小説『ラスト×ラストthe chronicle of samsara』
作者:迷音ユウ(華雪‡マナのつぶやきごと)

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Prologue 揺り籠【0】

 ドクン。ドクン。ドクン…………
 何かが脈打つ音が、辺りを支配していた。そこは暗闇。果てしなく続く漆黒。上も下も左右も分からない、この空間の中に少年が一人浮いていた。
 どこからか吹いてきた何か肉の焦げるような匂いを含んだ生温かい風が少年の頬をざらりと舐める。
 少年はその感覚に目を覚ました。
 彼はまず虚ろな双眸で辺りを見渡した。しかし、目に入ってくるのは無論闇ばかりだ。黒に塗りつぶされた世界では光の一筋すら存在しない。
 少年はここがどこなのかという考えより、自分が誰なのかという、己の存在の不確かさに気付いた。
 本人すら気づいていなかったが少年からは記憶という物がきれいさっぱり消え去っていた。いや、正確にいえばないことはなかった。それは単語とかものの名前とか、そういった知識。しかし知識はあくまで知識であり、思い出ではない。彼は自分がこれまで何をしてきたか、どういう人間だったかが全く思い出せない。
 ここがどこなのかという疑問が出てきたのはすこししてのことだった。
 少年はようやく自分の置かれている状況を理解しようとする。彼はとりあえず助けで呼ぼうと、叫んだ。叫ぼうと試みた。しかしこの真空の宇宙にも似た空間の中では、声が伝わる事はなかった。しかし声が出たところで、こんな奇妙な場所に人がいるわけもないだろう。それに気づくと彼はどうこうしようとすることをやめた。

――――ドクン。ドクン

 生温かい風とともに運ばれてくるこの鼓動。音がないはずの漆黒の世界で、何故か響く唯一の音。その音を聞くと不思議とこの不可解な空間の中でも安心を得られる。
 その安心感は少年にここにいつまでもいたいという、衝動を与えた。

 ―――ドクン。ド…………

 ふと風が止む。鼓動が止まる。
 少年の意識は急に現実に引き戻されたかのように、はっきりとしたものになる。今までの感覚がまるで夢であったかのように鮮明に、刺激的な感覚。
「ここは……なんだ…………?」
 今度ははっきりと自分の声が聞こえた。しかし呟いたとしても答える者はない。
 ただ返事の代わりに熱風が吹き始めた。周りの温度も急激に上昇する。さっきまであった肉の焦げるような臭いも、び立ち込める。鼻がもげるような臭気。少年は手で鼻と口を覆う。

 ―――ーなんだっていうんだ。
 心の中でそう呟やいた。

 刹那、耳を劈くような音が空間を轟かす。それが爆発音だと気付くのには一秒もかからなかった。ぶわっと、爆風が吹き付ける。視界が真っ白に塗りつぶされる。いままでの黒い闇とはうってかわり、そこにあるのは白い闇。あまりにも突然な色彩の変化は少年の目に頭痛を伴った刺激を与える。
 しかし、それだけだ。少年は爆風の影響を微塵も受けることなくそこにいた。
 ただその事実が少年を混乱させる。

 ――――なにが起きた? これは……なんだ? 爆発……。なにが爆発した……? なにが――――――


  ”早く目を覚まして”


 ふいにどこからか声が聞こえてきた。その声は耳にでは無く、直接頭に響いてくる。男とも、女とも分からない中性的な声。ただ分かるのはそれが人間の声だということだけ。

 ―――おまえは誰だ?
 少年は声には出さないが、頭の中にそんなセリフを浮かべる。頭に直接響いてきた声に不思議と驚きや恐怖はなかった。


  ”もうすべて終った”


 その言葉は少年の言葉に対する返答ではなかった。淡々とした口調で、更に声が響く。


  ”だから早く目を覚まして”


 この声は何を言いたいんだろう。
 少年には理解ができない。


  ”もうすべて終った。だから――――”


 言葉はその口調が強められ、繰り返される。 少年もまた問い返そうとした。おまえは誰だ、と。しかし、


  ”早く目を覚まして!!”


 強い口調で遮られる。
 視界が暗闇に戻る。少年の意識が急速に消える。



 そこにはもう、少年はおらず、誰かの声が響く事も鼓動が鳴ることもなかった。
 後に残ったのはただ暗い闇と、肉の焦げる臭いだけだった。

-2-
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