小説『戦国御伽草子』
作者:50まい()

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あれから、どのくらいたったのかわからない。夜が来て、朝が来て、再び夜が来て、また朝が来た。それが幾度巡ったのか、時間の感覚もなにもかもが俺を置いて通り過ぎていたように感じられた。



ただ、確かなのは瞼裏に時折閃く青の炎。



若は、時間が出来ると俺のところに来て、心配していろいろと声をかける。



「おい、お前、前田家に行ってからおかしいぞ。で、残りの二人をどうする?聞いてるか?速穂(はやほ)?」



頬を叩く若の手さえ、夢の中のようなもの。



「おい、速穂ー…?」



その日も、若の声がぼんやりと耳に届いて、俺はのろのろと視線だけで若を探した。



「決めた。館に火をかける。そうすれば、二人一度に殺せるし、誰がやったかもわからないだろう?」



火を、館に、かける…。館に…?



誰の…。










その日、久しぶりに夢を見た。



「あたしを殺すの?」



伏せられたその瞳の奥には、常に憎悪の青の炎が燻っている。



「瑠螺蔚(るらい)…」



「あんたに名なんて呼ばれたくない」



声が喉の奥に詰まる。



「人殺し」



「違う、瑠螺蔚、違う…。俺は、俺は、お前を殺すつもりは無かったんだ…」



「何が違うの?母上と姉上を斬ったのは誰?あんたじゃないの?」



「…………俺だ」



そうだ俺だ。俺が殺したのだ。瑠螺蔚の母も、姉も、そして瑠螺蔚も。



「……瑠螺蔚……」



俺は泣きたい思いで呟いた。



もう、俺はこれからどうして行けばいいのか。



わからない。なにもわからない。



「発六郎」



そっと瑠螺蔚が呟いた。



「父上と、兄上を助けて」



その頬に透明な雫が伝った。一瞬俺はそれに見惚れる。



純粋で綺麗な涙。



「ねぇ、発六郎!お願いだから、父上と兄上を助けて!」



瑠螺蔚が俺を見た。その瞳に青の炎は映っていない。



「お願いよ、発六郎!あたしじゃ助けられない!だから…」



それは殆ど悲鳴に近かった。



「瑠螺蔚、だがそんなことをすれば、俺は村雨家にいられなくなる」



「なら前田家に来るといい。新しい家を、家族をあげる。新しい名をあげる。あんたは自分の真名を知らないんでしょう?なら、速穂児と名乗るといいわ」



俺は微かに微笑んだ。



「それでは今と大して変わらない」



「いいえ。違うわ。俊敏の速。瑞穂の穂、寵児の児。人々に温もりと安寧を与える、速穂児」



どう?と瑠螺蔚は笑った。陽のようだった。



眩しい、と思った。目が眩んでしまいそうだ。



俺が穂だというのなら、瑠螺蔚は光だ。俺にとっての、風であり、水であり、土である、陽女神。



「あたしのところへ来なさい、速穂児。きっと、生活には困らないわ」



そうか…それもいいな。



新しい名、新しい生活。また、一から始めるのも悪くないかもしれない。



おまえが側にいるのなら。



「ね?」



瑠螺蔚が、笑った。



それに応えるように、俺も笑った。











「三七郎(さんしちろう)、若は?探しているんだが、何処にもおられないんだ」



久々に伸ばす手足はぺきぺきと音を立て、動かす度に痛んだが、俺はいやに清々しい気持ちでいた。



「あ、速穂殿、ご病気が治られたんですね、よかった」



「ありがとう」



俺が礼を言ったら、三七郎は目をまんまるに見開く。



「…」



「三七郎?」



「あ、いえ、…あの、速穂殿、なにか、ご様子が変わりましたね…?」



「そうか?」



俺がそう言って笑うと、それを見た三七郎は目をぐりぐりと擦って、ぱちくりとさせた。



その顔があまりにも間抜けだったものだから、俺は思わず噴出す。



そんな俺は余程前とは別人に映ったらしい。



「あの〜…本当に速穂殿ですか?」



「そうだが、三七郎、若はどこへ行ったんだ?」



「あ、若君ですか?若君は…」



そう言って、三七郎はえ、と声を上げた。



怪訝そうなその顔は、俺の心に一滴の不安を落とす。



「どうした?」



「速穂殿、知らないんですか?若君は馬で先程出かけられましたよ。『行き先は速穂に言った』といっておられたので、僕はてっきり・・」



「!」



血の気が一瞬で引いた。若は前田家に行ったのだ!



でも速穂殿が知らないとなると、若君は恋人のところへでも行ったのかなぁと見当違いのことを言っている三七郎の背後の空を俺は仰ぎ見た。



煙も炎もみえない。



けれど、俺はそこに燃えあがる炎と黒煙の幻を見た。



瑠螺蔚…!



俺は踵を返すと厩(うまや)へと駆けた。

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