小説『遠い町からやってきた。』
作者:加藤アガシ()

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文学少女の父親、つまり、やわらか画廊の店主は異様な恰好をしてた。
もう冬も近ずく、10月の下旬だというのに、裸足にサンダル。
薄着の茶色い浴衣にオレンジ色のニットカーディガン。
穏やかな目には分厚い丸メガネをかけ、極め付けに、ボサボサの髪の上にベレー帽を乗せていた。

僕はこんな格好をしている人を見たのは初めてだった。
しかし、彼は本当に文学少女の父親なのかと疑いたくなるほどに背が高く、ハンサムだったので、決して変とか、不格好というわけではなかった。
要するに、異様な恰好ではあるが、前衛的なファッションとも言えなくもなかった。

『やぁやぁ、茉莉ちゃん。二日ぶりだね、元気してた?』

彼はヤギのようなアゴ髭を弄りながら、娘に向かって言った。
なんだか、のらりくらりと喋って、風変わりな人だなと僕は思った。

『今度はどこいってたのよ?』

文学少女は低い声で言った。

『いやね、本当は粘土を買いに出かけただけなんだけどね〜。電車で、隣の席に座っていた高校生が読んでた漫画が面白そうでね。
話しかけたら、意気投合しちゃってさ。
そのまま漫画喫茶ってものを教えてもらって、そこで、ずっと漫画を読んでたんだよ。秘密のピラリキってヤツ。全183巻もあるんだよ〜。
茉莉ちゃんは、ピラリキ知ってる?あれ、おっもしろいのね〜』


文学少女は深いため息をついた。
父親の奇行ぶりに、もう怒る気も失せたようだった。
なんだか、関係のない僕も、彼のゆるさに呆れてしまった。

『それで、そちらはお客さんかな?』


店主は、今度は僕をまじまじと見た。
目が悪いからかどうか分からないが、彼には顔を近づけて話す癖があるようだ。

『あ、はい。あのイルカの絵を買い来たんですけど、恥ずかしながら、タイトルも何も分からなくて・・』

『ああ、何だ〜。君がそうか。小間使いの影山マサルくん・・・でしょ?』

『ええ、はい。・・ええ?』

『静香ちゃんに、ちゃんと聞いてるよ。よいしょっと・・』

彼はそう言うと、まだ僕たちが探していなかった棚から、奇麗に包装されたF6サイズの絵を取り出した。

『秋山先輩のこと、ご存知なんですか?』

僕は質問した。

『うん、もちろんもちろん。だって彼女、この町で生まれたんだよ。・・・って、あれ?
君、もしかして彼女から何も聞いてないの?』


僕は当然、おどろいた。
先輩からは何も聞かされていない。

『わたしはそんな人、知らないけど?』

文学少女が口をはさんだ。
確かに彼女は秋山先輩の話をしても知らなかった。


『そりゃ、茉莉ちゃんは知らないよ。茉莉ちゃんが、こ〜んな、ちっちゃい時に、静香ちゃん家は引っ越しちゃったもん』

店主は指で米粒くらいの大きさを作って言った。
まさか、そんなに小さいわけがあるまい。


『じゃあ何で、お父さんは、静香ちゃんとやらと、まだ親交があるのよ?』

気にせず、文学少女は続けた。

『親交?親交って言う程のものはないよ〜。彼女が高校生だっけかなぁ?
まぁ、そのくらいの時に、いきなりここに来て、買ってくれって、一枚の絵を持ってきてさぁ。びっくりしちゃったよ。
あの泣き虫・静香ちゃんがあんなに美人さんになって、突然訪ねてくるんだもんね〜。
さらにそれ以来、音沙汰なかったのに、この間、まだあの絵はあるかって電話あったから、またまたびっくりしたんだよ。
うひゃ〜って』

『じゃあ、イルカの絵って、もともと先輩が売った絵なんですか?』

僕はまた驚いて、質問した。

『そうだよ〜。作者不明・タイトル不明の素晴らしい絵。自慢じゃないけど、僕は先見の明があるから、そのうち、この絵の作者の名前が売れて高値が付くんじゃないかと思って大切にしまっておいたんだけどね・・・。
でも、まぁ、これはいい絵だよ。まったくの素人の絵だったとしてもね。もし、静香ちゃんと知り合いじゃなかったとしても、結構高値で買ってたと思うな』


そう言うと、彼はわざわざ包装紙を取り外し、その絵を見せてくれた。


『ご覧あれ〜。二頭のイルカの愛の物語を〜』


『・・きれい』

隣の文学少女がうっとりして呟いた。
一方、僕はというと、ただ圧倒された。
豪快に塗られたエメラルドグリーンの海中。
そして、その海の中で二頭のピンクのイルカが寄り添って泳いでいた。

文字通り、泳いでいた。
本当にイルカは、生きて泳いでいるかのように、見えるのだ。

『・・すごい』

僕は無意識にそう呟いていた。
実際にこの絵を見る前までは、もしかしたら秋山先輩が自分自身で描いた絵を売りつけたんじゃないかなと思っていたのだけれども、全然違った。
この絵は、先輩の神経質で、繊細な画風とは似ても似つかず、実に大胆な画風だ。
二頭のイルカだって、よく見ればグチャグチャ荒く、豪快に描かれているのだが、それがやけにイルカを生久しく、よりリアルに見せた。
今にも、鳴き声をあげて、踊りだしそうだ。
店主が言ったように、まさしく、愛の物語といった感じの絵である。

『どうだね、小間使いのマサルくん。惹きこまれるでしょ?』

彼は得意げにアゴ髭を撫で、二ヤリと笑った。











『これ、本当に誰が描いたか分からないんですか?』

僕はこの作者の、他の絵も見てみたいと思った。

『残念ながらね。静香ちゃんが持ってきたときに聞いても知らないって言ってたよ〜。家の物置にずっと置いてあったんだってさ〜』

『物置って。なんかいいのそれ?その人が高校生のときに一人で、売りにきたんでしょ?』

文学少女は言った。

『う〜ん。なんかね、彼女も色々ワケありって感じだったね〜。あんまり、関係のない僕がペラペラ話せないけどさ〜。
まぁ、とにかく、こうして、また買い戻すためにマサルくんが来たんだから、いいじゃない。ねぇ、マサルくん』


『はぁ・・』


確かに、秋山先輩はこうして僕に、イルカの絵を買い戻すように頼んだのだから、きっと、この絵に思い入れがあるのだろう。
個人的に買い戻すだけで、先輩の仕事と、この絵は何も関係がないのかもしれない。


『で、マサルくんはいつから働くんだい?』

『・・・え?何の話ですか?』

僕は混乱した。
僕が無職であることを、なぜ彼は知っているのだろう。
先輩は、そんなことまで話したのだろうか。


『え〜、さすがにそれは聞いてるでしょう?静香ちゃんが、求職中の君を、ここで雇ってくれって頼んできたんだよ。
僕がよく店開けるのを覚えていたみたいでさ〜。僕も、他ならぬ静香ちゃんの頼みだし、画廊もちょうどいいかなと思ったから、OKしたんだけど・・・』


『ええ!?・・・ここで、ですか!?』

僕は当然、驚いた。
てっきり、先輩がまわしてくれる仕事というのは、先輩の会社だと思っていた。
先輩の大手、絵画レンタル会社・・・。


『まさか、本当に静香ちゃんから何も聞いてないの〜?それはこまったな〜。じゃあ、ここで働くのは嫌かな?』

『いや、別に嫌だとかじゃなくて・・』


僕は迷った。
確かに、この画廊の雰囲気はすごく好きだし、ゆったりと働けそうだ。
だけど、僕はもう二度と転職したくはなかったので、ある程度いい仕事を探していた。
この先、結婚して家族ができても十分、食べていける仕事。
その点、ここでの仕事はどう考えても、十分稼げるとは思えなかった。

『まぁ、そりゃそ〜だよね〜。突然、そんなこと聞かせられたんじゃね〜』

『ちょっと、あたしも、何も聞いてないんですけど!?この人がここで働くの!?
お父さんはいないときは、いつも、あたしがちゃんとやってあげてたじゃない!?』

文学少女も寝耳に水だったようだ。

『茉莉ちゃんは、一応、大学、まだ2年間あるでしょう?それに卒業したら、ここ継いでくれる気あったの〜?』

『それはそうだけど・・・』

『茉莉ちゃんは好きなことやりなさいな。で、マサルくん。どう〜?』

店主はまた、顔近づけて僕をジロジロ見た。

『ちょっと、考えてみないと・・』

僕ははぐらかした。

『うん、そりゃそうだ。おっけ〜。じゃあ、その気になったら・・・あれ?名刺どこだっけな〜』

彼は着物の中をもぞもぞ探した。

『お?あったあった。ここに電話しておくれ』

僕は、店主が着物から出したグチャグチャの名刺を受取った。
しかも若干、黄ばんでいる。

『申し遅れましたが、やわらか画廊、オーナー兼、店長の上杉国男です。以後よろしく。あっ、あと、このかわい子ちゃんが僕の娘の上杉茉莉ちゃんで〜す』

『ちょっと!!』

文学少女は彼に肩を組まれ、それを振り払った。

『あなた、もっと、ちゃんとした仕事探した方がいいわよ!ここ、ちっとも儲からないんだから。
大体、ウチに人を雇うお金なんてあるの、お父さん?』


『相変わらず、茉莉ちゃんはひっどいな〜、お金はあるよ〜。僕はこう見えても、なかなかのやり手だからね〜。
色々、お得意さんがいるのだよ。まぁ、マサル君にも給料は思ったより、出せると思うから考えてみてよね〜。
次の仕事、探す間だけでもいいしさ〜』


僕は何気ない彼の一言に食いついた。

『次の仕事って、期間限定で雇ってもらえるってことですか!?』

『うん、いいよ〜。あんまり短期間でも嫌だけどね〜。僕は忙しくってさ〜、人手欲しいんだよね〜』

『忙しいって、フラフラして、粘土こねてるだけでしょ!?』

『おっ、鋭いツッコミ!』


まったく、漫才みたいな親子だ。
僕はこの時点で大体、この画廊で働くかどうか心の中で決めていた。











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