小説『遠い町からやってきた。』
作者:加藤アガシ()

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喫茶店『楓』で、上杉さんと別れた後、僕は老夫婦のジロウさんと、キミ子さん(という名前らしい)に連れられ、彼らが管理人を務める、駅前のアパート『グリーンハイツ』を見に行くことになった。

『ほら、見えてきた。アレがウチのアパートだよ』

お爺さんが自慢げに指さしたアパートは、『グリーンハイツ』という、その名の通り、見事に緑色したアパートだった。
いや、正確に言えば、淡いミントグリーン。
僕の感じた第一印象は、『そう悪くない』。そんな感じだった。
特別、清潔ではないし、オシャレでもなかったけれど、その淡いミントグーリンの本体部分(所々黒ずんではいたが)と、そこから突き出た、白い螺旋階段のコントラストは、なかなかいい感じだった。
いい意味で気の抜けたアパートとも言える。

『まろやかで、ステキですね』

僕はお世辞半分、本気半分で二人に感想を述べた。

『そう?気に入ってもらえたなら、うれしいわ』

お婆さんは、にこやかに言った。
このアパートなら、僕も住んでいいかなと思えてきた。

『全部で何部屋あるんですか?』

僕は聞いた。

『え〜と、一階に二部屋、二階に二部屋の全四部屋。今は一階と二階に一人ずつ、二人の人が暮らしているのよ』

『へぇ、どんな人が・・』

『ちなみにマサルくん、その隣にある家に、ワシらは住んでいるんだよ』

また、お爺さんは、僕の質問に割り込んできた。
正直、そんなことはどうでもいいのに。
と、僕は思いつつ、先にある隣の家を見てみると、なかなかの豪邸があった。
洋風の作りの家で、白い壁にオレンジの屋根。
その屋根には、どうやら屋根裏部屋もあるみたいで、小ぶりのお城みたいに見える。
この家も上杉さんがデザインしたのだろうか。
さらに、重厚な門もあり、その門と玄関の間を、鎖で繋がれたダルメシアンがウロウロしていた。

『すごい・・』

僕は思わず漏らした。
それを聞いて、お爺さんは満足したようだ。
おそらく、この老夫婦はこの家と、アパートを持っていることから推測するに、かなりのお金持ちのようだった。(とは言え、二人が着ている服からなんとなく気付いてはいたが・・)


『もう、あなた!ウチの家はどうでもいいでしょ!!ごめんね、マサルくん。アパートの部屋の中も、今見せてあげるわね』

『あ、はい。ありがとうございます』

『ついて来て』

そう言うと、お婆さんは一階の奥の部屋の前に行き、お爺さんに指示して鍵を開けさせた。

『中はあまり広くないけど、日当たりは最高よ』

お婆さんはそう言って、僕を部屋の中に入れてくれた。
なるほど。
確かに、バスルームとキッチンスペースはあるものの、あとは6畳程度のフローリングの部屋が一室あるだけで、特別広くはなかった。
しかし、彼女の言うとおり、窓ガラスからは、よく日が差し込み、よく手入れされたアパートのちょっとした庭(パンジーの花壇があった)がのぞけた。
僕は、部屋の中も悪くないと思った。

『いいですね、ぜひ、ここに住みたいです』

僕が二人にそう告げると、突然、隣の部屋から、爆音で音楽が流れてきた。
しかも、なんだかよく分からないアニメソングみたいな曲・・・。











『また、舟木くんだわ・・』

『しょうがないね、あの子は・・』

隣から流れてきた爆音に、お婆さんと、お爺さんは顔を見合わせて、そう言った。

『あの・・となりに住んでいるのは、どういう方なんですか?』

この爆音で一気に、僕はこのアパートに住む気が失せた。

『そこの大学に通っている学生さんなんだけど・・・。いや、すごくいい子なのよ・・ただ、音楽は、前も注意したんだけどね・・』

『ちょっと注意してこよう』

そう言うと、お爺さんとお婆さんは部屋の外に出て、萌え系(?)アニメソングが流れる隣の部屋へと向かった。
なんとなく気になった僕もその後に続き、ドアの影に隠れつつ、お爺さんが呼び鈴を鳴らすのを覗くことにした。
こんな音楽を恥ずかしげもなく、爆音で流すのは、どんな奴なのか見てやろうと思ったのだ。

しかし、お爺さんが呼び鈴を押し、しばらくすると、すぐに音楽は鳴り止んだ。
そして、隣の部屋のドアは、数十センチ程度、開いた。
僕のいる所からは、住人の姿は見えない。

『・・・・・』

『あの舟木くん、もっと音楽の音量を下げてくれるかい?』

『・・・・』

『よろしく頼むよ』

『・・・・』

確かに、お爺さんらと、隣の住人は何か話をしているようだったが、その声は小さすぎて、僕にはほとんど何も聞こえない。
いわゆる、引きこもりというヤツだろうか。
僕は得体の知れない隣の部屋の住人に気味が悪くなった。
しかし、お爺さんは構わず、続けた。

『そうそう、舟木くん。このアパートに、新しく、人が入ってくることになったからね。
ほらほら、マサルくん。挨拶して』

そう言うと、お爺さんはドアの影から覗いていた僕をむんずと引っ張った。
ちょっと待て。
僕はまだ、このアパートに住むと決めてない。
いや、確かに、一度は住みたいと言ったけれど、こんな住人が住んでいるとは聞いていない。

『どうも、こんにちわ・・』

僕は仕方なく彼に向かって、そう言った。
彼?
いや、彼なのか。むしろ、人なのか。
数十センチしか開いていないドアから、僕が見たのは、顔も見えないほど前髪が長く、ボロボロのスウェットに身をつつんだ不潔なガリガリの生物だった。

『・・・こ、こんに・・ち・・ゎ』

か細い声ではあったが、一応、彼はそう挨拶を返してくれた。
しかし、僕と目が合った瞬間、すぐに視線を逸らした。(前髪から覗いた彼の一重の目はギラギラと鋭かった)

『じゃあ、そういうことだから、舟木くんも、これから音楽に気をつけてあげてね』

『・・・はぃ、すみ・・ません。き、今日は・・・だ、だれも・・いないと・・思ったの・で・・・』

お婆さんの言葉に、彼はそう答え、いそいそとドアを閉めてしまった。
まったく、この男は、色々大丈夫なのだろうか。
僕も人のことを、とやかく言える身分ではなかったが、さすがに、彼を見ていると、人事ながら、僕は心配になった。

『今の舟木くんと、もう一人、二階に、女の子が住んでいるのよ。マサルくんはきっと、二階の、その子の隣の部屋の方がいいかもね』

『確かに、舟木くんの隣じゃ、音楽がうるさくて眠れないかもしれないねぇ』


お婆さんとお爺さんは、僕の表情を読み取ってくれたのか(たぶん、お爺さんの方は確実に読み取ってはいないだろう)、気を利かして、そう言ってくれた。

女の子。
僕はその言葉にちょっと、グッときた。
もしかしたら、運命の出会いがあるかもしれない。

『その二階に住んでいる人は、どんな方なんですか?』

僕は聞いた。

『え〜と、チエちゃんは、明るくて、オシャレな子よ。たぶん、今は仕事で、上にはいないと思うけどね・・。
なんかね、隣町のインテリアショップで働いているらしいのよ』


明るくオシャレなチエちゃん(インテリショップ勤め)・・・。
僕は、頭の中で、僕の理想のふわふわした可愛い女の子を思い浮かべた。

『で、マサルくんはいつから、ここに住むんだい?』

お爺さんのその声で、僕はチエちゃんの妄想から、現実に戻された。

『え〜と、明日中に荷物まとめて、明後日にでも引っ越してきます!』


僕は、このアパート『グリーンハイツ』に住むことを決めた。
もちろん、このまろやかな建物が、とても気に入ったからだ。
決して、チエちゃんが目当てではない。
僕の入居理由に、やましいことなど一つもない。
もちろん。










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