高台にある小学校には、昔から不思議な猫がいるそうだ。
真っ白でふわふわと暖かい毛並みが特徴で、人に近づいては必ず目を細めてすりすりと額を擦りつけてくるほど愛想がいいが、決して鳴き声は上げないという変わった猫。
変わっていると言えば、猫はいつも必ず人の体のどこかに乗っかっているそうだ。人と人が寄り添っているところに好んで現れ、いつも幸せそうな顔を浮かべているのだと。
猫の毛は、撫でられた数だけ増え、慈しむ気持ちの分だけ柔らかく、暖かくなるらしい。
猫は決して人から離れず、決して人を見捨てず、決して人を嫌わない。
人が猫を本当に見失わない限り、いつもそこにいるそうだ。
だから……――
「婆ちゃん、婆ちゃん!」
青年の言葉に、老婆ははっと顔を上げる。左右を見回し、たくさんの人が居並ぶ様子を目にして思い出す。
ここは満員のバスの中だ。
「だいじょうぶか? もうすぐ小学校に着くから、そこでなら休めるよ」
自分に席を譲ってくれた見知らぬ青年は、泥だらけの顔を少しだけ緩めた。
老婆は窓の外を見て、それからすぐに視線を戻した。がたごとという音の合間に、何か固い木を乗り越えるような大きな揺れが混じる。老婆は青年に言った。
「あんた、猫は知ってるかい」
「猫? なに、婆ちゃん飼ってたの? あ、ごめん。聞いちゃいけなかった?」
「いんや」
老婆は大きく息を吐いた。
「あたしが、あたしのおとっちゃんから聞いた話なんだけどね。ひと様の懐に入るのがたいそう好きな猫がいたそうだ。見えない猫、だよ。人に撫でられるのが大好きな猫なんだそうだ」
「え? 見えないのに撫でられるの?」
「猫はね、人の心なんだってさ」
老婆はそう言って、青年の手をそっと握った。さり、さり……とその皺の浮いた手で撫でる。
「こうやって手を握っていれば、猫はいつでもあんたのところに来てくれるはずさ」
「婆ちゃん」
「悪いね。疲れてるときに、こんな婆の話を聞いてくれて。少し気が紛れたよ。ありがとう」
すると、青年は力強く老婆の手を握り返した。
「俺、あんま頭良くないけどさ、体動かすくらいならできるから。婆ちゃんのためにしっかりした家を造るよ。だから、家が出来て、また元通りになったら、その話のつづき、聞かせてくれよ」
「ケガすんじゃないよ。痛いことがあったら、あたしんところへおいで」
「婆ちゃん……そりゃ子供扱いしすぎ」
お互い、少しだけ笑った。
老婆は再び、窓の外を見た。そうしながら、まだ握りっぱなしの青年の手を、老婆はゆっくりと両手で包んだ。
「本当だねえ……おとっちゃんの言うとおりだ」
バスの乗客もみな、窓の外を見つめている。いつの間にか、彼らは互いに手を取り合っていた。
バスはゆっくりと進んでいく。
猫は決して人から離れず、決して人を見捨てず、決して人を嫌わない。
人が猫を本当に見失わない限り、いつもそこにいるそうだ。
だから、人はあたたかい。