリの父ちゃん今いねぇんだろ?なぁ、マリ?問題ねぇよな?』ヒノキさんは言った。

『あ、・・・え〜と、問題ないですね。・・うん、そうよ。あなたも楓に来なさいよ。どうせ客来ないんだし』茉莉が言った。

こうして僕は、なぜか楓に連れて行かれた。
やわらか画廊の仕事を本当に放棄して・・・。






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